永遠のうさこちゃん

ディック・ブルーナさん死去 89歳「ミッフィー」作家


1959年生まれの私は「うさこちゃん」世代です。シリーズで初めて読んだ絵本は「うさこちゃんとうみ」。今は「ミッフィー」世代の姪のところにあります。



タオルケースはいつも講義の時、手を拭くハンドタオルを入れて持っていく。「うさこちゃん びじゅつかんへいく」は、美術教育関連の授業で使っている。ハンカチとチケット挟みは、去年展覧会で買った。


追悼に代えて、去年の3月に名古屋の松坂屋美術館で見た展覧会のコラムを貼っておきます。

 東日本大震災の折り、「被災した日本の子どもたちにメッセージを」との要請で描かれたディック・ブルーナの絵をよく覚えている。「my best wishes to Japan」と書かれた上に、両目から大粒の涙を流すミッフィー。色はない。日常を根こそぎ奪われた子どもたちを励ますのではなく、その悲しみに寄り添おうとする画家の優しさが伝わってきた。
 1950〜60年代生まれの人なら「うさこちゃん」という名で記憶している、世界一有名な兎の女の子ミッフィー(オランダ名はナインチェ)。開催中の「誕生60周年記念 ミッフィー展」には、55年に初めて出版された『ちいさなうさこちゃん』の原画を始め、ミッフィー以前の初期絵本、油彩画やスケッチなど約300点が展示されている。
 一点一点から感じられるのは、キャラクターのかわいらしさはもちろん、ぎりぎりまで要素が削ぎ落とされたデザインワークのシンプルな力強さだ。確信をもって引かれた線、選び抜かれた色彩、構図。制作風景の映像からは、60年の間人々を魅了してきた絵が、どれだけ繊細に注意深く作られているかが見てとれる。
 絵本の中で特別な事件は起こらない。なくしたぬいぐるみを探したり、夢の中で雲に乗ったり、生まれてくる赤ちゃんのために絵を描いたり。そこにあるのは小さな女の子の日常そのものだ。第2次世界大戦時、ドイツに占領されたオランダで、思春期のブルーナは「平凡な日常生活こそが大切」と胸に刻んだのかもしれない。
 日常が災害によっていとも容易く失われることを学んだ私たちに、揺るぎない明快さでブルーナが描く何でもない生活のささやかなひとこまは、この上なくかけがえのないものに映る。ミッフィーは子ども時代の思い出を超えて生き続けている。

朝日新聞東海版+C「百聞より一見」2016年3月27日掲載)


ちくさ正文館と喫茶モノコト

昨日、久しぶりに、ちくさ正文館に行った。



名古屋では有名な人文系老舗書店。昔、近くの河合塾美術研究所で働いていた頃、しょっちゅう通っていた。歴史・思想・哲学・芸術系が充実していて、棚を眺めているだけで楽しく、長時間入り浸っていた。知的刺激を受ける数少ない本屋の一つ。
店長の古田一晴さんは「東京の今泉*1、名古屋の古田」と言われた、書店の棚作りで定評のある人。映像作家でもある。
昨日行ったのは、私の美術・映画本(と言っても3冊だけだが)を一角にまとめて置いて下さるにあたり、『アート・ヒステリー』の中の後から気づいた記述ミスについて、訂正のしおりを挟んで頂きたく持参した次第。



左隣の「サイン本」は詩人の馬場駿吉氏のもの。右上の「芸術新潮」の特集「永遠の美少年」が気になる(立ち読みで済ます)。「芸術新潮」と『アーティスト症候群』の間に立っているのは、トリスタン・ツァラのダダ宣言集。『アート・ヒステリー』でダダに触れた箇所があるので、隙間に挟んでくれたのかも。



石仏的な彫刻を作りながら、唄を歌い三味線を弾いている、多摩美非常勤講師の上野茂都さんという人のライブ・展覧会チラシをもらった。ジャンルとジャンルを自由に行き来する人の匂い。「これからこういうのもっと増えてくるよ」と古田さんは言った。


書棚を一通り眺めた後、二階へ。



前は文庫やマンガがあったが、去年全面改装して、「喫茶モノコト〜空き地〜」というカフェになっている。展覧会やミニライブやトークイベントなども行われるスペース。今は中国の農民絵画(色が独特で美しい)のコレクションを展示中。



右は、テーマを決めて本とオブジェが置かれているコーナー。雑貨なども売っている。


チャイを飲みながらカフェの人と話していると、古田さんが誰かを連れて上がってきた。十数年ぶりに会う知古の美術評論家Mさん。昔、前衛いけばなと現代アートの展覧会の企画をされていたことがある。そこで見たものについて、『アーティスト症候群』に書いたのを思い出した。
Mさんは今、いけばな界のジェンダー問題(名前の出てくるのは男性作家ばかりだが、影にいた女性の影響力が実は大きいとか)について調べているとのこと。その後、美術系大学周辺やアート状況の話など。


