恋愛のかたわ(←差別用語)

ピンク・コーナー

そこらの本屋に行くと、必ずピンクのコーナーがある。
フランス書院とかの官能小説文庫の並んでいるコーナーのことではない(あそこは見た目黒い)。女性ファッション誌のコーナーは全体にピンクが目立つが、ここで言うのは雑誌ではなく単行本。女性向け。ハーレクイン・ロマンスではないよ。さて何でしょう。
別にもったいぶることもないが、「女の生き方指南本」コーナーである。そういうジャンルが確立されたのはいつ頃かよく知らないが、書店の中にいつのまにか一区画を形成している。背表紙の文字、または表紙全体にピンク使用率が高いので、そこだけ全体にピンク色に染まっている。
それを見ると思い出すのは、トイザラスの女の子用おもちゃ売り場。あそこも凄まじいまでにピンク一色だ。そして本屋で、ピンクの面積は年々少しずつ拡大しているような気がする。


現在、そこに並んでいる本の題名を、名古屋駅西口地下街のとある書店に入ってチェックしてみた。
『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』
『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』
『王子様に出会い愛されるシンデレラの教え』
『幸せに愛される美人の秘密・夢もお金も手に入る、新しい自分の作り方』
『なぜか好かれる女性50のルール』
『かわいいおんなの創り方』
『小悪魔の成功法則』
『モテ本!(なぜか男を惹きつける50のテクニック)』
『愛される女性になる30のヒント』
『女性が大切にされるための49のルール』‥‥。
なんというか、身も蓋もない率直さである。50とか49とか30とか、あまり根拠がありそうに思えない数字を、ルールとかテクニックとかヒントなどの言葉で言いくるめているのも特徴的。
男性向けビジネス書のコーナーでは「成功」「デキる」がキーワードであるが、ピンク・コーナーでは「幸せ」「愛される」。狙いが非常にはっきりしている。書棚を眺めていると、女の欲望がピンクの渦を巻いているようでクラクラしてくる。


一昔前のピンク・コーナーは、まだピンク度が低かった。
「30からの女の生き方」「イキイキおんなの一人暮らし」「ナチュラルに生きよう」(今、適当に作った)みたいな、こういう女の生き方ってステキでしょ新しいでしょと焚き付けているような感じのタイトル。これはこれでなんとなくウザいものがあった。『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子)というのも有名だった。いわゆる80年代のクロワッサン系。
しかし今「生き方」も「一人暮らし」も、ピンク・コーナーにはほとんどお呼びでなくなった(「ナチュラル」は「スローライフ」好きな女子に愛好されて生き延びている)。
「料理がうまい」は、未だに男子が女子に望む結婚の条件の第一位を「かわいい」と争っている(私の授業アンケート調査による)が、「聡明」は駆逐された。


それにしても、本のタイトルを書店で端から順にコソコソと手帳に書き写すのは疲れた。まだまだあったが、途中で力尽きてしまった。というか、そのコーナーの前で目を皿のようにしていたら、
「この人いい歳こいて、まだ「愛されてお金持ちにな」りたいとか「王子様に出会い」たいとか「なぜか男を惹きつけ」たいとか、身の程知らずのことを思ってるわけ?」
「書店で買うのは恥ずかしいんで、タイトルだけメモしてアマゾンで一括購入するのね」
と見られるのではないか? そういう自意識が邪魔をして、調査途中でいたたまれなくなり立ち去ったのだった。自意識過剰。

「口ぐせ」で幸せになる

先に列挙した最初の『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』から4冊めまでは同じ著者、佐藤富夫という人である。
アマゾンのサイトで経歴を調べてみると、1932年生まれ、北海道北見市出身。早稲田の社会科学部と法政大、東京農大の大学院を卒業している理学博士、医学博士、農学博士で、現在Patent University of Americaの学長、独自の「口ぐせの科学」を全国のセミナーで広めているそうである。
一応その経歴を信じるとして、大学学長が出す本にしては、あまりにもお上品なタイトルだ。でも本はバカ売れ。「愛されて」本はかなり前から平積みされていた。


