コスプレの隙間

熊本のミック・ジャガー

この数年、大人を対象にした音楽教室が増え、生徒は十万人を超える勢いだそうだ。中年のバンドブームのせいである。
マチュア・バンドを組むオジさんは、30代後半から60代まで広範囲に渡るようだが、だいたい若い頃にバンドを組んでいた経験がある人が多く、歳をとって他に楽しいこともないので、またやり始めるのである。中には、20代からずっとアマチュアで細々と継続している人もいる。


もう2週間近く前だが、テレビのニュース番組で、オヤジバンドコンテストのレポートをやっていた。そこで紹介されていたのは、熊本に住む運送業の43歳の男性。
地元のライブハウスでずっと活動している人らしく、心酔しているのはミック・ジャガーミック・ジャガーとそっくりのステージ衣装を、そっくりの生地を探してきて妻に作ってもらい、家の中で手足を振り回して飛び跳ねている(練習)様子が映っていた。なんか取り憑かれたような、凄い感じだった。
痩身で43歳よりは若く見える。コンテストを目指して、ステージパフォーマンスのためにジョギングまでして真剣そのもの。優勝を狙っているようだ。優勝するとミック・ジャガーも録音したというスタジオで演奏して、CDが出してもらえるとか。お父さんがあまりにも入れ込んでいるので、家族も応援せざるをえないという感じである。


コンテスト当日の模様も放映されていた。会場は中高年で満員。60年代から70年代ロックのコピーバンドが多いようだった。特に70年代ロックはあまりにも魔力的であったので、若者の頃に受けたインパクトから逃れられず、そのままオヤジになってしまった人は多いと思われる。


余談だが私も20代(今から約20年前)にバンドをやっていたので、回りにロック若オヤジはちょくちょくいた。みんな深くハマりこんでいて、たぶん一生そこから抜け出さないであろう雰囲気の人が多かった。音楽や舞台の裏方関係の仕事についていたりするから、余計である。
今年、あるパーティでそういう昔の人々と、すごく久しぶりに顔を合わせる機会があった。時間が止まっているなと思うくらい、皆20年前と同じ雰囲気だった。
私も友人(同じバンドの女性)も、今別に普段ロックな雰囲気を漂わせているわけではないが、オジさん達はほとんどそのまんま。当時大学院生だったバンドメンバーの男子(既に40代)もそうである。顔がちょっと老けたなというくらいの違いしかない。きっとあのまま死ぬまで変わらないだろうと思う。


さて、コンテストでは、全国から選ばれた10組ほどの中で、「ディープ・パープリン」というバンドが出ていた。みんなちゃんと髪が長い。
と思ったらそれはカツラで、「昔は髪の毛があったんですけど、今はこんななんで」と、頂上が薄くなった頭を笑いながら見せていた。カツラを被ると結構それなりに見える。キャリアも長いようで、ステージは(テレビでちょっと見ただけでも)なかなかのものである。
熊本のミック・ジャガーも、気合い十分でステージを所狭しと駆け回ったりジャンプしたりして、トレーニングで鍛えた跳躍力をアピールしていた。飛び跳ね過ぎたのか、歌は今イチわからない。
で、優勝は「ディープ・パープリン」であった。演奏も堂に入っていたが、やはりカツラが決め手だったと思う。
熊本のミックは、頭が普段のままの短いオシャレなオジさんヘアなので、なんか見ていて「違う」という感じだった。


カツラを被るということは、ほとんど完全に変身するということである。自分を捨ててしまわないと、変身はできない。
「ディープ・パープリン」は、「どうせニセモノなんだから、なりきっちゃえ」と割り切って、自分を捨ててディープ・パープルのまがいものに徹していた。そこが逆に、ちょっとイヤらしいが「大人の余裕」に見えた。
ミックの方は、いくらパフォーマンスが派手でも、頭部が素のまま。つまり、どこかで「素の自分を演出したい」という欲が捨て切れていない。素の自分の姿に酔っているのが、こっちにわかってしまう。
ああいうステージに立つには大なり小なりナルシシズムが必要だが、出し方を間違えると、ちょっとズレた人になるという見本であった。

