日本の純愛史 1 少年愛と「情熱恋愛」 -恋愛至上主義の曙

純愛とは「一身を犠牲にすることをいとわない、ひたむきな愛情(世慣れしていない男女について言う)」であると、新明解国語辞典にはある。
「純粋な愛。ひたすらな愛」(広辞苑)。
「邪心のない、ひたむきな愛」(大辞林)。
恋愛のイメージとは異なるが、恋愛の「純」な部分、ハードコアを取り出せば、純愛だということで大方了解されているだろう。
では純愛とはどこで生まれたのか。そして、なぜ現在の恋愛と袂を分つに至ったのか。それを知るには、恋愛の歴史を辿ってみなければならない。


だが恋愛の起源を辿って古代ギリシャにさかのぼると、恋愛とは男女の愛ではなく、同性愛のことであった。それは、長い戦争で寝食を共にしかばい合い助け合う間に芽生えていった、男同士の固い絆から始まっていた。相手のためなら自分の身をも投げ出す、情熱的でヒロイックで純粋な感情が、「愛」であった。
この"男同士の純愛"について、『愛の思想史』(伊藤勝彦/講談社学術文庫)では次のように述べられている。
「愛されるということは誇り高きことである。なぜなら、それはかれが自分の身代わりとなって死ぬ友に値するということであったから。愛するということは輝かしきことであった。なぜなら、それは、必要とあらば愛するもののために自己犠牲も辞さないということを意味したのであるから。」
仁義という熱い緊張関係を生きる昔の任侠道と、そっくりである。古代ギリシャのホモソーソャルな愛の中に、既に任侠精神が息づいていたかのようだ。


一方、女は主としてセックスの対象であり、ギリシャ的禁欲主義(代表=ソクラテスプラトン)において、性的欲望中心の愛は人を堕落させるものとされていた。だから知の勝ったギリシャ人のインテリは、同性愛=少年愛を精神的なプラトニックラブへと高め、男女の愛より上位に置いたのである。
立派な市民は、妻とは別に少年の愛人をもつことになっていた。まあ女性は市民と認められてない時代だから仕方ない。



キリスト教が浸透した中世になると、また特殊な愛の形式が登場する。ヨーロッパ十二世紀の騎士道精神である。
「騎士はだれか一人の<貴婦人(ダム)>を選び、その婦人に、神に対するような愛と熱誠をげる。その婦人から愛されるためにあらゆる困難に生命をして立ち向かう。その婦人にふさわしいものとなるために、さまざまの手柄を立てて自己の完成にはげむ」(『愛の思想史』)。
純粋な愛を捧げ、セックスとかお金とかの見返りは一切求めない、想像すらしないのが騎士道的愛の理想形。
立派な貴婦人は夫とは別に、プラトニック関係の騎士の愛人をもったと言われる。そして、騎士の側からすると貴婦人は、一個の生身の人間ではなく、どこまでも神秘化、理想化された脳内女性であった。


上流階級限定のそうした一風変わった女性崇拝を経て、男女の愛は「情熱恋愛」へと変化していく。「情熱恋愛」とは盲目的な恋、障害があるがゆえに燃え上がる恋である。
だが、障害を乗り越えようと行動すると大抵は、トリスタンとイゾルデ(婚約者のいる女)やロミオとジュリエット(家同士の対立)のように、追いつめられて死ぬことになっている。
純粋に「自分の欲望」に生きたいと願って壁にぶつかり悩み苦しむのが、「情熱恋愛」の基本なのである。
ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』も、スタンダールの『赤と黒』も、ラディゲの『肉体の悪魔』も、みんな婚約者のいる女か人妻との恋であり、にっちもさっちもいかなくなった結果、最後には死が訪れる。
性規範の厳しい社会でこそ、恋愛という逸脱が至上のものとされ、恋愛の中でも「道ならぬ恋」としての「情熱恋愛」が王道となった。
「汝、姦淫するなかれ」のみならず、「姦淫」を想像しただけでも罪になるキリスト教の性道徳の中で、フランス人が「アヴァンチュール」に「冒険」と「情事」という二つの意味を持たせたのも、チャレンジングで危険な恋こそ恋の名にふさわしいと思われたからだろう。
振り返ってみると、中世の貴族の結婚は、富と土地をめぐる陰謀術数が渦巻く政略結婚だった。近世以降も結婚は、男にとっては家の繁栄(世継ぎ生産)のため、もしくはベッドと食事のためであり、女にとっては生活の保障と安定のためであることが多かった。
「情熱恋愛」は、そうしたビジネス結婚とは根本的に相容れない、純粋で精神的なものとして、初めて重要な存在価値を与えられたのである。