アマゾンで内容を見ると(最初からアマゾンで検索すれば良かったんじゃないか、本屋で不審な行動取らなくても)、『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』になるには、毎日2時間のウォーキング、一日二食+サプリメントの摂取、イメージトレーニングが必要。
運動、食事、脳。別段目新しいことは何もない。スポーツ選手かファッションモデルの基礎トレみたいなことである。
つまり、スポーツ選手でもモデルでもない一般人でも少し努力すればキレイになり、キレイになっただけで気持ちは前向きになり、恋も仕事もうまくいくという、雑誌でよく見かける美容・痩身関係のコマーシャルとおんなじだ。コマーシャルとほとんど同じ内容の自己啓発本を何冊も出して、大儲けしている佐藤先生。


しかし売れているとはすごいことで、カスタマーズレビューも絶賛が目立つ。
「心配しなくても、この本を読んでいるうちにやる気が出て来るので大丈夫!」
「将来への夢も希望も失いかけていましたが、この頃は気分も明るくなり、それに伴って周囲にも変化が表れてきました」
「少しの努力(私は努力とは思いませんが)で本当に女っぷりが上がります」
叶姉妹に「なりたい」のではなく、叶姉妹に「なるんです」」
レビューだけでも結構恥ずかしい気分に浸れる。中には、
「この本で実際ためになる事は半分くらいです。あとはなんだか同じ事を何回もくりかえしているような・・ちょっとうさんくさかったです」
という意見も。「口ぐせの科学」の人なので、記述がくどいと。同じような内容で何冊も本を出しているわけだから、相当くどいはずだ。佐藤先生の本は、先生の「口ぐせ」にハマれる素直な人向け。
前作の『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』(これは「口ぐせ」に重点を置いている)を読んで感動し、二冊目も買っているケースも幾つか。自己啓発本は、中毒性があるらしい。


「愛されてお金もちになる」女性とは、具体的にどのようなものとして描かれているのか。それを知りたいと思って見ていたら、なんと男性のレビューが載っていたので一部引用。

男性の視点から強調しておきたいのは、この本が男性の女性に対する本音を非常に率直にネタばらししていることです。正直、とても恥ずかしい。例えば「やる気にさせてくれる女性が好き」、「そういう素敵な女性に自分を認めてもらいたい、褒められたい」「いつも元気づけ励ましてほしい」「そうすれば、いくらでも頑張れる」(P.27)」や「ご飯を一緒に食べたいタイプ、連れて歩くのにいい美しい女、もっと素晴らしいのは、ベッドマナーのいい女性だ」(P.76)


これが男の「本音」であると言われても別に今さら驚かないが、その「本音」がばらされていることをこの読者は恥じている。そういう、男が読んで恥ずかしくなるような内容でも、女性にとっては「やる気が出て来る」のである。
毎日2時間歩いてサプリ飲んで「私はきれい」と口ぐせのように念じて、美しくなる。でもって、その「愛されるカラダ」で今度は男を「やる気にさせて」「元気づけ励ましてほしい」と。男による「キレイな女に愛されたい」本か。

「恋愛消費主義」社会

「愛されて」本はじめ、ピンク・コーナーの本のタイトルは、最近の若い女性向けファッション雑誌の記事タイトルと酷似している。
「愛されるナントカ」というのは、私の記憶では90年前後から女性雑誌で堂々と使われるようになったフレーズであるが、この数年やたら多いのは「モテ」。モテメーク、モテ髪、モテアイテム、モテカジュアル、モテブランド、モテスタイル。もう接頭語と化した「モテ」は、CanCamを中心としたオネエ、ギャル系雑誌に頻出している。
モテ=男受け。大変便利な言葉だ。一番モテたいのは金持ちのイケメンであることは、言を待たない。デートにどれだけ金をかけてもらえるかで、自分のモテ度を測るのである。


