男子にはなれない ● 第七回 ● 肌の上の煩悩

肌見せと肌隠し

夏になると、女性は肌を露出する。女性といってもどちらかといえば若い女子。
私の行っている専門学校や大学でも、上はキャミソールやタンクトップ一枚という女の子が目につき出した。露出し始めの頃は皆まだ陽に焼けていないナマっちろい肌なので、妙になまなましい。肩甲骨の下の方まで剥き出しになった無防備な背中など、何か見てはいけないものを見てしまったような気になる。
知り合いの先生(男性)は、授業であまり大胆な格好の女子が前に座ると、眼のやり場に本当に困ると言っている。ちょっとでも胸のあたりに(偶然)眼が行ったら、セクハラと勘違いされるのではということを怖れているのである。


若い女性向けの雑誌などを見ると、「肌見せ」という文字が随所に見られる。夏は「肌見せファッション」でないと始まらない。だから4月頃からそれに備えてシェイプアップし、お肌の手入れを怠らないようにしろとうるさいのである。
しかし周囲にいる女子学生を観察すると、ちょっとくらい腕が太かろうが背中が産毛ボーボーだろうが、全然平気である。若さで「肌見せ」なのである。うらやましい。
私くらいの年齢だと大抵、人様に堂々と見せるべきものではないなと思い、大人しく半袖を着る人が多い。よほど自信のある人は露出してもいいと思うが、TPOが肝心だ。若い女子の背中は無防備で済むが、おばさんの背中はそれで済まない。
中年の露出系ファッションは、黒木瞳あたりが女性週刊誌のグラビアで見せていればいいのであって、一般人は真似しない方が無難だ。


しかし最近の女性を見ていると、逆に夏でも長袖の人がいる。
長袖だけでなく、手袋を嵌め、大きなサングラスにツバ広の帽子、首にはスカーフ、下は長いスカートかパンツ。五分袖で肘までの長手袋を嵌めている人を見たこともある。絶対陽に焼けたくない人々である。なぜかおばさんが多い。
手袋、スカーフ、帽子とくると、皇族の人々のファッションを思い出すが、そっち方面の特殊なエレガンスはない、ただひたすら頑な武装‥‥お日様に対して。暑い盛りにそういう完全武装の人が歩いていると、かなり異様だ。
確かに日焼けはシミ・ソバカス・小皺の元だから防御するに越したことはないが、そこまでムキになってしなくても。見るからに暑苦しそうだし、何よりその美白に対する執念の凄まじさが、オーラのように発散されていてこわい。


こんな人がいるのは日本だけではないだろうか。欧米のマダムは、夏はこんがり陽に灼けていることがステイタスである。ソバカスや小皺なんか気にしないのである(まあお金持ちのマダムは、秋になったらレーザーでシミソバカスを消して、お高いフェイスエステをするのだろうが)。
日本でもおばさんは普通、夏はラフなスタイルであった。
あっぱっぱ(ゆったりした簡単なワンピースのことをそう呼んでいた)を着て、遮光は日傘くらい。涼しげなプリントのあっぱっぱで、扇子をパタパタやりながらガーゼのハンカチで汗を拭き拭き、「お暑うございますねえ」などと挨拶しているおばさんが夏の風物詩だったのに、今ではとりつくしまもない完全武装である。
 

アメリカ暮らし(西海岸)が長かった人に聞くところによると、向こうでは若い女子もおばさんも、太ってようがシミ・ソバカスが浮き出てようがお構いなく、夏は肌見せらしい。みんな堂々と街中を腕や背中や腿をオープンにして闊歩しているそうだ。
彼女も滞在中は、タンクトップにショートパンツで平気だったという。何も恥ずかしくないのである。
しかし日本でそれをやると何か恥ずかしい。悪目立ちする。向こうでは普通だったものが、日本では普通でなくなる。結局日本人には、というか日本という風土には、肌の露出があまり似合わないのではないかという話であった。


