男子にはなれない ● 第八回 ● 純潔の掟

シルバーリングの教え

「セックスはすばらしい!」
「セックスはすばらしい!」(唱和)
いったいなにごとかとぼんやり眺めていたニュース画面を注視すると、壇上で一人の男(白人)が聖書を振りかざして叫んでおり、会場の少年少女(見たところ白人を中心とした中高生)が、男の叫びをリピートしている。
あっけにとられて見ていたら、「セックスはすばらしい!さあ、今日からセックスを楽しもう!」ということではなく、「だから結婚までとっときます!」ということであった。二度びっくりだ。


これは、アメリカのカトリック系宗教団体「シルバーリング」の会合風景で、壇上の男は牧師。
少年少女は結婚まで純潔を守ることを誓い、誓いの証として銀の指輪を常に指に嵌める。そして、性欲に負けそうになった純潔の危機に際しては、指輪を見て誓いを思い出しぐっと堪えろということである。


唐突に『ロード・オブ・ザ・リング』を思い出した。世界を滅ぼす魔力を持った指輪なので、うかつに指に嵌めたりしてはいけないのだが、悪の冥王サウロンの追っ手に追いつめられて、恐怖のあまりフロドは嵌めてしまうのだ。
すると強大な磁力が生じて異次元に放り込まれ、危機から脱することはできるものの、フロドは指輪のパワーに当てられてぐったり。‥‥そんなシーンがあった。
世界でたった一つの指輪を巡って展開される、血で血を洗う争奪戦の旅。最後は、ようやく滅びの山の谷底に投棄されて一件落着となる。落着を見届けるまでに長大な映画を三本鑑賞せねばならぬので、DVDだと丸一日かかる。


シルバー・リングの話であった。
シルバー・リングはその会場の外のロビーで、パンフレットなどと共に10ドルかそこらで売られており、「結婚まで絶対に童貞、処女を守る」との誓いを立てた少年少女が買い求めていた。
10ドルくらいでばんばん売られる指輪と、それを手に入れるために殺戮まで行われる指輪とではかなり重みが違うが、"あわや"の事態に陥った時、指輪の魔力で身を守れるというところが似ている。
どんなに「もうこのままセックスに雪崩れ込みたい!」と思っても、臨戦態勢に入ってしまっていても、指輪を見つめれば「異次元」にワープできるのである。すごいことかもしれない。


しかしいい歳になってもそういうことを繰り返していると、どんどんプラスのパワーを吸い取られ、負のパワーが身中に蓄積されてしまうのではないか?
というのは他人のいらぬ心配で、十代半ばとおぼしき美少女(もちろんバージン)は「結婚まで純潔を守れそうですか」とのインタビューに、「そうね、できるだけ頑張ってみるわ」とにこやかに答えていた。
誘惑の多そうな美少女だからインタビューされたのであろう。あれがいかにもモテなさそうなオタク君や地味な女の子だったら、あえて訊いたりしない。「あなたは指輪なんかしなくても大丈夫よ」。そういう視聴者の意地悪な反応があるに決まっている。


テレビのニュースでこれが取り上げられていたのは、実はその純潔万歳の宗教団体にブッシュが資金援助しており、政教分離がはっきりと謳われていないアメリカだからといって、それはいかがなものか?ということであった。
ジョージ・ブッシュは結婚まで童貞を守っていたので、シルバーリングにシンパシーを覚えるのだろうという牧歌的なことではなく、自身の政治基盤である保守系カトリックの支持を固めるための、政治活動である。同性愛者の結婚は認めないと同様、結婚前の性交渉も認めたくないのである。


結婚してない人は、30になろうと40になろうと童貞・処女でいなさい。もちろん、十代の望まぬ妊娠・中絶や性病感染を防ぐという"目的"はそこにあるのだろうが、そのベースにあるのは途方もなく古色蒼然とした性規範である。


危険な指輪

調べてみると、「シルバーリング」運動発祥の地はイギリスのようだ。「イギリスのティーンエイジャーに処女を見つけることは困難だ」とか「アメリカでのムーヴメントはイギリスのレベルに達した」とか、向こうのサイトに書いてある。
こういうキリスト教団体は、それこそ世界中にあるのだろう。宗教的信条ならば、信じたい人は指輪でも首輪でも嵌めていればいいと思う。
世の中には逆に、セックスレスカップルが増えていると憂えてみたり、他人がちゃんとセックスしているかどうか気になってしまう人もいるようだが、結婚までセックスしないでいるのも、肉は一切食べないのと同じく、個人の思想信条の自由である。そこに、政治が関与するからややこやしくなる。


