テレビとジェンダー論

「女がムカつく女」

テレビの情報を、全部信用している人はいないだろう。ニュースにしてもバラエティにしても、そこには常に、何らかのバイアスがかかっているのではないかと見るのが普通だ。
しかしテレビを見ている時、四六時中そんなふうに身構えている人もあまりいないわけで、無意識のうちにさまざまな情報がインプットされていることは多い。だからメディア・リテラシーが求められる。
‥‥なんて誰でも言いそうな一般論を、私が余裕で言っていられたのも、こないだの木曜日の朝までだった。


ウィークディの朝9時55分(小倉智昭の『とくダネ!』の後)から約一時間に渡って東海テレビで放映される、『ぴーかんテレビ』という中部地区限定の生番組がある。主に主婦を対象とした情報番組。
先週の金曜日、そこのスタッフの人から、番組出演依頼があった。
「女がムカつく女」という特集で、7本のミニドラマを見た後、ジェンダー論の専門家として「分析と対策」をコメントしてほしいと。局が問い合わせた愛知県のあいち男女共同参画財団の中に、私をコメンテーターとして推薦してくれた人がいたらしい。
「男と女はまだまだ不平等だ」でも「女は男のここにムカつく」でもなく、「なんで女は女にムカつくのか?その原因は?」という形でジェンダーを扱うのは面白いと思ったので、引き受けた。


ドラマに出て来る「女がムカつく女」とは以下である、と提示された。
・何かにつけて「私が」「私だったら」ばかり言いたがる「壊れかけのレディオ女」。
・遅刻の理由を手を替え品を替え創作して自己正当化する「アカデミー脚本賞女」。
・どうでもいいツッコミばかりして人の会話を遮断する「浅ズバ女」。
・何かにつけて自分の不幸をネタにして空気を重くする「負のオーラ女」。
・毎回ドタキャンして悪びれることのない「フェイント上手・ワールドカップ女」。
・合コン命でイケメンの前では態度一変の「消える女」。
・相手の昔の小さな過失をいつまでも執念深く言いつのる「ネチネチ女」。


こうした「女特有」の対人関係の問題が、なぜ起こるのか? 女をムカつかせる女は、何が原因でそうなってしまったのか? ムカつかされた女はどう対処したらいいのか? 
その答えをジェンダー的観点から述べるのが、私に求められた役割である。
構成台本が送られてきて、前もって各ドラマごとに簡単なコメントが欲しいと言われた。情報番組でいきなり「女性のジェンダーとは」などと切り出すのは難しいので、軽いタッチでユーモアを込めてなるべくわかりやすく書いて送った。


各ドラマの「分析と対策」だけでは「女特有」の問題の所在がわかりにくいので、総論を付けた。要約すると
「問題は、個々の女というよりは、女のいる環境や社会や男との関係(仕事、家庭、恋愛、結婚など)の中に潜んでおり、そこで女が「女である」という理由から、健全な自己主張を行ってこられなかったことにあるのではないだろうか。そのことをこじらせて、身近な同性間の関係のみに敏感となり、社会性を失ってしまう。誰でもそういう女になりうる可能性があるのではないか」
ということ。
ジェンダーの観点から言うなら、この「女が女に向かう問題の根は、さまざまな環境や社会の中に」のポイントは外せない。個人の生まれつきや性格だけに帰することのできないものとして、ジェンダーという概念はあるので。
総論の要点は、電話でもそのスタッフの人に伝えて納得してもらい、彼からディレクターに伝えられたと聞いた。その後メールで送ったコメントは、それに肉付けして書いたもの(例えば、殿の寵愛を受けられず他の女の足を引っ張る大奥の女。問題は殿や大奥という構造にあるのに、同じ女に向かってしまう、など)。


数日経って、スタッフの人から「出演はなしでコメントを抜粋して紹介する形になった」と言われた。
後で思うと、この時点で断るべきだったのである。だが少しでもジェンダー的観点がテレビでわかりやすく伝わればいいという気持ちがあったので、承諾した。
ただ抜粋についてはやや不安だったので、「私の言いたいポイントはわかりますね」と改めて念押しした。そして、どこを抜粋したのか見ておきたいので、当日までに台本を送ってほしいと言った。スタッフの人は「難しいかもしれないけどなるべく」と言って電話を切った。


待っていたが、結局台本は送られてこなかった。木曜日当日の朝、「先生の資料(メールの文面のこと)をリポーターの女性に持たせ、彼女の実感を交えて喋らせる。文面の全てを言うことはできないが」というメールが入っていた。
もちろん全部紹介するのが無理なのはわかっている。だがその特集の制作に関わった人々は当然私のメール文は読んでいるはずだし、電話でも確認しているし、何よりわざわざジェンダー論の人間を指名してコメントを取ったのだから、私が総論に書いたポイントは当然紹介されるものと思っていた。


