共学別学論争

女子校のここがいい

この間、男女共学・別学の議論をして目からウロコの体験をした。その時のやりとりを思い出して書いてみたいと思う。
相手のYさんは名古屋芸大のピアノ科出身で、ピアノの先生をしている二十代半ばの女性。中学、高校と女子校だったそうだ。私は女子校経験がない。
以下は●がYさん、○が私の発言(掲載については、Yさんの承諾済み)。


●「男女共学より、別学がいいと思うんですよね。小学校は共学でもいいけど、中、高、大は男女別学にした方がいいと思います」
○「そう? それだと、異性とのコミュニケーションとか助け合いとか学べないんじゃないの?」
●「逆に、常に異性がいると変に意識して遠慮したりってことが多いと思います。私は女子校だったんですけど、男子がいなかったお陰でとてものびのび過ごせました。男子がいたら話題にしにくいようなことを、いつでも真剣に話し合えたし。HRでも恥ずかしがらずに発言できるあの環境は、良かったなあと思う」
○「じゃあ、男子も女子もずっと同性の中だけで過ごして来たとしてよ、大人になって社会に出たら、いろんな場所で共同作業しなくちゃいけない時に、いきなりは大変でしょう」
●「最初はお互い慣れてないから大変かもしれないけど、そこで一からちゃんと関係を作っていけばいいと思う。かえってお互い新鮮に見れるんじゃないかと思いますけど」
○「でも、世の中にジェンダーバイアスのかかった情報は一杯あるじゃない。別学で過ごしていたって、そういうのは入ってくるから自然と影響されると思うのね。そしたら日常的に異性と接していない分、余計に妄想が膨らんじゃうんじゃないの」
●「外からの情報はあるだろうけど、十代はやっぱり学校が生活の中心を占めるじゃないですか。男子に頼らず、何でも女子だけで自主的にやっていかなくちゃならないから、自然と積極的になりますよ。十代の時期に、異性の目を意識しないで自由に発言して、何でも自分達でやるような自立心を育てていくことが大事だと思います。それを中・高・大とやってくれば、社会に出ても大丈夫じゃないでしょうか」
○「‥‥なるほど」
●「女子校では、「女子は‥‥」という言葉はないんですよ。だってみんな女子だから。まあ年配の先生の中には「女の子なんだからもっとお静かに」とか言う人もいるけど、自分達が性別を普段いちいち考えなくて済むってのは大きいです」
○「そうなんだ」
●「実は女子校時代はそこまで思ってなくて、大学に入って初めて気づいたんです。女子校ではみんな個性豊かでバラエティがあったなあと。共学の高校から来た女の子とは、なんかとても話しにくかった。回りにいる男子を常に意識している感じで、自分というものを出してなくて、話しててなんか違和感がありました」
○「女子校出身から見ててわかるのね、共学でずっと男の目を意識してきてるのが。それ面白い」
●「男子の中にいて、男の目を内面化してしまうのがよくないと思うんですよね。ずっと共学だと、女子はどうしてもそうなりがちなんじゃないか。今になって、私はいい環境にいたんだなあって思います。だから別学の方がいいと思う」
○「ふーむ!(なんか説得されたような気がする)」


思春期は、「自分てなんだろう」みたいなことを考え出す時期だが、「自分て男(女)から見てどうなんだろう」みたいなことも気になる時期である。同世代の異性がいつも周囲にいると、後者を嫌でも意識せざるをえない。
それは言動にすぐ影響する。性差は、二つあるから意識されるのである。どちらか一個しかない状況を作ってしまえば、その中では性差を意識したふるまいは生まれない。たしかに。

共学の"男女平等"

私はそれまで、共学・別学についてあまり深く考えたことがなかった。男と女が両方いるのが自然なことだから、学校もそれに即した環境がいいんじゃないの?程度に思っていた。
Yさんと話してからネットでいろいろ調べてみたら、共学か別学かという問題は結構盛り上がっていることを知った。2ちゃんねるにも、女子校・男子校のスレッドがあった。


