奢りは驕りである

なぜ男は女に奢るのか

男女の奢り奢られ問題について。男どもはいったいどうしたら満足するのか「女子力」の弱い女とケチな男をどうぞ。
書き手は男性だが、最初の記事では奢られ慣れていない女性の心理を描写してあり、次の記事の後半では恋愛至上主義非モテにも言及している。ブログで男女問題について書く人は多いが、私の知る限りでは最近珍しいくらいまっとうで丁寧な論考だと思った。


過去、男が奢るのが当たり前だったのは、まず男の方がずっと稼ぎが多かったことがある。同年代でも昔は今以上に格差があったし(仕事している女も少ない)、男が年上なら尚更男の方が金を持っていた。
自分がバンバン稼いでいて金のない若い男に奢る太っ腹な女は、少なかっただろうと思う。そういう組み合わせは、男の方が肩身の狭い思いをするものだから敬遠されがちだ。
社会の構造上、男の方が金を持っているというパターンが圧倒的に多かったので、男は女に奢っていたのだ。


しかし女に奢りっぱなしでは、男の方が損なだけである。回収できないお金を男が使うわけがない。ボランティアじゃないのだ。上司が部下に奢るのだって、会社の人が取引先を接待するのだって、何らかのバックを計算してのことである。
そこで女は化粧し美しく着飾ることで、まず男の目を楽しませるよう務めた。精一杯おしゃれしてきた女を見て男は喜ぶことを、女はよく知っている。適当な恰好してきて奢ってもらおうなんて、非常識もいいところだと。


さらに、食事中はかいがいしく鍋などの面倒を見、グラスの空き具合などに気を使い、お酒を勧められたら「じゃあ一杯だけ」とはにかんで言い、常ににこやかに微笑み、相手の話には興味深げに耳を傾け、驚くべきところでは驚き、笑うべきところでは笑い、基本的には頷き、最後は「いろいろなお話が聞けてとても楽しかったです。お食事もとても美味しかったです。御馳走様でした」と頭を下げて礼を言うのが、常識であった。
手酌でビール飲んだり、相手の話にツッコミ入れたり、自分の意見を堂々と述べたり、ややこしい議論ふっかけたり、そのあげくに「ここは私は持つわ。次行こ次!」なんて言うのは、問題外だった。
奢って頂くことを前提に、男の喜びそうなサービスで応えるのが”女子の道”。「男の見栄とプライド」という聖域に土足で踏み込んではならないのだ。


奢ってもらう以上は、女はホステスに徹するべし。それが、男が女に要求している「見返り」である。奢られるのが頻繁になってきたら、当然「次」を要求されていることを察知して、それなりの心構えと準備をしておくべし。
つまり男が女に奢るということは、最終的に食事でセックスを買うということである。援助交際みたいなものである。昔は、援助交際みたいなものが男女交際の基本形だと思われていたのである。今でも、そんな感じが残っている面があると思う。


しかし、特に恋愛感情を感じていない人から奢られて、女の方にそういう感情が湧くのかというと疑問だ。有り難いとか悪いなとは思っても、恋愛感情までは湧かないだろう。なのに次もその次も付き合うとしたら、「ラッキー」と思っているからに過ぎない。
そこで、男に奢らせるだけ奢らせてずっと「お預け」を喰らわせる女は敬遠されるだろう。いやちょっと違うか。目標に到達するのが長ければ長いほど男は闘争心を燃やし、余計にその女に執着し妄想を楽しめるので、「お預け女」は”魅力的な女”としてモテるかもしれない。
だいたいセックスもさせずにずっと奢ってもらえるなんて、相当魅力的な女でないと無理だ。もちろんそのまま逃げたら食い逃げになるわけだが。
奢り以外で惹かれるところが出てくれば、恋愛に発展するかもしれないが、それは決して「奢ってくれるから」ではない。最初から割り勘でも恋愛に発展する場合は発展する。
むしろ、こっちが奢ってご飯に付き合ってもらってでも、親しくなりたいと思う男でなければ、恋人までいこうという気にならないのではないか。


ところが、男というのは金持ちであろうと貧乏であろうと、そういうキップのいい女にはあまり興味を示さず、女子力の強い奢られ慣れた女を好きになってしまうのである。そういう女はしばしば食い逃げ女だったりする。それで「女は奢らせてばかりだ」と文句を言うが、相手をよく見ろと言いたい。奢るか割り勘か以前に、まずその視線の向きを何とかするべきだ。

それぞれの+−

男は奢ることで金銭的に−、女は+になる。このままでは不公平なので、その「見返り」として男は女とセックスすることで+にして、±0もしくは若干+傾向に持ち込みたいということである。
そうすると、女はセックスで−になっていると考えるべきなのか。全体の+−を考えると、そうでないと辻褄が合わない。女がセックスでも+だったら、女は何も損失がなく、得だけしていることになるではないか。


