すべてのオシャレは男ウケである

同性ウケにおける無意識としての異性ウケ

とりあえず言い切ってみてから考察を始めようというわけで、女性にdisられそうなタイトルをつけてみた。最近あちこちで散見したファッションの話題について。


pal-9999氏の主にこちらの記事の中の「女性のオシャレや化粧は異性へのアピールだ」といった見方に対して、主に女性から「異性ウケのためにオシャレしてるんじゃない、自分のため」「異性より同性の目を気にするものだ」「自分が好きなものを着てるだけ」といった反論がブクマコメントやエントリであった。私の見知っている範囲では、はてなの女性ダイアラーは、なんとなく「男ウケ?フン」な「私は私」傾向が強い気がするので、こういう反応は当然とも思える。
女性間で「ファッションで男ウケを狙ってる」と言われる女は、わかりやすいセックスアピールに走っていたり、いかにもな清楚を装ったりと、ジェンダーロールに忠実な格好をしていることが多く、「男ウケ?フン」な女に嫌われやすい。
安易な手で男の俗情を刺激しやがって。あんたみたいな女が女の代表みたいな顔してるから、女が画一的に見られるんだ。そういう女を見て「女性のオシャレや化粧は異性へのアピールだ」と思い込む融通のきかん男にも腹が立つ、と。


たとえば女ジェンダーばりばりのエビちゃんファッションなんかも、異性ウケより同性の人気を集め、同性間でのコミュニケーションを円滑するためのファッションであるという意見はよく聞く。エビちゃんはたしかにその手の女子のロールモデルである。
では、そこで男の視線が無視されているのだろうか。それはないと私は思う。彼女達にとって、「男の視線をキャッチ」はいかなる服を着る場合においても前提、デフォルトであろう。


というと、エビちゃん系女子には「近寄れない」「こわい」という男性が結構いるから、あれはもう男ウケから外れて自己目的化しているのだ、という見方もあるかもしれない。
だが、そんな腰の引けた男性は向うでも視野に入れてない。ああしたフンワリ、ヒラヒラ、キラキラしたファッションのメイク完璧な若い女を、「華」として横に置きたい、連れて歩きたいと思いそのように行動できる男子力の高い男が、彼女達の当面のターゲットである。
で、そのためには、同好の士と切磋琢磨しなければならない。地味な女の中でちょっと目立っている程度では、全然レベルアップが望めない。というより、地味な女子とは話が合わない。
同じような感性を持つ同性とつるみ、その中でいかにモテ、憧れられ、競争相手や目標とされるかが重要。そのサークルから落ちこぼれることは、情報交換やセンス磨きや努力目標の確保という点からも不利だ。
Cancamでは前、女モテ服、男モテ服などという特集があったりしたが、それら「戦闘服」もこうした戦略の一貫であろう。


もちろん同性ウケは、すべての女性向けファッションに言えることである。いろいろ細分化された中で、「かわいい」「いけてる」「センスがいい」「真似したい」と同性に思われるさまざまなモデルやパターンが出来上がってくる。
だがそうした中でも、「自分の好きなファッションを選んでいるだけ」とは簡単には言い切れない。好みは「作られる」ものだから、百パーセント純粋で自由な「自分の好み」というものはない。主体的に選んでいるようでも、パターンの中から選ばされている。そのパターンは女性向けファッションの場合、非常に種類が豊富なので、「選んでいる」気になれるのだ。


すべての女性向けファッションは、先取りされた女性性に則ったものである。女性性に括られるであろうところのものを、どのように表現しているかにおいて、フェミニンな装いからマニッシュな装いまで、正装からラフな格好まで多種多様に展開されている。
女性性を女性性たらしめているのは、他者の目=男性の目である。言い換えれば、男という性が一方になくして、いかなる女性イメージも立ち現れてこない。


たとえは、主体的に「私が好きなオシャレ」をしている「私」を「私」は肯定するわけだが、そこには「私」を鑑賞しジャッジを下す他者の目が必ずある。エビちゃん女子なら、直接的には他のエビちゃん女子達の目だが、もう一歩引いて見れば、そうしたエビちゃん女子なるものを肯定するであろう男の目である。想像された男の目は、女性の中で意識に上らぬほど深く内面化されている。
異性ウケは、同性ウケにおける無意識なのだ。

ピンポイント・モテと仮装

女性のファッションの豊富さは極論すれば、男性の欲望しうる女性の種類に対応しているとも言える。
種々の女性のファッションによって男性の欲望が多様化されるのか、男性の欲望の倒錯ぶりが間接的に女性のファッションの多様化を生み出すのか、もはや判然としないとは言え、二者をまったく無関係なものとすることはできない。
言い方を変えれば、あらゆる女性ファッションに対して、ウケる特定異性集団というものがある。
ゴスロリなどは一般ウケしないだけで、ああいうのが好きだという男性は私の知人にもいるし、マニッシュなパンツスーツの女性に萌えるという男性もいる。
つまりゴスロリ女子は「それ、ヴィヴィアンの新作?」と話しかけてくれるそっち方面の男とは仲良くなり易いものであり、パンツスーツが似合う女性には「凛々しくてステキだ」と支持する男性が、どこかにいるのである。


もちろん本人はそんなことを意識せず、「私が好きだから着てるのよ、男ウケなんか関係なく」と思っているだろう。
だが、そのファッションセンスを理解され褒められれば、悪い気はしないだろう。むしろ、わかりやすい一般ウケする格好ではないのに好感を持ってくれたということで、相手に一目置く可能性さえある。
男ウケを狙って男がひっかかるのは当たり前だ。狙わなくてもちゃんとわかってくれる男、ひいては狙ってもないのにある種の男からは好かれる自分の方が、希少価値があるように思えるというものだ。
好かれなければ好かれないで、「だって男ウケなんかどうでもいいもの」と言える。