女子校がいいという人は概ねYさんと同じ意見で、まず男子の目を気にしなくていいので、自分を素直に表現できる。また、共学だと生徒会長などのリーダーは男子、副が女子という風潮があるが、女子校なら当然全部女子が担当。共学なら男子に頼るような力仕事も、全部女子。やればなんでもできるんだという体験は、大きな自信に繋がると。
男子校の人の意見は分かれていた。嫌だという人は、「男子の中にいて、女性とどう接していいかわからなくなってしまった」とか「男子校にはキモヲタが多い。服装に構わなさ過ぎる」とか。女の子と接していないとなんか「普通」から取り残されるのでは‥‥という不安があるようだ。
いいという人は、「男だけなので気分的に楽」「勉強やスポーツに集中できる」「うるさい女がいなくていい」「男女交際は合コンで間に合う」(有名私学の男子)など。
共学の人は別学に対して、「女子校の人は外で遊んでそう」「女子校は陰湿なイジメが多そう」「男子校の生徒は女をモノとしてしか見てなさそう」などと批判。が、そうすると「そんなことはない、共学だって」と反論が来る。
個々のレベルで見れば、別学で異性ウケばかり気にしている生徒はいるだろうし、共学で男に負けまいと頑張れる女子もいる。
こういう話が水掛け論になってなかなか終わらないのは、誰しも自分の出身を否定したくないからだろう。


少子化のせいか、最近は別学から共学への動きが進んでいるようだ。宮城県では県下のトップクラスの名門公立高校が別学らしいが、数年前、全公立高校一律共学化という話が出て議論になった。世論調査の結果はこちらこっちは共学推進派と反対派双方の意見。
推進派の主張は、男女平等と助け合いの精神は共学でこそ育成される、別学は戦前の遺物、思春期に隔離するのは不自然だといったもの。
たしかに、男女共学で異性の目を気にして萎縮することなく、性別役割分担にとらわれず、互いに理解を深め切磋琢磨できればそれに越したことはない。そういう教育も熱心に取り組まれている。
でも男女を一緒にしてちゃんと教育さえすれば、ジェンダー規範にとらわれない人間ができるというのは、教育への過信である。異性に興味津々な時期に、常に異性の目があるところで、屈託なく振る舞えと若者に言っても無理だ。
それにこの時期、相互理解を深めるのは異性とより同性同士の方がやりやすい。同性と協力できない人が異性とならうまくいくというのは、もちろんあやしい。


一律共学ではなく、別学も残して選択できるようにすべきでは?という中庸の意見も目についた。まあ「多様性」を前提としたありがちな提案である。
しかし先のYさんの意見はそれより進んでいて、中学から大学まで(大学進学しなければ高校まで)、一貫して男女別学にすべきだというのだ。男女共学こそ男女共同参画社会の証だと信じている人が聞いたら、ひっくり返りそうな意見かもしれない。
Yさんが言いたかったのは、社会全体にジェンダーバイアスがかかっているのに、「学校内ではなしですよ」といくら言っても難しいということだと思う。
先生の指導より隣の男子の視線が気になって、言動を無意識のうちに自主規制し「女子」の殻に引きこもる、「女子」を言い訳にするということは、実際起こりがちである。そういう姿勢が十代の間ずっと続いたら、一生固定化してしまうのではないか。男から見た自分の像というものを内面化した女の子が、社会に出て行ってどう振る舞うかは目に見えている。


戦後60年も男女共学をやってきて、そこで多くの女子が無意識のうちに学んだのは「女は二番手でいた方が得」「"女"は武器になる」ということだった。学校生活を通してそういう事実を目の当たりにした。社会にある男女の関係は、薄められてそのまま学校にあった。
つまり戦後の男女平等を旨とする共学制は、はかばかしい効果を上げていないのではないかということである。
空疎化した理想を掲げていつまでもそんなことやってて、何が男女共同参画社会なんですか? Yさんはそう言いたいのである。(つづく)