それにしても、そういう指輪嵌めていて、学校で虐められたりしないのだろうか?ということが気になる。
「こいつ結婚までセックスしないんだってさ」「おまえなんか一生オナニーしてろ!」とか。
「キャサリン、あなたほんとにバージンを通すつもり?」「じゃあサムは私が頂くけどいいわね」とか。
指輪を巡って争いごとが起こるのではないか。
男子の場合はバカにされるくらいで済むかもしれないが、女子はいろいろな被害が考えられる。


たとえば、結婚まで処女を守りますと常日頃示していたばかりに、邪悪な不良少年を刺激してしまい、「じゃあなんとしてでもバージン奪ってやろう」などと思い込まれて、しつこくつきまとわれる可能性がある。
「一度処女を無理矢理犯してみたい」という、暴力的な欲望を抱いている性犯罪者に目をつけられて、レイプされる可能性も高まる。「できるだけ頑張ってみるわ」の美少女なんか、すぐ標的だ。
こっちは指輪を見つめて「異次元」にワープできたつもりでも、向こうの性欲や征服欲を止める作用まではシルバーリングにないのである。


男子の場合だと、すごくかわいい女の子にセクシーに迫られまくり、臨戦態勢をどうにも解除することができず、「えーい、もう童貞卒業だ!」となってしまえば、それはそれで仕方ない。男性性器を女性性器に挿入するのを条件とした場合のセックスは、男子の準備が整っていて初めて遂行可能な行為である。だから、女子も暴力には訴えず「お色気作戦」でいくのだ。「お願い作戦」と言ってもいい。
しかし、女子が迫られる場合は違う。女子の準備が整っていようがいまいが、一方的に暴力で果たされてしまうことがある。半殺しにされるより、ヤラれた方がまだマシだと諦めさせるために、暴力は振るわれるのである。男の準備が整ってないのに無理矢理男性性器を女性性器に挿入させる女性から男性へのレイプは成立しにくいだろうが、男性から女性へのレイプは男の力で女を怯えさせたり戦意喪失させることができれば、いつでも可能である。*1
「お願い」しなければできない立場と、しなくてもできる立場。
無理矢理ヤラれてしまう立場と、そうでない立場。
究極の場面で、女子はどうやっても受け身。対等にはなれないのだ。


だが、筋金入りの「シルバーリング」信者の場合だと、事情が違ってくるかもしれない。このままでは「教義」に背くことになると思ったら、相手を撃ってしまったり、舌噛んで死んじゃうこともあり得る。狂信的な信者は恐ろしいのだ。
いずれにしても、「シルバーリング」は悪と災いを呼び込む指輪である。そういうものは、滅びの山の谷底に投げ捨ててしまうのが賢明だ。指輪の魔法になんか頼ってもロクなことがない。


それより正しい避妊の知識と護身術でも教えた方が、ずっと望まぬ妊娠・中絶や性病感染を回避できるのでは。それが普通の対策に思われるのだが、アメリカではいくら教えても、焼け石に水ということなのだろうか。
ネットで調べてみたら、全米50州のうちコンドームの使い方を学校で教えている州は、20州程度。それに代わり90年代に高校での「禁欲教育」が広まったおかげで、99年には十代の少女の妊娠、中絶件数が80年代より27%も減ったということである。
避妊方法を教える性教育より、禁欲教育。そこまでしないともうダメだとは。


性教育の方法

こういう事態は、日本にもあるようだ。最近、十代の女子の妊娠、中絶件数が増えているという話はよく聞く。19歳の女子の50人に一人が中絶経験者だとか。ではみんな、避妊の方法を知らないのか?
もちろんコンドームの使用法を一応は知っているのだが、しない。それは、気持ちいいからだけではない。十代の場合、女子の方が「言い出せなかった」「頼んでも断られた」というケースが多いのである。


妊娠の可能性があるのに、言い出せなかった? 場の雰囲気がシラケるから。そして男子に嫌われたくないから。
「頼んで断られ」てそのまましちゃったのは? やっぱり男子に嫌われたくないから。
きっと、「だいじょうぶだいじょうぶ。これまで妊娠させたことなんか一回もないぜ」とか「ちょっとだけ。お願いちょっとだけ」とか言われて、抵抗できなくなってしまったのである。
避妊を全然配慮しなかったり、女子が頼んでいるのに断る男子など論外であるが、相手がそういうヤツでも嫌われたくないのである、ある種の女子というものは。最初から対等性を放棄している。