「アートってもう終わったよねって言うと、キョトンとされるんだよね」とMさん。そのアートとは、「個」としてのアーティストを中核とした近代以降のアート(近代美術と、その延長としての現代美術)を指す。その歴史的使命は終わったという話。
そりゃ終わってますわ。若い人見てても、昔なら油絵を描くようなタイプがみんなイラストやマンガや映像に行っているし。アートとかアーティストという言葉だけは残っているので使われるけれど、その内実は拡散し輪郭は曖昧になっている。本体がゾンビ化しているからこそ、「これからこういうのもっと増えてくるよ」なのかもしれない。
このあたりの話を、来月某所でするレクチャーにどんなふうに織り込もうか考えつつ帰宅。

*1:80年代、池袋の西武百貨店に入っていたリブロ池袋で、今や伝説となっている独創的な棚を作った今泉正光氏。ジャンルの垣根を超えてさまざまなネットワークが見えてくるような刺激的な本の並びは「今泉棚」と呼ばれ、特別な吸引力があった。

朝日新聞のコラム「百聞より一見」

東海ローカルな話です。
一昨年の5月から、朝日新聞東海版文化面のコラム「百聞より一見」(毎水曜朝刊)に、一ヶ月か一ヶ月半に一回の割合で展覧会コラムを書いています。
今日の紙面では、名古屋市美術館常設展示室3で開催中の、河村るみ「介(かい)- 生と死のあいだ」についての文章が出ています。記事タイトルは、「在と不在『喪の作業』」(デジタル版で読めるのは数日後になります)。


末期がんの母親を自宅介護した作家の経験が元になっている作品です。毎日4時から会場でパフォーマンスも行われています。ものすごく静かな、溜め息のようなパフォーマンスです。
身内を亡くしたことのある人にとっては特に、さまざまなことを考えさせる展示だと思います。今月26日まで(同時期開催中の『永青文庫 日本画の名品展』が、昨日から展示替えで後期に入っています。小林古径の『髪』や菱田春草の『黒猫』が展示される後期のほうが良さそうです)。




ちらし表裏(可読性が低くてすみません)



記事の締め切りは月曜日で、次週の水曜日に掲載されることになっています。となるとせめてその週一杯、できればあと一、二週間くらいは展示の続く展覧会を取り上げたい。ただ、私以外に演劇と音楽のレビュアーがおり、この週に掲載してほしいと思っていてもそこが取れないこともあります。
従って、ギャラリーで二週間くらいの個展などの場合、よほどタイミングが合わないと書きづらく、どうしても期間の長い美術館の展覧会に傾きがちです。
名古屋も現代アートのギャラリーが一頃より少なくなったり、常設展示のところが増えたりで、アート情報を当たっていても「これは是非見ておかなくては」と思う展覧会を見つけるのが難しい時があります。逆にそれほど期待しないで行って、意外に面白かった時も。まあ何でもそうですね。


というわけで、展覧会をされる方がここを読まれていたら、お知らせを頂けると嬉しいです。とりあえずアートに分類されるかなと思われるもので、東海三県で開催されるものでしたら、美術館・ギャラリー展示に限りません(むしろそうじゃない方が面白いかも)。
右上のリンク(ohnosakiko)からプロフィールのページに飛んで頂くと、メールアドレスがあります。ただ必ず見に行って必ず書くとはお約束できない点だけ、ご了承下さい。どうぞよろしくお願いします。



以下、これまで書いたコラムの中から3本ほど掲載しておきます。*1


■『月映』展(愛知県立美術館)

 今日、マンガから評論まで、膨大な数の同人誌が発行されている。一つ一つはささやかなものであってもそこには、「自分たちは今、コレを世に問うている」という気負いと気概がある。広大な原っぱに向かってボールを投げ、誰かが投げ返してくれるのを待っているのだ。
 一九一四年九月、三人の美術学生が、『月映』(つくはえ)という詩と木版画の雑誌を世に送り出した。画塾で出会った田中恭吉と藤森静雄、そこに竹久夢二と交流のあった恩地孝四郎が加わって意気投合し、同人誌活動を経て出版社からの雑誌刊行にこぎつける。結核の田中は中途で療養のために帰郷した和歌山から、作品を東京の二人に送り続けた。第七輯の刊行直前に田中は死去、一年余の三人の活動に終止符が打たれた。
 展示されている木版画は、掌サイズのものが多い。繊細な線で自らの生と死を見つめる田中、宇宙と個をテーマに独特の詩情を湛えた藤森、グラフィカルな構成を目指した恩地。西欧美術の影響も受けつつ、初めての試みに賭ける若者たちの情熱と興奮が、静かに伝わってくる。
 第一次世界大戦戦勝国となり好景気を迎え、モダンな都市文化が花開く一方、各地で米騒動が発生し、大正デモクラシーが起こった一九一〇年代。文学では白樺派が「自由」や「理想」や「個人主義」を謳った。その背景にあった、明治以来の国家主義への忌避感と個人の内面世界への沈潜を、『月映』も共有しているように思われる。  
 社会と自己とのずれ、孤独、自由な生への渇望‥‥。それらの感情を、三人の男子は「板を彫る」行為を通じて時代に刻みつけようとした。百年の時を超えて私たちは今、彼らの投げたボールをキャッチしている。そのボールは、世の中に流されず己の魂を深く見つめているか?と問うている。


