ホストという生き方

プロジェクトXVシネマ

去年は『黒革の手帖』がドラマ化されて話題になり、お笑い芸人ヒロシも好調なので、今年はホストを主人公にしたテレビドラマがスタートするのではないだろうか。
などと思っていたら、テレビ東京系で『Deep Love〜ホスト〜』というドラマが始まっていた(地方局では来週から)。原作の『Deep Love』は、4、5年前にケータイ小説として女子高生を中心に大ヒットし、書籍化、映画化、コミック化までされたもの。
見ても読んでもないが、その第一章の『アユの物語』は既にテレビでドラマ化されたそうなので、今度は第二章の話らしい。


最近、ワイドショーやドキュメント風の番組でも、ホストクラブで働く青年を取り上げているのが目につく。月給10万の新米ホストから年収1億のNo.1ホストまで、その日常生活や仕事ぶりや月々の売り上げや上下関係や生い立ちや。
ホストクラブには行ったことがなくこの先行く予定のない私でも、いっぱしのホスト通になれそうなくらい、紹介が細かい。
それはいいのだが、その取り上げ方というか語り方がなんかすごい感じになっている。
「ジュンはその日出勤しなかった。いったい何があったのか」
「それはタツヤのプライドが許さなかった」
「やるしかない。ついにトシキは腹を決めた」
「自分の読みの甘さを思い知らされたリョウ。しかし他のホストのためにもここで諦めるわけにはいかない」
(適当ですがこんな感じ)。
ホストクラブで働いている青年の、「こんなふうに語ってもらいたい」といった気持ち(推測)が、そのナレーションに濃厚に反映されているような気もする。
「伝説のホスト」という言葉も好まれる。あと「夢」「意地」「ビジネス」も。 ホスト版プロジェクトXか。


No.1ホストとなると、もうひとかどの人物みたいな紹介の仕方である。当人もそれを心得てる感じで、インタビューにも自然にタメ口が混じるのである。一晩に一人で何十万も稼ぎ出せれば、そこらの若者でもこんなに構えに余裕が出て来るのかと感心するばかり。
「一万人のホストがシノギを削る新宿歌舞伎町」「ナンバーワンの座を巡って生き馬の目を抜く非情なホストの世界」といった派手な文句が、こうした番組に冠されている。夜の歌舞伎町をブランドスーツの肩を揺らして歩くNo.1ホストを仰いで撮ったシーンが、大抵挿入されている。
こういうのはどこかで見たことがあると思ったら、Vシネマだった。


VシネマプロジェクトXに共通しているモチーフは、「男の生きざま」である。「非情な男の世界」では必ず「生きざま」が描かれなければならないのである。ホストも然り。
ヤクザみたいな威圧感もプロXの理系男の頭脳的蓄積もホストにはないが、そこは愛嬌と若さでカバー。安くても硬軟両面を押さえているのが、ホスト・ドキュメンタリ番組の醍醐味。
もしかすると、ホストを描いたドラマスタートに鑑み、撒き餌として、同じテレビ局で何ヶ月も前からホスト関連の番組を時々組んでいたのだろうか。さすがにテレビ局まではチェックしていなかったが、それはあるかもしれない。
いずれにしても、ホストという世間に誤解されがちな(?)職業をこんなふうに認識させたいという、何かよくわからないが闇雲な意図をそこに感じる。


最近は、人気ホストの写真集まで出ているそうである。
先日ワイドショーで紹介されていたところによると、スーツ姿でキメたショットだけでなく、お母さんと肩組んで写っていたり、子供をお風呂に入れていたりといったカジュアルな素顔が紹介されている。
お袋、ガキと言えば、ヤンキーの泣きどころ(ヤンキーかホストは)。女から高い金を吸い取るあこぎな商売という先入観も、これで払拭される。 ホストに「普通の男」の顔も見たい女の琴線に触れること必至である。