去年の大学のレポート(題材自由)でも、この「モテ」現象を捉えて「もういい加減にしてほしい」といった感想を述べる女子が数名出た。
が、女子の憤懣をよそに「モテ」は男性雑誌にもかなり前から出現しており、今ではLEONを中心としたオヤジ系ファッション雑誌に頻出。いやオヤジなので「ちょいモテ」などと言う。オヤジには小金がある。だから一ランク上のオシャレやメシやウンチク話でガキとの差をつけ、若い女に「ちょいモテ」ようと。
新書などでも、セクハラで逮捕された岩月謙司の『女は男のどこを見ているか』などをはじめとして、女にモテたい男をターゲットとしたような、あやしいエセ心理学本をよく見る。ネット上でも、いかにして非モテから脱するかのノウハウなどを掲載したサイトがいくつも。外見は言うに及ばず、コミュニケーション能力、適度な距離感、会話のキャッチボール、笑いのツボなどなど、必死である。
必死でモテ訓練をしたにも関わらず、要求水準のバカ高い女にばかりぶつかってしまい、言葉の暴力に晒され、女性不信に陥る人も少なくないだろうと思われる。


そこで出て来るのが、「もう女はいいです」。
そういう"決意"が、最近話題の本『電波男』に詳述してある。帯の文句は「もはや現実の女に用はない。真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った」。「俺たち」とは、非モテ・オタク(二次元萌え)男のこと。「現実の女」はここでは、恋愛行動によって大量の消費を行わせる「恋愛資本主義」に洗脳、搾取されてる負け犬女、ということになっている。
『負け犬の遠吠え』にあるのは結婚への諦観だが、その中でオシャレなライフスタイルにこだわるあまり、オタクに対する軽蔑を露にしているところが、「電波男」=非モテ・オタクの逆鱗に激しく触れた模様。
電波男」は要求水準のバカ高くなった、身の程知らずの女を糾弾する。
「アナログ女にとって愛とはセックスと金と食い物のことだ!」
「アナログ女は金持ちイケメンのちんちんを求めているだけだ!」


「全ての恋愛が、相手に何らかの見返りを要求する売春行為になってしまった」とする「電波男」の言い分に、一理あるとは思う。
しかし、オタクも「恋愛資本主義」の女も自分の理想、というか妄想の異性像を頑なに手離さない人である点では、同じである。妄想の異性像がむちゃくちゃ食い違っているわけだから、お互い相容れないのは仕方ない。
この本は、金持ちのイケメンに群がる女への憎悪に満ちているが、本音の部分はやはり「愛されたい」である。オタクがオタクのままで、異性に愛されたい。
電車男」は女に愛されるために脱オタするかどうか悩むから、批判の対象となる。女におもねってはイカンというわけである。確かに二次元の女なら、「純愛」は可能かもしれない。しかし一生二次元で満足すると覚悟できるオタクは、そう多くはないだろう。


異性に愛されたい。それは当たり前の感情だ。
そこにつけこんで、恋愛を消費活動に結びつけて大儲けしている人がいっぱいいる。モテ本はどれも「こうすれば異性を惹き付けられる」と自信たっぷりだ。若者ファッション雑誌からオヤジ雑誌まで、「こうしてモテろ」と"教育"に余念がない。
私ですら、広く浅くモテるためにはどうすればいいかくらい知っている。どこを見ても、「愛される方法」で溢れているから。「愛される」も「モテる」も、そこではもはや大差ない。


相手の期待することを要求される前に演じること、それが「愛される(モテる)方法」だ。「嫌われる方法」を考えたらわかる。相手の怒りを買いそうなことを先回りしてやれば、確実に嫌われる。
だからモテ男と言われる人は、愛の先回りに長けている人である。モテ会話もモテメークも同じだ。みんな先回りして待っているのだ、愛されるのを。


こうして「愛される方法」のデフレ状態が起こっている。


一方の方法について熟知して、「愛する方法」を知らない私達は、たぶん恋愛のかたわだ。