■ソフィ・カル –––– 最後のとき/最初のとき(豊田市美術館

 見た映画や展覧会について、誰かと語り合うのは楽しいものだ。「あそこ、面白かったよね」などと体験を共有し合う。しかし時に、同じものを見たとは思えないほど感想が食い違うこともある。それは当たり前だ。見るとはあくまで個人的な体験。極端なことを言えば、私の認識している緑とあなたの認識している緑がまったく同じとは限らない。それを確かめる方法はない。『ソフィ・カル –––– 最後のとき/最初のとき』は、そんな私たちの「見ること」をめぐる隔たりについて、深い思索を誘う展覧会だ。
 一つめの展示は、生まれつき目の見えない人に美しいものは何かと尋ねる<盲目の人々>。盲目の人の肖像写真、その人の言葉、そこからソフィ・カルが想像して撮った写真という三点セットのシリーズだ。視覚をもたない人々が語る「美」が実にさまざまなことに驚かされる。
 二つめは、中途で視力を失った人に最後に見たものを尋ねる<最後に見たもの>。人は外界認識の90パーセント以上を視覚に頼っている。失明直前に見たものとは言わば、その人が世界と別れる時の光景だ。それは盲目の人の語る美と同じくらい、第三者には追跡不可能な、個人的なものだろう。
 だから盲目の人々の言葉とカルの写真との間には、おそらく乗り越えられない壁がある。この「見ること」をめぐる絶対的な隔たりは、三つ目のヴィデオ・インスタレーション<海を見る>で止揚される。海を見たことのない人々が、浜辺で海を見渡している後ろ姿、そして初めて海を見た眼差しのままカメラに向き直った顔が映し出されている。
 私の認識している世界とあなたの認識している世界は、同じではないかもしれない。私たちの出自や環境や体験が異なる以上。でも未知の世界を初めて見る驚き=「最初のとき」は共有できるのではないか。そんな希望が込められていると感じた。


■ほどくかたち - plasticity 米山より子個展(ギャラリー数寄)

 2020年の東京五輪開催に向けてなのか、最近よく聞かれる「和のおもてなし」や「日本文化の発信」。だがその中心となっている安倍首相直轄の有識者会議「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」で語られる「日本」は、驚くほど古色蒼然としている。「クールジャパン」でも「伝統回帰」でもないリアリティは、どこにあるのだろうか。
 米や和紙という一見非常に日本的な材料を用い、手仕事を通じて素材の美を最大限に引き出しながらも、米山より子の作品は「日本」のイメージからふんわりと飛翔していくかのようなおおらかさを孕んでいる。
 絹糸に様々な間隔で接着されたご飯粒が、半透明に光りながら五月雨のように天井から何十本も降り注ぐ中、台の上に乳白色の像が5体。複雑な襞のブラウスは細かく畳まれた裾の長いプリーツスカートに続き、首や腕はなく中は空洞だ。近づいてみればすべて和紙。
 水に濡らすと紙粘土のような可塑性に富む手漉き和紙を、土台に被せて成形し乾かして土台を抜き取る。身体が土に還った後にひっそり残された「衣装の遺跡」とでも呼びたい静かな佇まい、そして全体の姿や襞の表情から想起されるのは、飛鳥、ガンダーラの仏像やパルテノン神殿の女神像。国は異なっても歴史を遡れば、身体と衣服のイメージはどこかで重なり合う。
 窓際のガラスケースの中には、器の水に浸された連なるご飯粒や、絹糸の刺繍を施された和紙のオブジェなど、無国籍感漂う小品が並ぶ。添えられたゲーテの「水の上の霊の歌」は、たくさんの水を潜り抜ける米と和紙に捧げられているかのようだ。
 思えば米も絹も紙漉きも、大陸から伝来し生活・文化の中に根を降ろしたもの。それらを日本的イメージに固定化せずクリエイトしていこうとする作家の姿勢が清々しい。

*1:純粋なレビューというよりは、コラム的な文章です。書き方としては、冒頭に一般的な話題で短い前振りを作っておいて、展示紹介・批評に移り、最後に前フリと関連する文言で締める、という形式にしています。