セーラー服とゴスロリ

私が昔参加していたアマチュア・バンドは、ロックと言っても冗談エロ路線追求のコミック・バンドで、衣装もめちゃくちゃだった。エロは他に適任者が何人もいたので、子ども顔の私はロリ担当。80年代半ばのその頃、まだゴスロリは普及しておらず、ロリータと言うとセーラー服ということになっていた。
25で本物のセーラー服をわざわざ借りて着るのはちょっとヤバい気がして、上だけ私服のセーラーブラウスで下は短パンを穿いていた。キーボードなので下半身はあまり見えないし。


コスプレは楽しいが、ステージ以外の場所でやるほどの勇気はない。やる機会もない。
ところが最近は、コスプレしてプリクラを撮るところがあるそうだ。衣装を貸し出しているらしい。こないだ名芸大のOB生らの飲み会に参加した時、プリクラを撮りに行くことになり「大野さんはセーラー服で」と言われて非常に焦った。
結局行ったプリクラは貸衣装がなくて、皆の前でコスプレやらずに済んだ。40過ぎてセーラー服なんて、ヤバいを通り越してホラーである。


女装趣味の男の人(30歳)が、知り合いにいる。数年前ニューハーフのショーを見に行った時は、ニット+ミニスカ+ブーツという気合いの完全女装で来た。
彼の場合背の高さと肩幅でわかるので、後ろから男にちょっと声をかけられるということはあまりないようだが、男が本気になるととことん極めるというのは、ニューハーフの人を見ていてもわかることである。
コスプレにこだわっているそういう人というのは、連れの衣装にも何かと意見がある。
その人と別のパーティに行く時、たまたま彼の女友達の置いていったゴスロリ衣装があった。ちょうちん袖で段々スカートで、フリルがいっぱいついている。私は普通に夜遊び用の格好をしていたのだが、そのゴスロリ服に今から着替えてと言われた。
繰り返すが私はもう40歳をとうに過ぎた中年である。ゴスロリを見るのはいいが、自分が着て出歩くのは嫌だ。それだけは勘弁してほしいと固辞した。それに、どこかで学生にばったり会うかもしれないじゃないか。どういう顔をしたらいいんだ。
似合うから着るだけでも着てみてと言うのはかなり嘘。着たところがすごく変な雰囲気なのを見て、面白がりたいのである。
セーラー服やゴスロリやメイド服がぴったりハマる場合、可愛いかもしれないが面白くはない。奇妙なズレが露出するから面白い。私の場合「無理矢理着せられてしまいました」感も漂うであろうから、たぶん一層「面白い」と着せたがる方は想像するのであろう。おもちゃにしないでほしい。


結局、どんなにコスプレしても、その人の素はどこかに出てくるということである。気持ちはなりきっていても、ふとしたことで出てくる。
熊本のミックは「中年でも頑張ればここまできるんだということを伝えたい」みたいなことをインタビューに応えて言っていたが、ヘアスタイルだけでなく、そういうところがもうミック・ジャガーじゃない。ミックはそんなカッコ悪いこと(思ってても)言わない。それは完全にオジさんのセリフである。
素をそのまんま押し通すのと、素を「表現」するとのは違うのだ。自分を「頑張ってる人」として表現したいという欲望を隠せないのが、アマチュアたるところかもしれない。


しかし正直なところあのゴスロリ服も、「もしかしたら意外とイケるかも」とちらっと思わないでもなかったことを、告白せねばならない。
着てみて「いいじゃんいいじゃん」などとお世辞を言われたら、乗せられやすい私は「えへっそお?」と調子こいてしまうだろう。それを後で冷静に思い出したら、居ても立ってもいられなくなるくらい、恥ずかしいだろう。
そういうことを先取りして、着なかったのである。ナルシシズムに浸らないゴスロリなんてものは世の中に存在しないのだから、こんなふうに思うこと自体が間違っているが。


その時の私の格好は、スパンコールのヘアバンドをしてシースルーのブラウスにアシンメトリーのスカートだった。十分、ナルシーな服装である。「若く見えてそこそこオシャレな人」という人の視線の読みを、しっかりしている。それが素であると「表現」しかったのである。
いっそ開き直ってゴスロリの方が、潔さという点ではマシだったかもしれない。