数々の「情熱恋愛」の物語は、「社会の欲望」と対立する「個人の欲望」の冒険をドラマチックに描き出していた。
夫と子供を捨てて愛人に走ったのちに、鉄道自殺までしてしまう人もいた(『アンナ・カレーニナ』)。
不倫の恋患いの果てに死んでしまう人もいた(『危険な関係』のツールヴェル夫人)。
ゲームのつもりがハマって自滅する人も(『危険な関係』のバルモン、メルトイユ夫人)。
さらには恋心が嵩じて相手を殺してしまう人まで(『カルメン』のホセ)。
ヴェルディのオペラ『椿姫』のヴィオレッタは、階級を超えた恋の末に病死する悲劇のヒロインだが、原題は『La traviara(道を踏み外した女)』である。
そこで恋愛とは、「道を踏み外」すような行動に出て死や破滅に至る、反社会的で超リスキーな取り扱い厳重注意の危険物だった。
その心は、純愛である。「情熱恋愛」は純愛の母であった。



しかし、幾多の恋愛小説(を書いたのは圧倒的に男だが)の中で、女は時として手の届かない女神のような存在に祭り上げられる。騎士が貴婦人を祭り上げたように。
憧れの女神に恋い焦がれて悶々とし、手に入らないと言っては苦しみ、失ったと言っては悲しむことこそが、恋の醍醐味だったりもする。
一生女性遍歴を重ねたドイツの詩人ゲーテも、"恋のロマンチック街道"を歩み続けた恋愛マイスターだ。彼にとって女は「全身全霊を賭けるもの」であると同時に、「人生を豊かにし、自分を成長させる素晴らしいもの」。すべては自分(の芸術)のためであった。


だが恋愛をそんな手段にできない「情熱恋愛」の本道では、恋に落ちた相手の女が「永遠の女」となる。あるいは偶然出会った男が「運命の人」。
この先まだ"いい出会い"があるかもしれないのに、そんな未熟で向こう見ずな判断を下してしまうのは、往々にして「世慣れしていない若い男女」。「情熱恋愛」小説の中で、分別を兼ね備えた中高年が主人公になることは滅多にない。のちの純愛小説やドラマに登場していたのも、圧倒的に若者である。
そういう若く夢見がちな心を分析してスタンダールは、恋愛は「結晶作用」だと看破した。
つまり、枯れ枝を覆った塩の結晶が、ダイヤのように輝いて見えるだけ。愛とは美しい誤解でありエゴであると。
しかしその知見が恋に落ちることを防いでくれるかと言うと、ほとんど役に立たないのはご存知の通り。「塩の結晶」は恋に振り回される者を諌めるか、恋から醒めた者を慰める言葉である。スタンダールだって、幾多の手痛い失恋の果てに、そういう悲観的な考えに辿り着いたのだ。


逆に言えば、ただの枯れ枝にダイヤの輝きを見出し、それを疑うことを知らない一途さだけが、「情熱恋愛」の精神性である。そこには、一銭の得にもならないことに運命を賭けてしまう底知れないパワーが宿っていた。だからこそ若さゆえの未熟で向こう見ずな判断は、大いなる共感を持って描かれたのだった。



日本の純愛物語でも、主人公は社会規範、身分や立場の違い、不治の病、第三者の妨害、不倫など、さまざまな障害にぶつかって悩んだり苦しんだりしている。
しかし思いの強さは行動によって示されなければならないのが、純愛と任侠の基本である。いかに熱烈でも感動的でも、愛の言葉、仁義の挨拶だけではダメなのだ。言葉を行動でどう示したか、たとえ言葉がなくてもその人にとっての崖っぷちの行動を敢行したか否かが、純愛のバロメーターとなる。


では、日本の純愛ものの主人公達はどのようにふるまっていたのだろうか。
そこで男と女の行動やメンタリティはどう違ったのだろうか。
そして、純愛物語に人々が求めたものとは? 
そうした観点から、明治以降の主な小説や映画やドラマの流れを見てみよう。(続く)