アヒルと非常事態・・・“I will fly” 竹内孝和展を観て

間口の狭いガラス越しに、奥の白い壁にカラフルな色彩が糸を引いているのが目を捉える。中に入ると、8畳ほどの小さな縦長の空間の床には緑の人工芝が敷き詰められ、人の通れるくらいの通路を残して三分の二ほどが低い柵で囲われている。画廊の人の座っているブースもその中にあり、人工芝と同じ色に塗られている。
その柵の中に、真白の一羽のアヒルがいた。*1


側面の壁には、小さな鉛筆画が一枚かかっている。三人の奴隷が鎖で繋がれている古代ローマレリーフをデッサンしたものだが、その鎖の部分だけ白く消されている。
奴隷たちの下の部分には作家の創作であろう、浮き彫りになった「LIBERATED SLAVES」という文字が描かれている。


そして正面奥の壁と一部は天井に、10数本あっただろうか、1メートルほどの矢が突き刺さっている(作家によれば、矢の羽根は、屠殺されたアヒルの羽根を使用している)。
それぞれの矢の先端は小さな缶を突き破っており、中身の絵の具が壁を伝って滴り落ちている。外から見た時に、それがカラフルな線に見えたのだった。


家畜であるアヒル。家畜同然の扱いであった奴隷(の解放)。アヒルの羽根で作られた矢。密封されていた中身の流出。
支配と隷属、攻撃と防御のイメージがめまぐるしく反転する。矢が貫く絵の具の缶をどう捉えるかで、この作品の解釈は違ってくるかもしれない。


それぞれ異なる色の絵の具が入っている缶には、色の名前がラベリングされている。それは、渾沌とした世界を色分けし、命名し、区別する言語システムのメタファーだ。このシステムの元に、あなたは「支配者」(「奴隷」)に、わたしは「奴隷」(「支配者」)になったのだ。
ヒルの羽根の矢はその方向から言って、アヒルのいる柵の内側から放たれているように見える。もちろんアヒルが自らの羽根で矢を作り、的を射ることはできない。
ヒルが無力なのは、この世界でアヒルと名のつく者に生まれたからである。それと同じように、わたしたちが自らを縛る命名 - 言葉の鎖を解くことは、根本的にはできない。


だからその矢は、不可能な矢である。
この展示が幻視しているのは、奇跡が起きて、不可能なはずの矢が放たれ、色分けされ命名され区別されていたものがドロドロと流出する非常事態だ。その時、世界は支配も隷属もなく、攻撃も防御も必要ないものになるだろうと。
だが、その底なしの自由と渾沌に、人間は耐えられるだろうか。わたしにはわからない。少なくともその時、人間という概念は変わり、アヒルは空を飛ぶだろう。



名古屋・LAD GALLERYで2月5日まで。
LAD GALLERY(画廊入り口は那古野ビル北館の裏側。名古屋高速に面した表通りの方で探しても見つからないので注意)
竹内孝和

*1:会期中、アヒルはここで飼育されている。動物愛護の観点から専門家の監修も入っているとのこと。

トークセッションのお知らせ

今月17日(土)、静岡でトークセッションに参加します。静岡県芸術祭の関連イベントです(なんか最近、静岡づいています)。
以下は、チラシ文面の書き起こし。

      第56回静岡県芸術祭 ふじのくに芸術祭2016
      大野左紀子 × 大岡淳 トークセッション
   「誰でも表現者」って本当にステキなこと?
        ––––高大接続改革と表現教育––––  


    時:2016年12月17日(土)13:30〜15:30
    所:静岡県立美術館 講堂
    入場無料・予約不要
 

2020年度から国公立大学の入学試験が、暗記中心の試験ではなく、受験生の思考力・判断力・表現力を問う試験に、ガラルと様変わりします。これが単に大学受験のスタイルを変えるだけでなく、大学と高等学校の教育方法を転換させ、中学校や小学校にまで影響を与える、日本の教育システムの大改革の一環であり、これに対応すべく、既にアクティブ・ラーニングの導入が積極的に推進されています。


このような、生徒ひとりひとりの主体性を尊重する「高大接続システム改革」に伴い、芸術的な実技を身につけている受験生は、チャンスに恵まれるかもしれません。今や技術革新のおかげで、デジタルな媒体を用いた表現活動は誰でも手軽にできますから、若者にとっては、表現力なくして生き抜くのは難しい時代になったとすら言えるでしょう。ただしそれは、企業好みの「個性」を演じてみせる、「就活」的なプレゼンテーション能力が普遍化するということかもしれません。いったい、日本社会はこれから何処へ向かうのでしょうか?