なぜ欧米人は肌を露出していてもイヤらしくはなく、日本人だと妙にイヤらしくなってしまうのか。単に服飾文化の違いだけなのか。私も前からそれを不思議に思っていた。
こないだ名古屋駅で、かなり太った欧米人の中年夫婦が、二人ともタンクトップで歩いているのを見た(愛知万博に来た観光客だろう)が、別に違和感はなかった。タンクトップの太った中年の人というのは、ハリウッド映画に普通に出てくる。おそらくそういうイメージがあらかじめインプットされているので、見ても変には思わないのではないかと思う。
あれが日本人だったら、完全にNGだろう。日本の中年の男でタンクトップ着ていいのは、矢沢永吉だけである。女は‥‥思いつかない。

つけ乳首の謎

中年の話はどうでもいい。とにかく、若くておしゃれで大胆な女子の間では「肌見せ」の季節。胸とお尻と前以外なら、どこでも見せていいというところまで来た。
ヘソ見せなんて当たり前である。胸とお尻も上半分くらい見えている場合があるが、そういう女子を呼び止めて叱る人はいない。
背中出しファッションがカジュアルになったので、ヌーブラも定着した。肩や背中を露出した時にブラが見えてしまう、という問題解決のために考案された、乳房だけを覆うハイテクブラ。ピタッと肌に吸い付き、ホールド力も優れているということである。
いずれにしても背中丸出しの服を着ることがなければ、必要ないものであるが、世間ではよく売れているようだ。


だが、どうしても不可解なものが、一つある。つけ乳首という物である。
乳首の突起を誇示するための、ポリウレタン製乳首状突起物。吸着式と両面テープの2タイプがあり、ブラジャーの上から装着できるものもあるらしい。シャラポワ愛用疑惑("自前"だった)で一時期話題になっていたが、私はまだ現物を見たことはない。こっそり装着しているという人も知らない。
そもそも、何でこんなものが必要なのかもわからない。


ネットで調べてみると、アメリカでは「ニップル・エンハンサー」がつけ乳首の総称(いろいろ種類があるのだ)で、「ボディパークス」という商品が最初に出たものである。
「ボディパークス」を考案したのはミネソタの女性二人。ラスベガスへの旅行中酔っぱらってハイになり、ホテルのシャンプーの蓋を自分の乳首に被せて服を着て出て来たら友人に大受けしてしまい、そのままカジノに行って注目の的となり、これを商品にしたら売れるのでは?と試作を重ねてできたものらしい。
‥‥たぶんそういう下らないことから思いついたんじゃないかと思った。


ネット上で販売を始めると千個以上の注文が舞い込み、各種雑誌に取り上げられドラマで使用され大ヒット。日本でもネット販売されている。「ニップルン」という商品が人気だそうである。乳首がツンと立っているのがセクシーということで、売れているのである。
でもそんなにしてまで、乳首アピールしたいか?


私など中学生の頃は、ブラジャーというものは乳首の存在を抹消するためにあるのだと思っていた。ブラジャーなんか夏は暑いし胃のあたりを締めつけるし、何もいいことがない。唯一、乳首の存在を隠してくれるから、仕方なくしていた。
赤ちゃんにおっぱいを飲ませるためには大切な、女性の乳首である。性感帯としても大切である。しかし、普段のそれは目立ってほしくない存在である。それをニセの乳首までつけて目立たせようとは、理解に苦しむ。


アメリカではニセ乳首をつけて、「恥ずかしい」より「どうよ」と思う女性が多いのだろうか。男性もそれを「セクシーでいい」と思うのだろうか。
「今日はなんかセクシーだね」
「これ、つけ乳首よ」
「えー、本物じゃないの?(笑)」
と受けを狙うためではなく、騙すつもりでつけているのか。アメリカ人の感覚にはついていけない。
では上げ底ブラはどうなんだ、補正下着は?という声がありそうだが、それとこれとは向かっているベクトルが微妙に違うような気がする。もしかすると、ボディピアスとかそっち方面の好きな人が、つけ乳首に飛びついている可能性もある。


ちょっと前までは、「ニプレス」というノーブラの時乳首の存在を消すための、乳首に貼る丸いバンドエイドみたいなものがあった(今でもあると思う)。私も使用したことがある。貼っていることをうっかり忘れて銭湯で服を脱いで、奇異な眼で見られたことがあったが、つけ乳首よりはマシである。
その商品の根底にあるのは「恥」の感覚だからである。乳首なんかわかったら恥ずかしい、隠しておきたい、それが普通の感覚だったのである。それが逆転しようとしている。