いくら配慮しろと言っても、一定限の男子というものは決して言うことを聞かない。だから、具体的にどう拒否するべきか、どう男子とコミュニケーションとるべきかを女子にきちんと教えねばならないのであるが、いざとなると行動に移せない女子も、また一定限いるのだろう。
そんな中で先月14日、中央教育審議会は初めて「高校生以下の性行為を容認しない」性教育をするべきという基本方針を打ち出した。「性行為を一切禁止するものではないが、性教育をする前提として、性行為を容認しないことを基本スタンスとしたい」。
コンドームの使い方ではなく、まず正しい男女関係について教えなさいということらしい。


純潔教育というものが、戦後あった。まだ性教育と言われるずっと前、昭和20〜30年代のことである。調べてみると、シルバーリングと同様、「結婚までは純潔を守るべきです」という内容。それが「正しい男女関係」だったのである。
そういうパンフの類いが学校関係者に向けてたくさん出ていたようだが、中には「異性への手紙は封書ではなくはがきにすること」とか「異性とは机を挟んで席をとること」とか「二人きりの時は窓やドアを開けておくこと」とか、異常に変な細則がいっぱい書いてあるのまである。
中教審の方針がそこまでエスカレートするとは思えないが、ジェンダーフリー教育(の一貫だと思われている性教育)はフリーセックスを助長し伝統的な家族形態を破壊する、との誤解と偏見は保守派の政治家の間に根強い。アメリカの傾向となんとなく足並みが合っている。


だが「性行為を一切禁止するものではないが」という煮え切らない文句は、何だろう。きっと生徒から質問が来ると思う。
「キスしたり抱き合ったりするのはOKなんですか?」「セックスさえしなかったら他のことはいいんですか?」と。
「えーとキスってのはね、お互い本当に好きになった者同士が‥‥」と教師がモタモタ答えている間に、
セカチューだってキスくらいしてたよね」
「キスじゃエイズ移らないよ」
「一緒にお風呂に入るのは?」
「きゃーきゃー」
と、生徒が騒ぎ出すこと必至だ。混乱が予想される。


ところで、女子の望まぬ妊娠は、酒酔い運転による人身事故に近いのではないかと思う。
今日は車だから結構ですと「言い出せず」、お酒注がないでと「頼んでも断られ」、目上の人に「だいじょうぶだいじょうぶ」「ちょっとだけ」とか言われて、場の雰囲気をシラケさせるのも何なのでつい飲んでしまい、自分では大丈夫のつもりが運悪く人をはねてしまったとか。
実は私は、数年前に酒気帯び運転でつかまったことがある。免停一ヶ月(で済んだ)。警察署で他の一ヶ月免停の受講者と一緒に、映画を見せられた。一時の油断で家族離散し一生を棒に振ってしまった人のドラマだった。なかなかよくできていて、俳優も迫真の演技であった。それを見ながら、もう決して飲んだら乗りませんと心に誓ったものである。


そういうドラマを、学校の性教育で使えばいいのではないか。セックスシーンを見せねばならない? そのくらい見せてやれば。 
避妊なしのセックス→妊娠→中絶→女子身も心もボロボロ、逃げた男子最低のやつ。
あるいは避妊なしのセックス→エイズ感染→検査陽性→やけくそで手当たり次第セックス→感染拡大。
あるいは妊娠→中絶間に合わない→高校中途退学&できちゃった婚→生活苦。
こうしたイメージが植え付けられたら、それなりの効果は上げると思われる。


「正しい男女関係」‥‥それを一方的に説教してもダメであろう。男女関係のことを知り、コミュニケーション能力を伸ばすならば、いろんな映画を見せてディスカッションでもした方がいい。
しかしそういうのもいちいち"検閲"が入るのだとすると、日本の学校性教育の前途は厳しいかもしれない。


(初出:2005年8月・晶文社ワンダーランド)

*1:ここでのレイプとはまず、男性性器を強制的に女性性器に挿入する男性側の行為を指している。これは男性さえOKならば女性の準備が整ってなくても可能だ。男性から女性へのレイプにおいて多いパターンである。ここから考えると、女性が自らの性器に強制的に男性性器を挿入するというレイプは、男性から女性へのレイプに比べれば困難であるがゆえに、件数としても相対的に少ないだろう。この行為を当初「逆レイプ」と記述していたが、コメント欄http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20050815/1196000652#c1294119017でそれは男性=加害者を固定化する言葉であり、「男性蔑視」「男性差別」を感じさせるとの指摘があったので削除した。指摘にあるように、性器と性器の結合ではないかたちのレイプは女性から男性に対して行い得る。いかなる場合も、男性が加害者で女性が被害者というわけではない、ということを付け加えておく。