『アーティスト症候群』(河出文庫)で、誰もがアーティストを気取ってしまう風潮を痛快にえぐり出した、文筆家の大野左紀子さんをゲストに迎え、教育現場に演劇ワークショップを導入する試みを続けてきた演出家である、私・大岡淳との対談という形式で、2020年以降を見据えた、表現教育の可能性や危険性について考えます。
                           大岡淳(ふじのくに芸術祭企画委員)


主催:静岡県静岡県文化協会、静岡県教育委員会
後援‥朝日新聞静岡総局、産経新聞社静岡支局、静岡新聞社静岡放送中日新聞東海本社、日本経済新聞社静岡支局、毎日新聞静岡支局、共同通信社静岡支局、時事通信社静岡支局、NHK静岡放送局テレビ静岡静岡朝日テレビ静岡第一テレビ、K - mix(順不同)


問い合わせ|静岡県文化政策課 TEL. 054-221-2254 FAX. 054-221-2827



大岡淳さんの問題提起に乗っかった上で、被承認欲を刺激し続ける社会と、「自由と個性」を旨とした美術教育の陥穽などについてお話できればと思います(このあたりは『アーティスト症候群』のテーマではありましたが、『アート・ヒステリー』(河出書房新社)で学校教育を絡めてより具体的に論じています)。
お近くの方は、どうぞよろしくお願い致します。


静岡県/ふじのくに芸術祭2016(第56回静岡県芸術祭):静岡で半世紀以上も前から芸術祭をやっていたとは知りませんでした。
静岡県立美術館:すごく面白そうな企画展やってる! 


●付記
大岡さんには前にあるトークセッションに呼んで頂いたご縁があります。その時の模様はこちら→プロとアマ、場所とお金と人の話‥‥月見の里学遊館のシンポジウム
     

「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと)

「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3


結論が最初の方に書かれている。

「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。


「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? 
”「欲望」それ自体”を貶めた書き方をすると、表現一般を貶めることに繋がらないか(もちろんそういう意図は全然ないにせよ)と懸念する。
それが「(一定の人々を不快にさせるような)「欲望」にしか見えない」から批判されたという個別の事象と、絵には「理想」も「欲望」も反映されるという一般的な事実は両立する。誰かの「欲望」が誰かを傷つけることがあるように、誰かの「理想」も誰かを凹ませることはある。というか、この二つはほとんどの場合不可分だ。



この後の西洋美術における裸体画の流れについて、思ったことをつらつらと。


古代ギリシャで、女性の裸体や半裸体、薄衣を通して身体のフォルムが手に取るようにわかる像が数多く作られたのは、神話で神が人間に似た姿を取っていることに加え、性的なものに対する感覚が今とはまったく違っていたことが大きい。
エロスは謳歌するものであっても、秘匿したり忌避したりするものではなかった。男性性器や同性愛も堂々と描かれていた。プラトンの『饗宴』には異性愛と同性愛が同じ扱いで出てくる。
それを変えたのがキリスト教キリスト教によって性規範は滅法厳しくなり、中世はヌード暗黒時代となる。


だから再度ヌード花盛りとなったルネサンスでも、あくまで神話のモチーフ(非実在)だったりキリスト教の布教目的という”錦の御旗”があった上でヌード表現は許されていた(それでも問題は生じた)し、その後の女性裸体画は長らく「◯◯のヴィーナス」「◯◯のダフネ」といったタイトルをつけることで、「これはあくまで神話のモチーフ」「非実在である」という建前を保持していた。
そういう中で裸体画の女が、建前上は非実在だが、実質は実在の女に見えることもしばしばだった。


それは当然、ポルノグラフィとしても機能していた。
貴族や豪商がお抱え絵師に伝統的な主題で絵を注文し、自室に飾り親しいセレブを招いて「どうだ、エロいだろ羨ましいだろ」と自慢する。そこに描かれた裸や半裸の女はたしかにヴィーナスやダフネだが、当世風のベッドルームにいる。横に当世風の男性が描かれることもある。「現実」に囲まれた女性の「理想像」、それは女性を見る側の「欲望」を高度に反映させ結晶化したものだ。
このことは奇しくも、「駅乃みちか」萌えキャラバージョンでも言えたことだった。ボディや顔の描き方は(誰かが女性に抱く)「理想像」だが、彼女を彩る各種アイテムは「現実」から持ってきたもの。反発した人には、それがポルノに見えたのだ。
(ちょっとエロ過ぎるんじゃないか?という裸体画は、昔はクライアントの屋敷にゾーニングされていた。今回の件も、最初からゾーニングされていたという意見を多数見た。つまり、一般人から見たらポルノ的に見えるかもしれないという配慮からゾーニングされていた、と理解していいのだろうか)