しかしつけ乳首だって、つけていることをうっかり忘れて服を脱がされてしまったら、どうするのだろう。ブラの上にちょこんとついてるつけ乳首。「な、なにこれ?」 おそらく当分その男の顔をまともに見られまい。

女の煩悩

つけ乳首の話になると(って、しょっちゅうそんな話をしているわけではないが)、「最初からノーブラでいいのにね」と言う人がいる。それなら、つけ乳首いらずではないかと。 
ところがそうはいかないのです。
ブラジャーで、ちゃんと胸のフォルムとボリュームを理想的に整えねばならない。それプラス乳首も装着。まさに造形である。モデリングするのである。
そのうち、つけ乳首付きブラというのが売り出されるだろう。アメリカ人はそういうバカバカしいものを考案するのが好きみたいだから、もう既にあるかもしれない。


しかし、いろいろ考えてわかったことがある。
服を着て乳首がツンとしているということは、普通ノーブラかなと人は思う。ノーブラにしては、胸はまったく垂れていないきれいなお椀型。谷間もそれなりに。きっと美乳の持ち主だ。そう思わせたいのだ。なんという手の込んだ詐術だろうか。知能犯である。半胸半ケツがかわいく思えてくる。
乳首が服の上からでもわかるというのは、男が密かに見たい風景(もちろん若くてきれいな女子に限る)だと言われるが、それが「造形物」だったら? そこまでして男の目を欺き、”劣情”を喚起せんとしていると知ったら? 嬉しいのか嬉しくないのか、わからなくなってくるのではないか?
夏になって女子の肌の露出が多くなり、眼福として楽しんでいる男性も多いかもしれないが、「中の構造」をよくよく考えてみた方がよい。


つけ乳首の話で、ずいぶん引っ張ってしまった。 
肌見せ、美白武装つけ乳首と見てくると、「女の煩悩」というものが深く感じられる。
肌見せは、手持ちの資本をただパァーッと公開したいだけであるが、美白武装になると非公開にして着々と資本の蓄積に励み、つけ乳首はあたかも潤沢な資本があるかに見せて、空手形を切っている。どれが最も罪深いかは言うまでもない。
化粧も下着もファッションも、もちろんすべて詐術である。そういうものを使って男に性的アピールをし、扶養してもらわないと女は生きてこれなかったので、やたらとその方法に長けてしまった。
そして、そうしなくても生きていけるようになった今でさえ、次から次へと新たな詐術を編み出してはアピールしている。


大学の授業でアンケートを取ってみると、「化粧やおしゃれが時々すごく鬱陶しくなります。なんでしなくちゃいけないのか。女は面倒です」という意見がたまにある。もしかしたら名古屋嬢が書いているのかもしれないが、「面倒です」と言いながら仕方なくやっている女子もいるということだ。すっぱりやめる勇気はないのである。
私もこの歳になってまだ諦めがつかないのだから、そういう葛藤の中にある女子を責める気にはなれない。


しかし誰でも歳をとれば、それなりに解放される時が来る。化粧だけでなく、ブラジャーからも。
銭湯などで観察していると、七十半ばくらいのおばあさんで、ブラジャーなどしてない人は多い。してもしなくても同じだわ。ブラジャーって面倒だし、鬱陶しいしね。しない方が楽ちんだわね。誰が見るものでもなし。そういう諦観と共にブラジャーから解放されている。
そしておばあさんはノーブラの胸にポンポンと天花粉を叩き、さっぱりしたあっぱっぱをストンと着て、タオルを肩に引っ掛けて出て行く。何か、三十年後の自分の姿を見ているようだ。


12、3歳で初めてブラジャーをつけ、肌見せファッションを楽しみ、寄せて上げるだのヌーブラだの一通り試した人も、いつかそうなるのである。「女の煩悩」を少しづつ脱ぎ捨てる。たぶん完全に脱ぎ捨てることはできないだろうが。
こういうことは、男がどんなにおしゃれになっても、体験することはないだろう。


(初出:2005年7月・晶文社ワンダーランド)