昔だと、女が結婚前に結婚を前提としない恋愛でセックスをするのは、「キズモノになる」と言われた。キズモノになって男と結婚できなかったら、近所からも親戚からも後ろ指を指された。処女性には高い価値が置かれていたし、避妊も徹底してないから妊娠の危険もあった。
女にとってセックスはそれだけでもハードルが高いので、男の期待する「見返り」に応えるのに慎重になった。
毎回食事を奢られ、プレゼントなどももらって、「ラッキー」なんて呑気に思っておられる女は昔は少なかっただろう。「これは結婚してくれということなのか」「どこかではっきり意思表示せねば」「でも遊びだったらどうしよう」などと、悶々としたと思う。
ただ、男の方もカタい人の場合は、三回目くらいのデートで早々と
「結婚を前提におつきあいして頂けませんか」
と、律儀に申し出たりしていたわけである。こっちはそれなりの責任を引き受けるから、そっちもそのつもりで。ついでに「見返り」もよろしく、ということだ。


しかし「見返り」に応じたセックスだって、昔の普通の女は自分から積極的に快楽を貪るなんてことはせず、マグロである。男にされるがまま。
若い男も今ほどセックステクニックの情報がなかったので、自分の思いを遂げたらそこで終わりである。
女に奉仕するなどという感覚は、ジェンダー規範に縛られた男にはない。だいたいメシを散々奢って金を使ったのに、なんでセックスまで奉仕せねばならぬのか。
そこで女にとってセックスは、恋愛感情が非常に高まっている場合は別として、あまり楽しいものではなくなる。つまりセックスしたからと言って、そこも女が+というわけでは必ずしもない。むしろ−。
しかし昔の女は、「こんなものだ」と思ってそれを受け入れてきたのだろう。
だから、食事で男が被る−は、セックスで女が被る−と相殺されて、平等になっていたのである。


今も「見返り」の概念が生きているなら、男はセックスで+、女は−とならないと平等ではない。
しかし今の男は往々にして、最初からセックスでも目一杯頑張ってしまうのだ。だって頑張らないと女をイカせることができないから。自分だけイって女をイカせられないのは、「男の見栄とプライド」に関わるから。それでは女にバカにされてしまうと思い込んでいる。
女は、食事を奢ってもらったから今度は頑張って男にサービスしようと思うのだろうか。そういう女もいるだろう。
しかし若くてキレイな女子力の強い女にとって、セックスは基本的に「させてあげる」ものである。そこでもサービスしてもらって当然なのである。
もちろん女も様々なセックステクニックは知っているので、一応「やってあげたり」する。それ以上の「見返り」を期待して。


だが女がセックスで簡単にオーガズムを得ることは難しい。若くて経験が少なければ尚更だ。
妊娠の危険が過去より少なくなったわけでもない。避妊処置を嫌がる若い男は多い。だからセックスは依然として、女にとってハードルが高い。
そういうわけで、女がある程度稼げるようになっても、「私にとっては−かもしれないセックスをさせてあげるんだから、奢ってもらうのは当然でしょ」という女は生き延びているのである。


解決策としては、奢るのはセックスを買っていることだと認識しそれで割り切るか(金のある人向け)、割り勘で食事を楽しんでその後のことは期待せず、金以外のところで全力を尽くす(金のない人向け)。結局そのどちらかしかない。
無理してでも奢りたいのは好意のなせるワザと思っている人もいるだろうが、それは結局自分が優位に立ち相手に貸しを作りたいからだ。恋愛関係でそれをやっても驕りにしかならない。


●追記:「奢られるのが当然の女」問題
「奢られるのが当たり前の女性がそんなに多いのか?」という意見があるようなので、ちょっと考えてみる。


20代で自分とほぼ同世代、同じような環境の男と付き合っている女は、割り勘派が多いだろう。
最初のデートくらいは男に花を持たせてやったとしても、次からは割り勘にしようと申し出るか、支払いが済んだ後で半分くらいは渡しているのが一般的だと思う。そう金のない男から搾取しても後が続かない。
しかし、相手が4、5歳以上年上で自分より経済力がある男であれば、奢ってもらって当然と考える女はずっと増えるだろう。またそういう男は、年下の女にいいカッコしたいものなので払わせない。
こうした、男が払うのが当然となっているパターンが、デートの割合としてどのくらいあるのかは知らないが、圧倒的に少ないとは言えないと思う(こういう男が金のない男のロールモデルとなっている面があるから、「奢るかどうか」という問題が出てくるのだ)。


私の授業でも恋愛について書かせると、三十前後の男と交際しているという女子学生が時々いるが、彼女達が割り勘にしているとは到底思えない。男の方も二十歳そこそこの若い女とつきあえるというだけで、惜しげも無く財布の紐を緩めるのである。
女子の中には、同世代と割り勘な交際をしつつ、時々年上の男に奢ってもらうというパターンもあるだろう。
授業で調べてみると、身の丈にあった人と恋愛したいという女子学生は多いが、結婚相手となると半分以上が第一番目に経済力重視である。当然のことながら自分の年収より高い年収を相手に求めている。
そういう女子にとっては、結婚が頭にチラついてきた頃に、相手の男が奢ってくれるかどうかは、いざとなったら養ってもらえるかどうかということの目安となる。
こういうメンタリティを『結婚の条件』で小倉千加子は「短大生メンタリティ」と呼び、それは四大の女子にも広がっていると書いていた。