近代になって、マネがあからさまにこの「建前上は非実在だが実質は実在」の方法を取ったので、「それは言わないお約束」が崩壊してしまい大騒ぎになった。
しかしマネでもゴヤでもクールベでもそれ以外の芸術家でも、ポルノを描くのが目的だったのではない。「理想像」をあくまで追求したかったわけでもない。
芸術家にはルネサンス以来、リアリズムの追求という命題があった。「先人たちが描き尽くしたヴィーナスとか手垢のついたモチーフ経由じゃなくて、今そこにいるナマの女の姿をリアルに描きたいんだよ!」という欲求が沸き上がってくるのは必然だ。
19世紀のフランス画壇に君臨していた古典派のアングルは、ちょっと違った。あくまでギリシャ風の、非現実的なまでの理想像を手放そうとしなかった。以降、古典派(理想派)と写実派が覇権を争うが、そうこうするうちに一部の芸術家は「ありのままを写すんじゃなくて感じたままを描きたいんだよ!」とか「女とか花とか風景とかモチーフに囚われたくないんだよ!」という自己中な方向に行き始め(以下略。


参照:「エロい絵」で学ぶ西洋美術史 - NAVER まとめ
ここの1ページ目の最後の方に出てくるクールベの『世界の起源』(画像は直接貼られていないがWikipediaには出ている)こそ、あまたのエロティックな裸体画が避けて通ってきた「欲望」の真の中心だ。この「現実」において初めて、「理想」と「欲望」は分裂する。最後の個人所有者はラカンだった(さもありなん)。


西洋美術史とは、一言で言えばリアリズムの歴史だ。写真が登場して狭義のリアリズムは絵画の命題ではなくなったが、その後の抽象絵画であろうがアースワークやパフォーマンスやインスタレーションや映像表現であろうが、「現実はこうだ」「これが現代の新しいリアリズムだ」という主張が、西洋美術の底流を貫いている。
「理想」や「欲望」を手放したのではない。「現実」をあるフィルターを通した特殊なかたちで見せつつ、その底に「理想とは何か」「我々の欲望とは何だったのか」、ひいては「我々は何者か」という問いを潜ませている––––少なくとも西洋美術の文脈では、そういうものが優れた作品とされてきた(一方で美術市場はそういう建前さえ崩しつつあるが)。



記事は、このように結ばれている。

[…]「芸術」と認められるには、多くの賞賛と同様に、多くの批判にも耐える必要がある。耐えられるだけの特性と理論が必要だ。「駅乃みちか」や「萌え絵」には批判に耐えられるだけの価値があるだろうか。私は、そうあって欲しいと願う。


なぜそれが「芸術」と認められねばならないのだろう?という疑問が私にはある。認めるのは誰なのだろう。西洋美術の裸体画の流れが参照されているということは、「西洋」に認められねばならないということなのだろうか。


今回、「性的誇張表現がある→裸体を連想させる→ヌードと言えば西洋美術」という連想で、「萌え絵」*1の源流に西洋美術があるかのような指摘があった。たしかに、「萌え絵」(というかアニメやマンガ)の中で使われる、遠近法を始めとしたさまざまなリアリズムの表現は、西洋美術由来のものが多い。
しかし「萌え絵」を西洋美術史に直接接続し、その文脈上で評価するのは、少し難しいのではないかと私は思う。女の子の「理想像」として「誇張表現」された「萌え絵」と、あたかも「理想」的な実在が ”そこにあるかのように” 描かれている西洋美術の裸体画とは、表現のベクトルがまったく違う。
「萌え絵」はむしろ、日本の浮世絵・美人画の文脈にあるのではないか。


浮世絵で描かれる女は、細かく見れば江戸期前半と後半でも違いはあるが、「理想像」に向けてかなりの「誇張表現」がされている。
細く吊り気味の小さな目に細長く通った鼻筋、口はあくまで小さく、瓜実顔が多い。顔に対して手足(末端)は小さく、着物が幾重にも身体を覆っているわりに、時折、腰から膝下にかけてやけに細くぴったりと体にまとわりついていたりする。そこだけ、見えない後ろ側を洗濯バサミかなんかで摘んで、柔らかい体の線を浮き上がらせているかのようだ。
体に密着していない部分の着物の描線も曲線的で、エロ表現を見慣れた現代の目にも何か肉感的なものを感じさせる。役者絵にもこの傾向は見られるが、やはり美人画に顕著だ。直線裁ちの着物の着姿のシルエットが、あんなふうになることはありえない。
ここでは、露出の少ない衣装を描いて女っぽさ、エロティシズムを醸し出すための、「誇張表現」が取られているのだ。その誇張された「理想像」に、髪型と化粧で女の年齢、階級を表し、着物の柄で季節や流行を表すという「現実」感が付与されている。表現されたものの内容は違うが、方法は「萌え絵」と共通するものがある。


