デュシャンの『泉』についての会田誠の発言

デュシャン以降も作り続けるという正当性をどう確保したらいいかで、現代のアーティストは頭を悩ませ続けるんですね。
(11日『誰でもピカソ』での発言)


アーティストは悩み続けることをアイデンティティとしている、というふうにも受け取れる。
デュシャン以降」というフレームを前提とした段階で、作り続ける正当性は奪われるのにも関わらず、悩み続けることは、何かを先送りしているということになるのだろう。
だから、私も間違っていたんだと思う。悩むことは避けられないが、悩み続けることから快楽を引き出すのは、ヒステリーと似ている。
悩まないで作れる人は、デュシャンを棚上げできる文脈を、自分の中に作っているのだろう。そういう「強靭さ」あるいは「鈍感さ」こそが、現代のアーティストに必要なものだとされているのかもしれない。村上隆みたいに。会田誠はもう少しセンシティブな人なので、真面目なことしか言えない。


ちなみに、エステ方面で有名な佐伯チヅが出演していて、デュシャンの『泉』に、
「私はこれがアートだというふうに思えないんですよね」
とコメントしていたのに対し、会田誠
デュシャンはこれを、新しいアートとして提示したのではなかったかもしれないんですよね」
と控えめな発言をしていた。
あれは新しいアートではなく、アートの終わり宣言だった。
だから僕らは正当性の確保に悩んでいるのだと。
でももうここまで来ちゃって、今更降りられないのだと。


「アートって面白いですよね」でユルくまとまっていた『誰でもピカソ』の中の小さくて深い亀裂。