ロシアには行ったことがない

歌声喫茶「ともしび」

この間、大島渚『白昼の通り魔』(1966)を見た。大島渚は個人的にはもう一つハマれない監督だが、この作品はわりかし有名なのに未見だったので、一応見ておこうと。
冒頭近く、川口小枝という若い頃の杉田かおるそっくりの女優演じるヒロインが、土間で洗濯をしながら歌っているのがロシア民謡の「ともしび」だった。「♪夜霧のかなーたにー、別れを告げー」
そこに佐藤慶演じる「通り魔」(実は知古)がやってきて、無理矢理奥の間に連れ込まれるのだが、その間ヒロインは「ともしび」の続きを歌っている。「あんたなんか怖くないわよ」という意思表示の代わり。なんで「ともしび」なのかと言えば、この頃の流行歌だったからだ。


「ともしび」は昭和三十年代、歌声喫茶というものが流行した時期からしばらくよく歌われた。歌声喫茶とはボーカル曲を専門に流している喫茶店ではなく、そこに来たサラリーマンや若者や若い女性達が、レコードやアコーディオン伴奏に合わせて、みんなで合唱する喫茶店
知らぬ同士がお皿叩いてチャンチキおけさ? なんでそんなフレンドリーな喫茶店があったのかというと、昭和三十年代は労働運動や社会主義運動が盛り上がった時期で、全国の労働組合とかそこの婦人部とか青年部などの集まりで労働歌や反戦歌やロシア民謡が盛んに歌われ、それが巷にも普通に広がっていたのだ。
歌声喫茶について調べてみると、西武新宿駅前に最初の歌声喫茶「ともしび」がオープンして盛況を呈し、全国の都市に歌声喫茶が次々できたという。それら歌声喫茶は、なぜか多くが「ともしび」と名付けられた。そのくらい「ともしび」という曲は、日本人の琴線に触れるものがあるらしい。
トロイカ」「ポーレチカ・ポーレ」「黒い瞳」なんかも同じ。哀愁たっぷりのマイナーコードのメロディに、世界で一番目に社会主義革命を成し遂げた「労働者の国」のイメージが重なって受けたのだろうと思う。


今はサヨクというと「ダサい」「頭悪い」「情けない」の代名詞となり果てているが、その頃の左翼はまだ「希望のともしび」だったということを理解しないと、こういう現象は呑み込みにくい。
私は昭和34年生まれなので、かろうじてその時代の雰囲気をおぼろげながら覚えている。オールドレフトだった父が家でロシア民謡のレコードをかけて、「ともしび」なんかもよく歌っていた。歌詞が難しくて意味がわからなかったのを後で調べたら、なんと恋人を戦場に送り出す歌だった。


旧左翼体質を除いても、父はかなりのロシア好きだった。だいたい初めて連れていかれた実写映画が、ソ連版の『戦争と平和』(7時間くらいあるのでたぶん短縮版の方)である。それまでディズニーアニメばかり見ていた小2か小3の子どもには無茶である。
わけがわからないなりに頑張って最後まで見たが、華麗な舞踏会シーンより戦闘シーンと処刑シーンが頭に焼き付いて夜うなされた。


子どもの頃はメーデーにもよく連れられてって、人々が「インターナショナル」を歌うのを聴いた。たぶんそれも歌声喫茶の定番曲だったのではないかと思う。
ソビエト政権発足当初から国歌として歌われたが、第二次世界大戦中に今のロシア国歌が定められた。しかしスターリン批判が強まって、戦後はロシア国歌はしばらくの間、歌詞なしだった。プーチン大統領になってやっと新しい歌詞が作られたということだ。詳しくはこちらをどうぞ。


そういや「インターナショナル」は、昔お上品な名前のバンドやってた時、替え歌にしてライブのオープニング曲にしていた。
「勃て飢えたる‥‥」
まだソ連崩壊前のこと。父がもし聞いていたら、その場で憤死したかもしれない。

タルコフスキーとソローキン

「ともしび」「インターナショナル」「戦争と平和」(いずれも未消化)に続いて私にやってきた「ロシア」は、プロコフィエフの「ピーターと狼」だった。そしてチャイコフスキー=ネ申がきた。クラシックピアノを習っていたので、これはまあ必然である。チャイコフスキーと言えばバレエ音楽というわけで、テレビの「芸術劇場」などでボリショイ・バレエ団の公演なんかをよくチェックして見ていた。
中学の途中くらいからロシア文学を読むようになって、しばらくはまった。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』にも挑戦したが、やたらとロシア人の(当たり前だ)人名が出てくるのでノートを取りながらでないと読めなかった。
そして普通なら親の影響で社会主義に目覚めてマルクスとかレーニンとかトロツキーとか読むようになったりして、「ロシア」より「ソ連」の方に行くはずであるが、私は美術に傾倒していったので、そういうものに出会うのはロシア・アヴァンギャルド周辺に興味をもつようになったずっと後。しかも「資本論」は途中で挫折。哲学、思想専攻ではない人が「教養」としてマルクスを読むという習慣は、私の世代にはだいぶ薄れていた。