「萌え絵」がいわゆるエロ漫画と作画スタイルが似通っているように、美人画春画に登場する女は同じ手法で描かれている。(キリスト教的)西洋的価値観が全面化する以前、性的な表現は濃度は違えど、空気のようにそこここにあったのかもしれない。少なくともそうした規範はゆるい面があった(たとえば明治の初め、女性が授乳に際して乳房を隠さないことに驚く外国人の記述とか)。
ただし、美人画のモデルは「萌え絵」が想定するような普通の女の子ではなく、◯◯小町と言われるような評判の美人か、◯◯太夫と言われるような花魁や芸者だった。美人画日本画に吸収されて消えていったが、そのずっと後に、そこらにいる普通の女の子を「理想」的に描きたいという「欲望」が、少女マンガから発生。これまた、美人画とは違った「誇張表現」オンパレードの世界だった。
近代以降の日本は西洋を「目標」としたが、美意識は徐々に影響を受けても、「理想像」を独特なかたちで「誇張表現」する点は変わらず、ジャンル化されることでますます特殊な進化を遂げた(ここにまた日本特有の小さなもの幼いものを愛でる「かわいい文化」が流れ込んできていると思うが割愛)。



今では美人画も少女マンガも立派な研究対象であり、文化遺産になっている。春画は最近まで日本では展示に際して物議を醸すことがあったものの、ほぼ文化遺産の仲間入りをしている。
マンガの展覧会もあちこちで行われている現在、美術でなかったものが美術館で展示されるということは「芸術」とのお墨付きを得たということではなく(そういう例もないことはないが)、文化として研究に値する対象になっているということだ。
文化はそれが発生した土壌の地層から見なければならないから、極めて日本的な表現である「萌え絵」は、西洋美術より日本の美術を参照する方が自然に感じる。そもそも裸体画などの西洋美術は元は一部のハイソサエティのためのものであったが、浮世絵や「萌え絵」の出自はそうではない。
浮世絵などを例に出すと、「かつて西洋で芸術的評価を得た、だから「萌え絵」もということか」と思われそうだが、逆だ。すぐに西洋美術参照になったり「芸術」(その概念も西洋の産物)になるかどうかを気にするのも含めて、あっちの評価軸だけに頼る必要はないのでは?ということ。


「萌え絵」に、文化として研究に値する「(多くの批判にも)耐えられるだけの特性と理論が必要」だとすると、とりあえずさまざまな美術批評のスタイルが参照されるに違いない。マンガ研究でも普通に使われていると思う。主なものとして、
・印象批評‥‥主観を出発点とする
・フォーマリスム批評‥‥造形要素や形式を分析する
・イコノロジー‥‥図像を解釈する
精神分析批評‥‥作り手や鑑賞者の「欲望」に沿って分析する
ジェンダー批評‥‥ジェンダー観点から分析する
など。これ以外に「萌え絵」の場合、「公共」を巡る議論がある。
この中の三つくらいは組み合わせられそうだ。それは総論として、「理想とは何か」「我々の欲望とは何だったのか」、ひいては「我々は何者か」という問いを孕んだ日本文化論に繋がる射程を持つものになる。
何を大袈裟な‥‥と言わないでほしい。斎藤環だって「ヤンキー」をテーマに日本文化論を書いた。「萌え絵」をテーマにする人がいてもいい。文化を研究するとはそういうことじゃないか?


おそらく既にその手の研究をしている人はいるだろう。バルトの『表徴の帝国』や九鬼周造の『「いき」の構造』あたりを参照しつつ、「西洋を受け入れる以前の日本の絵画と、受け入れた後の近代美術からは漏れたものであるマンガ・アニメ表現、この二つの歴史的断絶の上に「萌え絵」はある」とか何とかいう切り口で(例えばの話です)。
村上隆はそういうことをアート作品で非常にわかりやすく自覚的にやって、オタクの人々から「アートによるオタク文化の搾取」として反発を受けたが、「文化」としてきちんと研究対象にされそれが蓄積されるということなら、オタクの人も怒らないんじゃないかと思う。

*1:ここで「萌え絵」と言っているのは、「萌え」を喚起するようなマンガ・イラストの総体ではなく、その中でも身体の性的特徴が強調(誇張)表現されている女の子のマンガ・イラストを指している。

地面に絵を描き、そこに入ること

数日前にTwitterで見た一枚の写真が、頭から離れない。


https://twitter.com/KO_SLANG/status/786360298617700353


地面に簡素な線で描かれた形は、この女の子にとっては“母そのもの”なのだろう。脱いだ靴がそのことを物語る。膝を抱えて眠る女の子は、再び母の体内に還ろうとする胎児のようだ。
「もう一度お母さんの懐に抱かれたい」という子どもの思いが、こんなに痛々しく伝わってくる光景を私は知らない。


このtweetを見てRTした二日前に、あいちトリエンナーレで展示されている大巻伸嗣のインスタレーション作品《Echoes Infinity―永遠と一瞬》の上を歩いたことを、ブログに書いていた。
花を踏む