古い話になるが、80年代前半に「カラス族」というのがいた。コム・デ・ギャルソン、Y'sなど、黒づくめのゆったりしたDCファッションで全身を包んだオシャレさん達のことである。巷では、女らしさのかけらもないモテないファッションだと言われた。
まあ普通のサラリーマンのウケはあまり良くなかったが、モード関係や新しもの好きな一部文化系男子が、少数ながら「カラス族」の周囲にはちゃんといた。そもそもそういう「アヴァンギャルド」な装いが板についている人は「普通の男」には興味を示さず、ゴダールやバルトや現代アートや最新モードの話で盛り上がれるような男に行くものだ。
いかに男ウケしなさそうに見えても、女性のファッションとして成立している限り、それは「ピンポイント・モテ」ファッションなのである。
気合いの入った女装は、その気合いを好ましいと思うタイプの男に評価され、全然気合いを入れてない格好は、その力の抜け加減を好ましいと思うタイプの男に評価される。もちろん男女逆にしても同様のことは起こるだろう。
着る人の意志に関わらず、ファッションというものは、異性の限りない欲望と幻想を再生産する装置である。


女っぽく見られたくない、異性ウケを狙っていると思われたくなくて、あえて男っぽい格好をする人もいる。
しかしジーンズもワイシャツも皮ジャンも、もともと男のものであったアイテムを女が身につけることで、ある種のエロティシズムが醸し出されることは否めない。それらは、女を男のように見せるものではなく、女性性をより際立たせるものだ。男っぽいアイテムとそれに隠された女の肉体とのギャップに、エロは喚起される。
ダボダボのシャツの中で体が泳いでいるのが「女っぽい」。シャツの袖を捲くっていれば細い手首が「女っぽい」。好むと好まざるとに関わらず、「女」はどこかにはみ出してくる。すべての女性ファッションは、良くも悪くも「女装」である。


だからここであえて、「オシャレは男ウケのためである」と言ってみよう。
女装=仮装は男ウケのため。
逆に言えば、私は男ウケのために女装=仮装しているだけ。
所詮、全部「かぶり物」なんですわ。そんな仮装でない「本当の君の姿」を見たい? そんなものはないですわ、残念ながら。


「自分のために」「自分が好きで着ている」と「自分」や「好き」に行って自己肯定するより、どうせならこういう開き直り方で男の欲望と幻想を宙づりにしてみたいとは、女性の皆さん、思いませんか?


(かく言う私(昔「男受け?フン」だった女)の今日の仕事ファッションはというと、ボトムはぺたんこ靴にストレートのジーンズ、トップは白いキャミソールに薄いグレーのカーディガンをはおり貝パールのネックレスという、カジュアルさと上品さのミックスを狙ったものだ。男にも女にも広く浅く好感を持たれようという魂胆と、若作りに走る悪あがき。頭にハイビスカスをつけてバラエティに出ていた岩井志麻子のようには、私は(まだ)なれそうにない。)


女の「男ウケより女ウケ」をめぐってに続く


●追記/ブクマコメントに反応してみる(追記//→の先が私のコメント。はてなに来る前の記事なので、現在のブコメには対応していません)
isnotitさん  真にファッションを記号的に消費できるのは男(オタクgeek)だけ/女は現実的
→「記号的な消費」にジェンダーも入っていると思うけど、そういう意味ではないのでしょうか。
tomo-moonさん  決してファッションに興味がないわけでも、「男受け?フン」でもないけれど、「キラキラ女子をはべらせたい」「男子力の高い男」をからきし眼中に入れてないところが(ワタシにとっての)キモなのかもしれない。
→tomo-moonさんがそうであることは、これまでの御発言から伝わってますよ。
MASASCIANTEさん  欲望する性としての男って…あっ、フェミだからか。
→「欲望する性としての男」の立場から確信犯的に書かれているpal-9999さんもフェミ? 
azumyさん  結局、男の目とか女の目とか言ってもボーダーレスだという話。どっちもあってどっちも混じり合っていて明確に分けられるものではない、という、当たり前の結論。
→ボーダーレスとは言ってないです。同性ウケだという時に異性ウケは無意識化されているという話です。
nogaminさん  これでは同性愛の人(女性)のオシャレを説明できませんが、いいのですか?
→この話題が出てきた時から、ヘテロの男女問題として語られている話だと了解しているので、ここで同性愛の女性について言及する必然性を感じません(というか、ヘテロ以外はこの通りでないのは自明では?)。
jituzonさん  バイセクシュアル、ノンセクシュアルアセクシュアル、ビアンへの視点が抜け落ちていますね。
→同上
Hiromichiさん 結局、女性は男性の性的イメージを消費するための商品として存在しているのに過ぎないのかもしれないという憂鬱な読後感で終わった。この記事に反論できる女性はいるのだろうか。作者のように達観できない・・・
→「商品」としてのみ、ではないにしても、その側面は事実として看過できないと思います(最近は男性も同じ立場に置かれてきているようですが)。決して達観しているわけではなく、悶々を抱えております。文章化する以上、個人的疑義から先のことを書きたいというだけで。乞う反論。
keijisさん 「男ウケ?フン」って言わずにいられない心理って、「見られる性」を肯定できるかできないかが肝なのかなとか思った。
→ファッションが「自分のため」であろうと「男ウケ」のためであろうと、その位置はたいして変わらないんですけどね。