女性にしろ男性にしろ、「奢られるのが当然なんて女性、そんなにいるの?」と言える人は幸せだと思う。それはある意味、かなり良い環境にいることを意味している。
大学生であれば、年上の社会人に対しては別としても、同年代の男に「奢って当然よ」という態度を示す女性は極めて少ないだろう。
そして、わりと偏差値の高い大学にいるかそこを卒業した高学歴の女性は、意識しようとしまいとフェミニズムの影響を受けているし、自分がこれから社会に出ていくのにこれまで努力して蓄積した能力勝負で挑もうと思っているわけだから、男女平等意識も高く、男性に対して「女」を理由に甘えるということはあまりない。少なくとも、そんな甘えを表に出すのは恥だと思っているだろう。


また、そういう女性の周囲には、女性だからといって差別したり甘やかしたりするような男性も、比較的少ないだろう。
知的レベルがある程度高い男性であれば、それは失礼な態度だとわきまえているものであり、そんな偏見的態度を取れば、隣にいる知性も教養もある女性から引かれることもわかっている。
つまり、学歴が高くて知的な男女は、相対的に理想的な環境にいるのである。だから、「奢られるのが当然なんて女性、そんなにいるの?」「会ったことないけど」という言葉も出てくる。当然だろう。あなた達の環境には、そういう女性はいないんだから。


しかし、自分のいる環境の外に、膨大な数の女子がいることを考えたことはないのだろうか。
思い出してみてほしい。小学校の頃、当てられてもいつも答えられなかった頭の悪い女子。中学でもう化粧を覚え、授業をサボって男友達と遊んでいた女子。高校一年の夏明けくらいには進学を諦めていた女子。他の女子が受験勉強に励んでいる時に、深夜のファミレスに仲間と入り浸っていた女子。高校出たらすぐキャバクラでバイトしていた女子。
学歴が低く、社会に出ても大した仕事に就けそうになく、どれだけ頑張っても男の六割の報酬も得られないとわかっている女はたくさんいる。
そんな中でサバイバルしていこうと思うと血の出るような努力をし続けるか、手っ取り早く男にすがるしかない。
そして今更コツコツ積み重ねをしたって無駄だという諦観を持っており、しょせん「女」を武器にするしか成り上がれる道がないと十代で早々と悟っている女子は、当然後者を選ぶのだ。「小悪魔」を流行らせた蝶々なんかはその手で"成功"した人の代表だ。


そういう女子は中学から高校に上がる段階、もしくはそれ以前で、高学歴を目指す男女平等意識の高い頭のいい女子とは、別の女子の共同体に入っている。類は友を呼ぶように、似た者同士が集まるのである。
だから、高学歴な女子の視界には入ってこないのだ。もしかすると一生そうかもしれない。


私はデザイン専門学校に仕事に行っているが、大学に行けなかったことをバネに前向きに頑張ろうとしている女の子は結構いる。彼女達は「奢ってもらって当然」とは思わずに頑張って生きていくだろう。
しかし必ず、もう頑張れない、まともに頑張る気力を失いかけている女の子にも出会う。


ちょっと前、十八歳のある女子学生と話していたら
「私、早く結婚したい」
と言い出した。少し水を向けるとこういうことを言う子はしばしばいる。
「ずっと年上でもいいからお金持ちがいいの。で、何でも言うこと聞いてくれる人がいい。私絶対そういう人を見つけるもん」
年上と言っても、三十代前半まででないと嫌だそうだ。かなり可愛い顔をしているので自信があるのだろう。
それで私は言った。
「そういう人はね、あなたよりずっと美人でずっとデキる女性を選ぶの。あなたみたいなギャルギャルした甘えっ子は一時的につきあってもらったとしても、そんな男性に選ばれることはありえないの。だから授業中にメーク直しなんかしてないで頑張るしかないの。わかった?」
当然彼女はプッとふくれて
「先生のいじわる!」
と言ったわけだが、周囲にいた男子は一様に横を向いて笑っていた。
彼女がどこかで考えを改めるとしたら、現実の壁にぶつかる以外にはないだろう。そこで自分のこれまでを顧み反省したとしても、今後に希望的観測はあまり持てないだろう。


そんなに偏差値の高くない大学や短大や専門学校で仕事をするようになるまでは、私も「奢られるのが当然なんて女性、そんなにいるの?」と思っていた。雑誌などではなんとなく知っていたが、私には関わりのないことだしどうでもいいと思っていた。
自分の考えが通じないという事態に直面して、初めて考えるようになったのである。
自分のいる場所が世界基準ではないと想像してみることを、恵まれた環境にいる人にはお勧めしたい。