自分の写り込んだ写真しかなくてすみません。


一方は、戦争で母を失った女の子が自分のために描いた絵。もう一方は、不特定多数に向けて発表されたアーティストの作品。どちらも地面(床)に象られた絵であり、人がその中に入って完結する。そういう意味では同じだ。
だがここに感じる落差は何だろう。いやそれは落差ではなく、本当は共通するような何かがあるのか。


地面の絵とその中に眠る女の子は、この光景を発見し胸を打たれ、それをもっとも効果的なアングルで撮影したイラクの芸術家によって、一つの作品となった。比較するのであれば、この写真と大巻作品を比べねばならないのかもしれない。
だがそうすると、現実をそのまま切り取ったドキュメントと、抽象化を施したアート作品の比較となり、「戦争を撮った写真と戦争を描いた絵とどっちがインパクトがあるのか。写真ではないか。いや絵の方に訴えるものがある」的な話になるので避けたい。写真であれ絵であれ、訴求力は個々の作品によるとしか言えない。


地面(床)に描かれた二つの絵。単純に比較できるものではないことは承知の上で、考えてみる。


・素材と手法
イラクの女の子の絵の材料は、そこらへんに転がっている白いチョーク。大巻作品はアーティストが世界中を旅して集めてきた、総重量1トンにもなる色とりどりの鉱物の粉末。
女の子の絵は一本の簡素な線で描かれ、大巻作品はさまざまな文様がステンシルの方法で手間ひまかけて作られている。


・形式(状態)
女の子の絵は、他人が踏み込んではならない“聖域”だ。勝手にその絵を踏んだり消したりすることは、再び女の子から母親を奪うのに等しいだろう。この絵が女の子にとって過去のものになるのは、母の死を乗り越えられた時だけだと思われる。それにどれだけの時間がかかるのか、私には想像がつかない。
大巻作品は文様の緻密な美しさとスケール感によって、冒してはならない“聖域感”を醸しており、作品である以上、作家の許可があるまでは踏み込めない。ただ観客が絵を踏む行為は、あらかじめ想定されている。つまり時間の経過を観客に意識させるための計画がある。そして作品は会期が終われば撤去される。


・動機
女の子の絵は、「母親の死」という幼い子どもにとっての最大の惨事が動機となっている。
大巻作品については、アーティスト本人の言葉を引こう。
「[‥‥]自分を見つめ直すために始めた作品で、文様や花が描かれた空間を意識的に踏みしめた軌跡によって、“今”という時間を再認識して未来に向かえるんじゃないかと。個から始まる木霊だったので《Echo》というタイトルにしたんです。その後、2005年に《Echoes-Infinity》と複数形にして世界各国で展開してきました。その過程でまたいろいろな思いを抱えていたんですが、東日本大震災が起こって、考えてきたことが一瞬にして流されて、消えて。その中で、それをもう一回再生したいという気持ちに、なかなかならなかった。それで、“見えなくなった存在”や“死”を問う作品ばかりを制作してきたんですが、もう一度未来のために《Echoes-infinity》をやらなければならないと思っていたところでした。」(「あいちトリエンナーレ2016公式ガイドブック」より)


間接的には「死」が関わっている、少なくともその記憶を経過した後の作品ということのようだ。「未来のために」ということは、どういうことなのだろうか。未曾有の大災害による死を乗り越え、この先に「希望」を見たいということなのだろうか。曼荼羅のように描かれた花や鳥の文様は死者への鎮魂であり、それを「踏みしめた軌跡」を示すことによって、すべては変化していくということを表しているのだろうか。
あの震災以降、アーティストもそれを無視して作品を作ることはできず、言葉も発することができなくなった(そういう人が多かったと思う)というのは、わかる気はする。けれども、すべての作品は多様な解釈に向かって開かれているので、見る側にとってそこらへんは、実はどのようにも言えそうなことなのである。


前の記事で少し触れたように《Echoes-Infinity》は、「繊細で美しいものが人にもたらす不可侵的感情と相反する破壊欲」がテーマだろうなという印象をまず受ける。
美しいお花畑を目の前にして、踏み荒らそうとする人はなかなかいない。しかしその一方で、美しいものをめちゃくちゃにしてみたいという黒い欲求も人間の中にある。それらの相反する感情は、「美しいお花畑を描いた絵」に対しても抱きうるものだ。単なる絵なのに、人は実物と同じような感情、感覚を抱く。


つまり、「絵という虚構の中に実在を重ね合わせざる得ない人間の感覚」が、そもそも根底にあるテーマではないか。
もちろんそれは、絵というものを人間が描くようになってからこれまで、ずっとつきまとっている極めて根源的なテーマだ。「踏み絵」は、その人間の感情や感覚を利用したものだ。


そして、「絵という虚構の中に実在を重ね合わせざるを得ない人間の感覚」を私たちは共有できるからこそ、地面に亡き母の像を描いてその中で眠る女の子の姿に「胸が切り裂かれる」のだ。