でも、そうはならなかったのである。

杜撰な番組進行

スタジオには、男性一人女性二人の三人のレギュラー司会者がおり、特集「女がムカつく女」をリポートするのは、彼らとは別のたぶん準レギュラーの女性である。
番組冒頭にドラマのさわりと「女がムカつく相手は、実は男よりも女に対してが多い」というデータが既婚、未婚別に示された。それによると、いずれも80%以上の女性が男より女にムカついていた。ふうん、そうなんだ‥‥‥という出だしである。


ひとしきりスタジオで会話が交わされた後、リポーターが私の紹介をした。
「今回は、名古屋芸術大学社会学部」のジェンダー論の大野左紀子先生からコメントを頂き‥‥」
は、はあ? 名古屋芸大に「社会学部」なんかないって。てか芸術大学にはないです、普通。
急いで局に電話して紹介が間違っているので訂正を出してほしいと伝えたが、番組の最後まで訂正はなかった。
後で聞いたら、現場にそれが伝わった頃はもう番組が終わりかけだったという。
私が電話したのは、番組始まって10分程度経過した頃だ。終わるまで少なくとも40分はあった。きっとものすごく複雑な連絡経路になっているのだろう。
結局この件については後で、2人の番組関係者と3、4回電話で話したが、リポーターの女性が緊張していて「社会学」のフリップを言い間違えてしまったと言われ、翌日番組内で訂正を出すということで落ち着いた。
だけどリポーターの読み間違いだったら、その場で他のスタッフにわかるじゃん、私の電話の伝言が伝わらなくてもさ。やや釈然としなかったが、そのことはいい。単純なミスだから。問題は、私の意見がどう紹介されたかということである。


ドラマはコミカルなかなり大袈裟な演出で、反応しやすく作られていた。最初の一本が流されると、レギュラーの三人が「こういう人いますねえ」「確かにムカつきますよね」という感じで、わいわいとコメントを述べ合った。リポーターが口を挟む余地がないくらいの盛り上がり。
ま、テレビ的にスタジオの盛り上がりは必要だろねと思いながら、どこで私のコメントが紹介されるのかと見ていた。
リポーターが「女王様体質のナルシスト」という私の言葉を引用したのは覚えている。それも、盛り上がった三人の会話に無理矢理割って入って言った感じだったが。
また、「自分を全面的に受け入れてもらったことがなく、人を受け入れることも知らない」「悪意ではない」など、私が書いたことを参照している言葉は、いくつかあった。
途中からリポーター自身の意見なのか私の意見なのか、見ている方にはわからないのが微妙だが、まあ細かいことにはこだわるまい。


しかしドラマの度に、リポーターをさし置いてレギュラー陣がやたら喋る。特に右端のベテラン女性アナ。「ムカつく女」について、もう水を得た魚のように生き生きと語ること語ること。
いや気持ちはわかるんだけども、リポーターに喋らせろよ。彼女に私の意見をちゃんと言わせろよ。イラつきながら見ていると、肝心のリポーターもスタジオお喋り大会に巻き込まれてしまっているではないか。
最後のドラマに対しての「わいわい」が終わり、きっとこの後にまとめとして、私が書いたジェンダー的観点を言ってくれるのだろうと思っていたら、「皆さんも今日の傾向と対策を参考にしてください」で終わってしまい、画面は次のコーナーに‥‥。


結局その特集では、こんなムカつく女がよくいる、私の回りにもいた、困りますよね、でも自分もそうかもしれないから気をつけないとね、という井戸端会議を4人のメンバーでしていたという印象である。
私の書いた「分析と対策」は、枝葉の言葉が会話の中に3、4カ所挿入されていただけ。女ばかりがこうなってしまうとしたら、それはどういうところに原因があるのか? 依頼の段階で解説してくれと言われて書いたその肝心の部分は、視聴者には何も伝わってない。そこを強調しておいたのに、まったく触れてくれなかったから。


では、冒頭に紹介されたジェンダー論の専門家ということになっている私は、いったい何だ?ということである。井戸端会議的意見しか言えないセンセイか。視聴者にそう思われても仕方ない内容。
仮にそこまで視聴者が意識して聞いていなかったとしても、ジェンダー論という言葉が頭に残った人は、「なんだ、ジェンダー論ってこの程度のものか」と感じただろう。
協力したのに重要な点を無視され、自分自身もジェンダー論も極めてぞんざいな扱いを受けてしまった。私は苦々しい気持ちで一杯になった。

誰もジェンダー論なんか気にしてない

すぐに、直接やりとりした番組スタッフに、抗議と、謝罪及び適切な処置を求めるメールを送った。私にとっては、紹介の間違いより、意見の肝心の部分が反映されなかったという問題の方が大きい。
夕方、番組ディレクターの人から電話がかかってきた。「抜粋するということだったし、少しは入っていたのではないか」と言われた。ええ、枝葉の言葉が少しね。でもあれでは私の意見を反映したことにはなってない。
その点を翌日の番組内でお断りとして出してほしい(紹介の間違いの訂正も)と言ったら、それはできないと言われ、一旦切られた後、これから御宅に謝罪に行くと言うので断った。私が要求しているのは、あくまで番組内での訂正なので。


