「男は中身」じゃない

細眉男子

普通の男が眉を剃り始めたのはいつ頃からだったか忘れたが、98年の冬期長野オリンピックの時、ジャンプ団体で優勝した日本人チームの船木選手がしっかり手入れした細眉で、スポーツマンだが今時のおしゃれな男子とニュースで言われていたような気がする。
ということは、少なくともその3年くらい前から、一部の男の間では眉の手入れが始まっていたのだろう。今ではJリーガーから高校球児に至るまで、眉を手入れしている。


こういうことに一番早かったビジュアル系バンド以外の芸能人を思い出してみると、私の記憶では武田真治だ。
美少年だがすごく垢抜けているわけでもなかった武田真治は、92年の深夜ドラマ「NIGHT HEAD」で豊川悦司の弟役でブレイクした。それから数年経った頃バラエティ番組に出ていた彼を見て、私はその化けっぷりに驚いた。ほとんど「フェミ男」(フェミニストの男ではない、ビジュアル系のおしゃれな男を一時期そう呼んだ)だったから。
眉を細めに整え、アクセサリーをじゃらじゃらつけた上に毛皮をはおり、やたらとアンニュイな目線でアンニュイに喋り、異常なまでにフェロモンを発散していたあの頃の武田真治
喋りはまったく面白くなかったが、男はビジュアル、それも女と張り合えるくらいに美しくていい、ということをいち早く体現していた。あのフェロモンに対抗できるのは、Gacktくらいのもんだ(この人は最初から細眉も化粧も板についていた)。


プロフィールを見ると武田真治は1972年生まれで、もう34歳である。
ちょっと前に中村うさぎが文春のコラムで、ある年代から下の男は顔の手入れに関して上の世代のような抵抗がなくなったといったことを書いていたが、たぶん今の35歳(1971年生まれ)あたりがその境目だろう。1986年創刊のメンズノンノ世代の30代前半男は、すね毛を剃りスキンケアに女性並みに気を使うようになった最初の世代と言われる。
20代になると更に、指輪やピアス率、茶髪率、細眉率が高まる。40過ぎてピアスして茶髪で細眉だと、その筋の人か老けたホストに見える可能性があるが、若ければ普通に今風の男。
昔、アクセサリーをじゃらじゃらつけたり髪を染めたり眉を剃ったりしていたのは、パンクかヤンキーだけだった(ここでは族系の人を指す)。漫画でもヤンキーと言えば、金髪モヒカンとか額に激しく剃り込みが入っているとかして、眉は怖いくらいの細さ‥‥か、眉毛なし。
そういう一部の人の特殊なファッションだったのが、おしゃれに洗練された形となり、芸能人が広告塔となりメディアで宣伝され、男の基礎化粧品なども続々出たことによって一般に普及した。


私の行っているデザイン専門学校の男子を見ると、おたく以外の子は大抵眉の手入れをしている。
昔みたいに眉が繋がったような奴は皆無。中には剃り過ぎて、眉の上が青々している子までいる。眉毛そのものを全部短く切りそろえて、平安貴族の薄墨眉みたいになっているのもいる。生徒の眉毛ばかり観察しているのではないが、気になり出すとすごく気になるものである。


男の細眉は、ゴツい輪郭やもったりした目鼻立ちには似合わない。肉の薄い、ある程度シャープな顔立ちでないとね。
そういう顔の男子の行き届いた細眉には、一種の冷酷な美が漂うこともないではない。直線的にキッとつりあがって先端がスッと落ちて消えるクールな細眉は、内面の繊細さとナルシズムと冷たさの象徴なのである。ヴィスコンティの恋人だった若い頃のヘルムート・バーガーくらいの美しい男なら、さぞ似合うだろう。
だから、がさつで鈍感そうな男子は、あまり極端に眉を剃ってはいかん。一頃流行した女の弓なり超細眉と同じくらいの滑稽さになる。まあ流行とはある意味みっともないものなので、私もいちいち「あんたねぇ、眉毛剃り過ぎで変だよ」と余計な世話は焼かないようにしているが。
女装や化粧の好きな友人はいる。センスが良くて似合っていればいいと思う。だが普通の男のルックスに関して、私の趣味はわりと保守的。相手が若かろうが歳であろうが、顔や身だしなみに構い過ぎる男はなんとなく苦手だ。細眉はもっとも苦手。


だがそう言う私も多くの女の例に漏れず、自分の眉の手入れはしてきた。
最初はたぶん19歳くらいの頃。それから今日に至るまでの28年間、一度も生まれたままの眉にしたことがない。今ではもうオリジナルの眉の形も忘れてしまった。かなりの細眉に挑戦してみたこともあるが、肉薄のシャープな顔立ちでないせいか妙に間抜けだった。
今では細くも太くもない程度に整えて、眉尻は少しカットしている程度だが、自然のままのボサボサ眉の顔は、もう「私の顔」じゃないのだ。

