憚られる名前

親につけてもらった名前でも、他人から見ると「こんな名前つけられると負担だろうな」とか「ちょっと恥ずかしいだろうな」といったものがある。
かなり前話題になった「悪魔」もそうだが、こうしたネガティブな名前ではない。そういうのでなくて、親のナルシスティックというかロマンチックな趣味が露骨に見えているもの。
新年度、学生の名簿を受け取ると必ずその手の名前がある。日本人なのに「ルナ」とか「マリア」とか。あるいは「麻莉亜」だったり。漢字になると、若干ヤンキーのセンスだ。ヤンキーと言えば、『下妻物語』の中では、土屋アンナ演じるヤンキー少女の「苺」が、その名前をひどく厭がっていた。


氏名は自分で選択したのではないので、気に入らなくても諦めるしかない。長年使っていればそれなりに愛着も出てくる。
しかし自分で選択した名前、たとえばHNとかブログの名前とかだと、また事情は違ってくる。いろんなHNがあって面白い。どうしてこういう名前にしたのかな?と考えても、わからないことが多いが。
私はHNを持っていない。はてなのidもただ実名をローマ字に置き換えたものだ。実名と関係ない名前を自分で考えるのが、ちょっと面倒というのがある。また、自意識過剰であることに自意識過剰な性格なので、自分を表象するものに変なこだわりや一捻りがあったりすると、そこからナルシシズムを透かし見られるのではないかと思ったりする。
つまりたぶん変なこだわりや一捻りをしてしまうであろうことを見越して、「独創性」を避けるのだ。どこまで自意識過剰なんだろうな。どうせ誰も気にしてないのに。
ブログ名もそのまんまだ。独創的でなくても、「オオノのひとりごと」とか「オオノの言いたい放題」とかは、自分では絶対つけないブログタイトルだと思う。なんとなくムズムズしません?そういうのは(まさにそのタイトルをつけているという方がいらしたらごめんなさい)。
いっそ「さきこのおへや」みたいなのだったら、ありかもしれない。
それ、もっと恥ずかしいじゃないか‥‥いや明らかに「はっずかしー」という感じであれば、開き直れるからいいという感覚だ。


ところで何年か前のことだが、大学の学食でお昼を食べていた時、私の授業を取っている顔見知りの学生が三人ほど、定食のお盆を持って隣に来た。
「あ、こんなとこに先生が」
「あ、こんちは」
とあまり意味のない挨拶をして、彼らはガヤガヤ話しながら昼飯を食べ出した。聞くともなく聞いているとどうやらその三人はバンドを始めたばかりらしく、機材の相談をしていた。
「シールド買わなきゃ」
「もう金ないよ」
「○○さんに借りれば」
私は思わず「シールドだったらあげよか」と声をかけた(シールド=アンプなどと楽器を繋ぐケーブル)。
三人は箸を止めて私を見た。
「先生、シールド持ってるの?」
「うん、昔音楽やってたから」
「へー、昔っていつ頃ですか」
「80年代の真ん中頃」
「うわ、どえらい昔だ」
「どんなのやってたんですか」
80年代のはじめから中頃にかけては、パンク、テクノ、ノイズなどニューウェーブ系のインディーズ・バンドがぞろぞろ出てきた時期だが、私のやっていたのはその中でもかなりイロモノだったと思う。しかもほぼ無名。演奏も下手。ソノシート一つ出してない。ただステージがあまりにもアレなのと、バンド名がアレなので、名古屋方面で一時期だけ有名だった。


「ところで先生の」
と1人の学生が言った。
「バンドの名前は何ていうんですか」
「それは言えない」
「なんで?」
「ここでは口にできない」
「えーなんで?」
「ちょっと憚られる名前だから」
「すごい変な名前なんだ」
「うん、まあ」
「じゃ今度授業の後でも、こっそり教えてくださいよ」
「こっそりは、もっと恥ずかしい」
「そこまで言われると知りたいよなあ」
しつこく訊かれて私は言った。
「じゃあヒントだけね。一番上が『ど』で一番下が『こ』。全部で五文字」
「『ど』で『こ』? どろんこ」
「それ四文字」
「ど‥‥どさんこだ」
「それも四文字」
「ど、どろみんご」
「なにそれ。最後が『ご』じゃん」
「ど‥‥どくきのこ!」
「それだ、どくきのこだ」
「ちがう」
「ええ〜」
どうせわからない。まあわからんでいいわ。少なくとも私の授業の間はわからんでいい。


二週間ほど後の授業後、学生の1人が近づいてきて言った。
「先生のバンド名、わかりましたよ」
「へっ、どうして」
大槻ケンヂの本に書いてありました」
「うっそー」
「ほんとです。80年代の変な名前のバンドの一つとして。たぶんそれだと思うんだ」
「ちょっと、その本見せなさい」
彼はカバンから一冊の単行本を取り出した。
「このページ。これですよね。最初が『ど』で最後が『こ』」
彼は本を開いて指差した。
‥‥うぐぅ。こんなところに出ていたとは。


そこには、80年代の「変」な名前のインディーズ・バンドがずらずらと列挙されていた。
比較的有名どころで、裸のラリーズINU少年ナイフあぶらだこ、たま、暗黒大陸じゃがたら、突然ダンボール、原爆オナニーズ、非常階段‥‥。今でも活動しているのは、「少年ナイフ」と「たま」くらいか(24日追記:コメ欄でツッコミあり。皆さん結構やってたのね。「原爆」も。すごいですね。ぐんじょーがクレヨンなんてのもあったな)。
こんなことを細かく書いてもたぶん40歳以上でないとわからないと思うが、「原爆オナニーズ」は名古屋のバンドで、もう一つ「割礼ペニスケース」(後に「割礼」)というのがあった。私達のバンド名はそのノリだった。


「これはさすがに言いにくいですよね、昼間の学食では」
学生はニヤニヤして言った。
あの、私がつけたんじゃないよ。他のメンバーが発案してその時のノリで決まってしまったの。まあ私も賛成したんだけど。インパクト重視で。バンド名が決まる時なんてそんなものだ。
ちなみにその80年代「変」なバンド名の列挙には、数個ごとに大槻ケンヂのつっこみが括弧で入っており、私達のバンド名は、ゲロ金魚、ゲロゲリゲゲゲ、バカズ、発狂一直線とともに「ミもフタもない人たち‥‥」とコメントされていた。そりゃ「筋肉少女帯」に比べりゃな。