最後に、木曜担当の別の人から電話がかかってきた。そこでようやく、紹介の間違いだけは翌日の番組で訂正を約束してもらったものの、肝心のポイントが抜け落ちていた点については、放送の規定上、訂正や謝罪は出せないことになっていると言われた。
つまり、コメントの言葉を改変して伝えた場合は訂正しなければならないが、抜けていたのは誤報道にはならないので、訂正できないということである。そういう規則があるらしい。まあその程度のことでは、テレビ局は安易に謝罪は出せないということらしい。
実は、当初はきちんと私の意見を反映させる計画であったと言われた。
ところが、番組が始まったら出演者が予想以上に盛り上がってしまい、それで時間をとられ、最初の方のドラマについては私のコメントを入れられたが、途中からは入れる暇がなくなってしまった、とのことである。生番組は時間との勝負なので仕方ないと。
そして、視聴者は私が心配するような誤解はしないのではないか、時間不足だったんだとわかるでしょうと"慰め"を言われた。そんなことどうして断定できるのだ。


話をまとめると、出演者はどうか知らないがスタッフは途中から、「大野氏のコメントを予定通り入れてる暇がなくなる」ことを予測できていたことになる。
そこで、冒頭に「〜の意見を参考にして」と紹介しているし、その特集の趣旨を考えたら、「出演者の発言を少なくしてリポーターにコメントの要点を言わせろ」という指示を、早めに現場に送ることはできたはずである。しかしそれをしなかった。現場のノリと時間通りの進行ばかり考えていたために。


結局、わざわざ専門分野の人間にコメントを取っておきながら、そのことの意味も、その専門分野についても、局側はまったく認識不足だったというしかない。
内容が変わってしまっても盛り上がればいい。表向きスムースに進行すれば問題ない。だから、何も対策を講じないで放っておいたのだ。
その結果、ジェンダー論(と私)の名の元に「えーとそれのどこがジェンダー論?」という言説が流された。だが放送の規定上、訂正は出せない。従って私の"名誉"も回復されない。
そういうことですねと言うと、木曜担当の人はそれを認め、謝った。そして個人的には気持ちはわかるのだが、会社の規則なのでどうしようもないのだと言った。最後の方では、なんだか声が土下座していた。
それもこういう問題が起きた際の常套手段なんだろうかと思いつつ、これ以上抗議しても無駄だとわかったので、私はそこで話を打ち切った。


最近、男女共同参画少子化に関してのテレビ討論番組などもたまにあり、それを見ているとうんざりすることが多い。
そこに登場しているジェンダー論者やフェミニストには、「そんな狭い言い方しかできないのか」「つまらないなあ」という印象をしばしば抱く。福島瑞穂田嶋陽子くらたまも遥洋子もそうだ。
単純な対立構造が作られているので仕方ない面もあるが、少なくとも視聴者には「つまらない」「狭い」印象を与えるような感じになってしまっている。そしてそれが積み重なって、ジェンダー論とかフェミニズムなんてロクなもんじゃないというイメージが、ますます世間的に形成されてくるのだろうなと思う。


そういうことに違和感を感じていたから、今回の話を受けたのだった。
しかし結局のところ私の方にも、テレビ、いや「世間」というものに対する読みの甘さがあったのかもしれない。どれだけわかりやすい丁寧な文面を送っても、念を押しても、現場で自分の口で言えない以上、信用してはならなかったのだろう。
まさかそこまで杜撰な扱いはされまい、こちらの意図を尊重した意見紹介をしてくれるはずだというのは、私の思い込みだった。
そんな"配慮"は、「世間」にはない。一応専門家のコメントを取ったというテレビ的事実があるだけで、誰もジェンダー論なんか気にしてない。そのことを、身をもって知らされた一件であった。


●追記
あの番組は何が言いたかったんだろう。特別言いたいことなどなかったのか。じゃあなんでわざわざ私に依頼した? 
「悪意はなかった」と木曜担当の人は弁明していた。でも結果として悪意になってる。私にはそう受け取れる。
憤慨している私に夫は「名誉毀損で訴えろ」と言った。
「裁判起こせば勝てる。弁護士費用に百万かかっても五百万くらい取れる。名誉挽回しろ」
情けないが、私にそこまでの気力はない。
「だったらお前の負けだ。出演なしになった段階で断りゃよかったんだ。それをしなかったお前が甘かったんだな」


●追記2
ようやく台本を見ることができた。台本の段階で、私が書いたジェンダー的観点は省かれており、別にジェンダー論を通さなくても言えるような言葉だけがピックアップされていた。
この台本に従う限り、予定通りの放送が行われても私の意見は反映されない。
ここから推論できることは二つ。
1. 番組スタッフは皆ジェンダーという概念を知らなかったので、私の文面も電話で言われたことも理解できなかった。
2. ジェンダー論的なポイントを意図的に外した。


後日談