女への「配慮」

すね毛を剃ったり眉を整えたりスキンケアをしてきたのは、女であった。美しさのためにはそれ相応の努力をせねばならないという観念は、女の中に染み付いている。そうしないと、「女」として男に「見て」もらえないし「選んで」もらえなかった。
しかし今では、若い男も同じことに気を遣う。女に「見られ、選ばれたい」と思い、そのためにビジュアル面で女と同じ種類の努力をする。
では、彼らは女から「見られ、選ばれる性」になったのか。
もちろん男が「見て、選ぶ性」の立場を放棄したわけではない、と私は思う。恋人や結婚相手の容貌にこだわるのは、今でも女より男の方がずっと多いだろう。
その「見て、選ぶ」側自身が、自分にもそれなりのビジュアルが必要とされることに気づいたのだ。なぜかと言えば、女の男に対する要求が、「仕事ができる」とか「金が稼げる」とか「頭がいい」とか「優しい」とかだけではなくなったから。そんなのは当たり前で、その上で「見栄えもいい」ということを普通に求める女が増えてきた。


女みたいに顔を構ってられるかよ。すね毛を剃る?眉を整える?朝シャン?スキンケア? 
バカもの!! 男は中身で勝負だろうが。
そう思ってきたのは、30代後半以上の世代の大多数の男である。中身とはまず「仕事ができる」=「金を稼げる」ことである。でなければ、女より知識や経験において凌駕し、能力や人格の高さで女の尊敬を勝ち取ることである。
しかしそういう価値観は崩れてきた。
テレビから漫画まで、メディアに様々な美しい男が多数登場することによって、女の男への審美眼が発達したからだろうか。いや昔から美しい男はいたはずだ。しかしそういう人は一般庶民には手の届かない存在であった。
では手の届かなかったような美しい男を、仕事も金も手に入れた(一部の)女が求め出したということであろうか。たぶんそれもあるだろう。


しかし「美しい」たって、生まれもって美しい男はごく限られている。普通の女が男に求めるレベルとは、そういうものではない。女は男に、「女への配慮」を求めているのである。
仕事さえできれば、金さえ稼げれば、知識が豊富で人格さえ優れていれば、それで十分だろう、お釣りが来るくらいだろう、という男の思い込み(思い上がり)に対して、それはいいけれども少しは清潔にしてほしい、少しはルックスを構ってほしい、オシャレをしてほしい(女のために)‥‥そういう「配慮」を女は求めているのである。女は長年「配慮」してきたのだから、男だってしてくれてもいいじゃないの、ということである。
そして女が見栄えをそれなりに気遣いながら仕事をし、顔やファッションにも手間暇かけつつ経験値や能力を高めてくれば、男に同じ"アクロバット"を要求するのは理の当然である。


しかし、仕事で優れた能力を発揮したり、知性を磨いたりするのは一朝一夕にはできない。よほどのスーパーマンでない限り、普通はオシャレなんかに金と暇を投入していられないほどの努力と時間の積み重ねが必要だ。
余裕で顔や身なりを構えるようになった頃には、既に中年(そういう男のために「ちょいモテ」路線というのも用意されてはいるが)。そもそも、仕事で成功できなかったりしたら元も子もない。
だから「見栄え」だけでも、なんとかしようということになるのである。雑誌を見ればノウハウは書いてある。わかりやすいお手本もたくさんある。
となれば、手っ取り早くそっちを手に入れて、とりあえずは女の心証を良くしておこうという男も出て来るだろう。とりあえずは「配慮」してますよ、それなりにカッコ気にしてますよ、という柔軟な姿勢を見せることで、女との関係もスムースになるだろう。


それも実は、女が長年やってきたことである。女が「手っ取り早い道」としてやってきたことを、男もやり出したのである。
何といっても即効性はある。中身を追いつかせるのは、その後でも間に合うかもしれないと。「人は見かけが9割」の時代、じっくりつきあわないとわからないような能力や知性や人格より、ビジュアルを先に底上げした方が話が早い場合は多いかもしれないと。まあそう思わせる情報には事欠かないわけである。
だいたい都心部のおしゃれなマンションに住み、仕事もプライベートもスマートにこなし、ファッションやスキンケアにも出費を惜しまない"洗練”された「メトロセクシャル」な男なんか、ごくわずかだ。
「見て、選ぶ立場」をキープしつつ「見られ、選ばれる立場」でも余裕で優位に立てる人に憧れたとしても、多くの男はそこまでいけない。そんなアクロバットはなかなかできない。


‥‥最初からわかってるんだそんなことは。
だからせめてカッコくらいつけさせてくれよ。
メトロセクシャル」にはなれそうもない地方都市の男子の細眉には、哀愁が漂っている。



●追記
後で考えると、武田真治よりずっと前の元祖フェロモン系としてジュリー(沢田研二)がいた。化粧もしてたし眉も整えていた。それよりもっと遡ると、「眠狂四郎」の市川雷蔵(遡り過ぎ?)。時代劇はコスプレだから眉剃りも普通だった。