芸としての詐術

ホストの番組では当然お店の営業風景があり、お客の女性が写されているのであるが、顔はボカされていることが多い。
しかし先日の番組では、No.1ホストと同伴で来店したうら若い女性がしっかり写っていた。かなりの美人である。そしてVIPルームでドンペリ1本を抜き、1本をキープして帰っていった。締めて28万とか。
どうもこれは番組向けにホストクラブが仕込んだんじゃないのか、という気がしてしょうがないが、ほんとだとしてもどこかのホステスかキャバクラ嬢で、パパがついている人であろう。こういう番組でインタビューに応えていたり、顔出している女性は、お水関係の人だと思う。


別の番組では、普通の若いOLで一ヶ月に一回、いつも一人で来るという人も紹介されていた(顔は出てない)。
彼女は月給が入ると、人気ホスト、トシキ(仮名)に会いにやって来るのである。かといって、1本10万もするドンペリを抜けるわけでもなく、お目当ての彼を一人占めしておくことも、帰りがけに「タクシー呼んで」と言うこともできない。
駅まで徒歩で帰る彼女を、トシキ(仮名)は毎回店の外まで送っていく。
「大丈夫?気をつけて帰りなよ。また来月待ってるからね」
殺し文句である。
「気をつけてね。またいらしてね〜。待ってるわ」という、ホステスなら誰もが言っているようなことを同じように言っているだけだが、営業トークに過ぎないことが、ホストにハマったOLにはまた一ヶ月地道に働くモチベーションになるのである。
そんなものに少ない給料浪費するなよと言っても、きっとトシキ(仮名)は彼女の王子様なんだろうから仕方ない。


お姫様として扱われて、できれば王子様(ホスト)にクドかれてみたいのが、ホストクラブの女性客の心理であろう。お金で買う王子様であるが、そういうことは一瞬だけ忘れるのである。
忘れさせて夢を見せてあげるのが敏腕ホストの手練手管。純愛ドラマなど現実には起こりそうもない環境で、ふと金銭を越えた愛を夢見させてしまうような高尚な詐術を、ホストの人々は日夜芸として磨いている。
‥‥行ったこともない人がテレビの情報だけで勝手なことを書いているが。


ホスト、ドラマで検索してたら、『桜蘭高校ホスト部』というのがやたらとひっかかってきた。マンガ雑誌月刊LaLaの連載で、CDドラマ化までされているらしい。
もうシンクロ男子部なんて牧歌的なものではなく、明日の金儲けのためのホスト部なのである。これだけホストホストと言われれば、普通に就職する気もないがフリーターやニートは嫌だというイケメン高校生は、そっちに流れていきたくなるだろうと思う。
高級水商売の場はもともと、おじさん達の接待の場であった。
昔の映画などを見ると、クラブやキャバレーやバーのお客は身なり卑しからぬ中年男性ばかり。キャバクラが広まったお陰でそういう大人の世界も崩壊し、ホストクラブの隆盛で高校生までがホスト稼業を目指す時代となった。


しかしホストが主人公の『黒革の手帖』は、成り立ちそうにない。
大金持っている海千山千のオヤジ達vsオヤジ達を転がしてノシ上がる女という古典的な構図が、万人に説得力をもってこそのドラマである。
大金持ってる海千山千のオバサン達vsオバサン達を転がしてノシ上がる若者なんて、全然リアリティがない。 そもそもホストクラブで女が女を接待するなんてことも、一般化していない。
男社会で男の言うこと聞いてチマチマやってられるかという野心家の女が、特殊な環境の中、普通では太刀打ちできないような男達と頭脳戦で対決したので、見栄えがしたのだ。
それがあらゆるところにある男と女の権力関係になぞらえることが可能だったから、注目されたのだ。
その点、男のホストは「不利」である。


女の場合、水商売がなくなったらやれる仕事がもうない、行き場がないという人が多いだろう。そこから転落したら、後は体を売るだけというイメージは強固だ。
しかし、テレビのホストを見ていると、ダメだったら土方でも沖仲仕でもやればいいじゃん若いんだし、という気になってくる。ドラマのホステスにあるような崖っぷち感が、今いち感じられない。
そのへんの物足りなさを、「非情な世界の男の生きざま」の演出でカバーしているのかな。