なぜ韓国の男なのか

体型を愛でる

ここのところ、女性芸能週刊誌のグラビアに頻繁に登場しているのは、日本人のタレントではなく韓国の俳優達である。
先日も喫茶店に行って新しい週刊女性を開いてみると(私の情報源はこれだけか)、ペ・ヨンジュンを始めとした6人の若手俳優の全身のショットが、見開きにでかでかと並んでいた。パク・ヨンハチャン・ドンゴンウォンビンイ・ビョンホン‥‥。後一人は忘れたが、別にファンでもない私まで、いつのまにか名前をインプットされている有り様。


6人のうち5人は、イタリア製とおぼしき濃紺のピンストライプのスーツを着用。一番若手のウォンビン木村一八似)は、白のくりの深いVネックのサマーセーターにサテンぽい光る生地のジャケットで首にはネックレス。全員、今にも跪いてくれそうな感じ。
6人の並びから立ち上る雰囲気は、どう見てもホストである。日本のタレントのファッション感覚とはややズレているが、このベタさ加減がまた主婦に受けているのだろう。


注目すべきは「ずらりと並んだスター、あなたのお好み体型は?」というキャッチがついていたことである。
「お好みタイプ」ではない、「お好み体型」。韓国→徴兵制→軍事訓練→鍛えられた体型という連想だ。こういう衒いのない表現が、読者の心を掴むコツなのだ。
それぞれの俳優の写真の下に書かれた「解説」を読んでみると、並んでいる言葉はほとんどカラダ関係の描写。「しなやかな身体」「ひきしまった身体」「背中と下半身が美しい」「たくましいからだ」「骨格」「筋肉」‥‥‥。古代ローマの奴隷の品評会かと思う。


同じことを、週刊ポストあたりができるだろうか? ちょっと無理だ。韓国の女優を並べて「あなたのお好み体型は?」なんて、いくらオヤジなポストでもシャレにならない。クレームがくる前に自主規制である。
なぜ女性誌では、それがOKとなっているのか。

エキゾチックな男

日本人に似ていると言っても、一般の多くの女にとって、韓国の男はまだエキゾチックな存在かもしれない。「冬ソナ」ブームで、ますますその幻想のベールは厚くなった。
つい最近、26人も殺した連続殺人犯が逮捕されたという、俄「韓国大好き女」に冷や水を浴びせるようなニュースがあったが、一旦できあがったイメージは当分ビクともしないはず。


ちなみに週刊ポストによれば、都内に一店舗だった韓国人ホストクラブは今や10店舗に増え、冬ソナ見てるだけでは飽き足らない「人妻」で大盛況であるという。
男が、フィリピンのメロドラマや女優が好きだからという理由で、フィリピンパブに通うだろうか。あまりそういう回路はないような気がする。でも女は行っちゃうのだ。冬ソナのような恋愛を夢見て。恋愛というより「情」を求めてかも。
今「人妻」がどこまでせっぱつまっているか、「人妻」の夫の人はよく考えるように。


韓国の俳優の魅力を一言で言うと、「古風な男らしさ」ということのようだ。暴力を振るうような古風ではなく、誠実で一途な古風である。
かつて欧米人の男は、日本の女を古風な「やまとなでしこ」として見たがった。そのエキゾチズムの影には、先進国欧米の男から近代化の遅れたアジアの女を品定めするという、差別意識が隠れていた。では現在の、韓国の俳優達への熱い視線の中には何があるのか。


韓国は経済的にはいまや日本を追い抜く勢いだと言われるが、恋愛の様態や先端文化風俗においてはおそらく日本の方が先を行っているだろう(と日本人は思っている)。つまり日本の中に「まだ全体としてはこっちの方が上だもんね」という、漠然とした優越意識がある。
優越意識は嵩じると「四の五の言わずにこっちの言うことを聞け」という態度になる。かつて朝鮮半島を統治下に置いていた日本はそうであった。
女に対しては当然性的支配も加わって、社会的と性的に二重の支配をされていた植民地の女は、最も悲惨な存在だった。その記憶を呼び覚ます危険性があるので、日本の男性向週刊誌は、韓国の女優を並べて無邪気に「お好み体型は?」と書くことができない。

甘く危険な関係

しかし、韓国の男に対して日本の女は、微妙な位置にいる。
経済的繁栄や文化風俗では一歩リードの日本人でありつつも、男に対しては劣位な女という立場。劣位とは女性の経済力や社会的地位云々というより、セックス時の「実質的な主導権」を握っているのが主に男だという事実である。*1
だから、日本の女性が他国のアジア人男性に対してたとえ優位に立ったとしても、男がするような二重支配は難しいと思われる。難しいから逆に、女性週刊誌の「体型」品定めも成立してしまうのではないか。このあたり、韓国に愛人を持つ小説家岩井志麻子の意見を聞いてみたい。


平たく言ってしまうと「人妻」のイメージの中で、韓国の男と日本の女は「奥様と召し使いの男」という関係になろう。
日本版エマニエル夫人を「人妻」はやりたいのだ。韓国人と日本人に上下関係はないでしょ、という当たり前過ぎるツッコミはなし。重要なのはイメージ。


昔、孤島に漂流した「奥様と召し使いの男」の関係の推移を描いた『流されて』というイタリア映画があった。
孤島では社会階級より性的階級が全面化し、奥様は召し使いの虜になる(エマニエル夫人+チャタレイ夫人)。だが島から救出されて現実に戻ったとたん、何事もなかったかのように元の関係に戻る(プレイ・ウィズアウト・ワーズ)。
「孤島」に逃避して現実を忘れたいのだが、一応こちらが上に立っているのであるから、カラダを品定めし値踏みする権利がある。
でも性的にリードするのは嫌。「お好み体型」の召し使いに跪かれて、「奥様」と言われて押し倒されたい。今どきそんな妄想を見させてくれる男は、日本にはおらん。いたとしてもリアリティなし。それに相手があんまりガキじゃだめ。やはり大人の男でないと。


適度にエキゾチックでロマンチックな香りのする、「情」の深そうな韓国の男は、そこにぴったり合致する。異文化と社会階級と性的階級が交錯していてこそ萌える。それが日本の夢見がちな(夢見るしかない)主婦にとっての「甘く危険な関係」だ。
韓国の人気俳優をホスト扱いして「体型」を品定めしていた女性週刊誌の読みは、的確である。


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*1:8/7追記:誤解する人が出てるようなので書いておくと、これは男性の勃起がなければ性交の遂行は実質的に不可能、逆に男性の準備さえできていれば女性はできてなくても可能(ここから男性から女性へのレイプが生じ易くなる)という非対称を指している。性的支配とは、己の欲望を強引に遂行できる側のもの。