根がミーハーな私は80年代、西武美術館で見たロシア・アヴァンギャルドのデザインのカッコ良さに打ちのめされた。1920年代のソ連の若者に生まれたかったと思った。ずっと後で、ボリス・グロイスの『全体芸術様式スターリン』を読んで、ロシア・アヴァンギャルド社会主義リアリズムを準備したという説にひっくり返った。

その次にきたのは、アンドレイ・タルコフスキーだった。『惑星ソラリス』『ストーカー』『鏡』『ノスタルジア』『サクリファイス』‥‥。タルコフスキー特集がかかっている間、映画館に通った。特に『惑星ソラリス』と『ストーカー』にうなされた。今は年に一回くらい見てうなされている。

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今のところ最後のロシア・ブームは、ウラジーミル・ソローキンである。『愛』を四回くらい読んだ。『ロマン』は一回しか読んでない。あれは一回読むと当分無理。しかし一生に一回は読むべき小説だと思う。クラシック音楽ハードコア・パンクに至るのである。読めばわかります。とりあえず短編集の『愛』からどうぞ。

ソロー菌に脳をやられた私は、同じくやられた友人と共に、たまたまその年東京外語大の講師だった来日中のソローキン氏に会いにいった。アート同人誌のインタビューの目的で。
ロシアの作家は、連日35度を越す東京の猛暑にやられていた。そんなことより、部屋の隅にコギャル御用達雑誌『egg』があったのが忘れられない。NHKロシア語講座はもうやめてしまったが、テキストだけは時々思い出したように買っている。


というわけで私のささやかなロシア遍歴を書いてみたが、ソ連のSFにはまだ手を出していない。そっち方面に行くと結構深みにはまりそうなので、今のところ自主規制。
最近本棚の整理のついでに、ばらばらになっていたロシア関係の本を並べ直した。一番分厚いのが『ソ連・ロシアを知る事典』。付箋が30枚くらい貼りっぱなしになっているうちの1ページを見たら、「オロチョンぞく」とあった。バイカル湖と中国の間の地域の少数民族だが、なぜ「オロチョン族」について調べたのだか思い出せない。
ロシア関連では『現代ロシア文化』が良書である。


時事通信社の記事によると、イズベスチヤ紙の報じるところでは、ロシアの153都市で1600人を対象に基本的科学知識の世論調査した結果、天動説を信じている人が28%もいたそうだ。人類は恐竜の時代に既にいたと信じる人は30%。
「科学的な知識だけを信じる人は20%しかおらず、あとは魔法を含む何らかの超自然的な力の存在を信じていることも明らかになった」。ハラショー!
私は科学の信奉者だが、寝る前は「大地震が来ませんように。病気になりませんように。仕事がなくなりませんように」と神様に祈るので、80%のロシアの人を笑いはしない。


私の中で「ソ連」と「ロシア」は、双方が双方の中に入れ子状態になっているようだ。
スプートニクとバーバガーヤの国。
テトリスと「不思議惑星キン・ザ・ザ」の国。
女帝エカテリーナと「イワンのばか」とエイゼンシテインとディアギレフとマレーヴッチと「ドクトル・ジバゴ」とキリル文字の国。
エリツィン元大統領の葬式にはあまり興味がないが、いつか行きたい国、ロシア。


●参考リンク
・ロシア国歌のいろんなバージョンが聴けます→Russian Anthems museum(特にスターリン時代の終わりから二番目、"Victory Parade in Moscow on June 24,1945"が、大観衆の歓声に祝砲がズドンズドン入っていて何かスゴい感じ)
・趣味的情報サイト→プチソ連ロシアンぴろしき
・ソローキン関連→本人サイト英語版


●追記
一ヶ月以上前のこと、ある社会人向けの講座を持った時、終わってから声をかけて下さった女性がいた。その方は、三年ほど前私が知人と一緒に開催したシンポジウムに来て下さった方で、彼女の息子さんがこのブログの読者だが遠くの大学に行っておられるので、そのシンポには御本人の代理として名古屋在住のお母様がいらしたのだった。
で、こないだの講座の時伺ったところでは、息子さんは大学を卒業され東京は霞ヶ関の方に勤務されていたのだが、この春からロシアに外交官として赴任されるということである。
おめでとうございます。向うからも時々見てくださいね。
Всего хорошего!