性的視線への「批判と抵抗」を考える

女らしくしたくない女子

もう話題としては時期外れになってきたので、言及してもよほど興味のある人以外読まないだろうと思うが、少し前、増田(はてな匿名ダイアリーのことをそう呼ぶ‥‥なんで?知ってる人教えて)で、こんな記事が出た。

「女らしくしたくない」女子を昔から好む癖があるんだけど、
その実中身は全然普通の女子だったりして、凄く凹む。


たった二行の記事である。私の正直な印象は「ああねえ‥‥わからんでもない」だった。
「女らしくしたくない女子」とは、世間で言われるところの類型的な女らしさ(女ジェンダー)の型に自分をはめ込むのが嫌な女子だろう。
そういう女子を好む男子(おそらくこの人は男という想定)は、女ジェンダーにあまり疑いを持たないそれ以外の女子の無意識の計算高さや甘えが苦手で、そういう女子が持て囃される中で抵抗しているような、オンナオンナしてない女子にシンパシーを感じるのだろう。
しかしいざつき合ってみると、彼女の中にも普通の女子に見られるジェンダーがしっかりあって、期待を裏切られると。


私はそういうふうに受け取ったのである。それ以上のことは読み取れないと思った。
ところが次々批判記事が上がり、それらへの共感コメントやブクマもつき、結局その増田さんは、はてな女性陣の総スカン(というほどでもないが)を喰らったような形になった。書き手の女への眼差しが叩かれたのはもちろん、当の「女らしくしたくない女子」までツッコミ対象になった。
以下、批判記事の主なもの。
「女らしくしたくない女子」を昔から好む癖がある人へ(nogamin氏)
「女らしくしたくない女」(smallpine氏)
女らしくしたくない女、女になりたい女(b_say_so氏)(11/18追記:ブログは閉鎖された)


これらの記事に溢れる強い不快感の表明や男性への手厳しい言葉に、私は圧倒された。幾つか拾うと、この男性に対しては
「コンプレックスのある女が好きなのか」
「女嫌いなのか」
「避妊とかちゃんとしてんのか」
「相手に無理なことを要求している」(以上nogamin氏)
「おばかさん」(b_say_so氏)
と散々で、女性の方は
「自分を抑圧している」(nogamin氏)
「『過剰に女』であるがゆえに自家中毒気味になっている」(smallpine氏)
と言われている。
「うわ、きっつぅ‥‥。そういうふうに捉えるのか。たった二行でそこまで読み込めるって、ある意味すごい。つか、特別不快に思わなかった私って鈍感? フェミニスト名乗る資格なし?」と、ちょっと落ち込んだ。
(nogamin氏は反論へのレスエントリで「推論的意味内容を勝手に読み取ったもの」、smallpine氏はもっとはっきりと「偏見全開で言う」「極論暴論込み」「妄想ポエム」と断ってはいるが、そう断ればどう批判してもいいのかどうかは疑問。匿名の増田だからいいとか?)


もしかすると書き手の人々はその記事から、これまで出会った、あるいは巷によくいる、身勝手なイメージを女性に投影して幻想を膨らませている男性達を思い浮かべ、「これはその手の男だ」という直感が働いたのかもしれない。
そして「女らしくしたくない」なんてネガティヴな態度をとっている女子の屈折ぶりや、隠された欺瞞といったものをも、手にとるようにわかったのかもしれない。
しかしたったあれだけの文面から、なぜそこまで批判を展開することができるのか、私にはよく理解できなかった。
ululun氏の反論エントリ(推論が過ぎるのではないかというもの)や、増田の反論(最後の方で余計なことを書いて増々反発を買っている)があったりしたが、結局のところその増田さんは、典型的な勘違い男=「女の敵」みたいな感じになってしまった。
最近のファッション関連議論で、pal-9999氏が「はてな女性ブロガーの敵」みたくなっている(こちらはたぶん確信犯)のと似た構図だ。


この展開が今いち腑に落ちなくてあちこち見ていて、やっと納得できる記事ー錯綜する「女らしさ」を見つけた。推論に基づいていても、この書き手の落ち着いた語りと内省的な分析は、大変共感できるものだった。
結局、「女らしさ」をジェンダー規範と見るかどうかで、増田の記事の受け取り方は変わってくるのだが、批判記事を書いた人達が、普段わりと一般的「女らしさ」を求められることには違和を感じるようなスタンスを示しているのにも関わらず、ここで「女らしくしたくない女子」にまったく共感的でなかったのが、私にとってはやや不思議な印象ではあった。

男らしくしたくない男子

さて、ここで発想を変えるために、元記事の性別をひっくり返してみよう。

「男らしくしたくない」男子を昔から好む癖があるんだけど、
その実中身は全然普通の男子だったりして、凄く凹む。


実は、私はそう思ったことが過去にある。私の考える「男らしくしたくない男子」とは、
「なんですぐ『男のくせに』とか言われるんだろな。男だとスポーツができなきゃいかんのか。ドラマ見て泣いたらいかんのか。少女漫画読んでたら恥ずかしいのか。ちょっと台所に立ったくらいで、なんでオヤジに「男はそんなことせんでいい」なんて言われるんだ。男だけど恋愛ものが好きだよ。男だけど車には興味ないよ。デートでいつも奢るなんて厭だよ。そんなのが『男らしい』って言われるなら、僕は男らしくしたくないよ」
と、悶々としているような地味な男子である。私は、そういう屈託が見え隠れする人が好みなのである。
で、そのタイプだと思えた男子とつきあってみると、変なところで類型的な女らしさを求められたり、「女の子は結婚しちゃえばいいからラクだよね」とか言われたりして、「あれ?‥‥あなたもそこらの男と同じだったのね」みたいな感じになってがっかりする。


こういう体験を上のような二行にまとめて、もし私が増田に書いたりしたら、はてなの男性陣から総スカンを喰らうのだろうか? 
「男らしくしたくない男子」は実は「男らしさ」に過剰に囚われ、それを抑圧しているようなおかしな男であって、そういう屈折した男を好むなんて言うのは、コンプレックスのある男が好きか、男嫌いの、男に無理な要求をしているおばかさんだと糾弾されるのだろうか? 
‥‥だとしたら、ちょっとこわい。


しかし実際は、そこまではいかないような気がする。「男らしくしたくない男子って、具体的にどういうの?」と言う人はいるかもしれないが、今回の記事ほど集中砲火を浴びることはないのではないか。
逆に「男らしくしたくない男子、共感できる」とか(非モテ)男性から反応がくるかもしれない。「マッチョタイプじゃないから安心してたら、所詮女への幻想にまみれた普通の男だったって、よくあるよね」といった女性の共感も貰えるかもしれない。やってないからわからないけど。


「『女らしくしたくない女子』を好み、それが『普通の女子』だと失望すると言う男」が女に批判されて、「『男らしくしたくない男子』を好み、それが『普通の男子』だと失望すると言う女」は男にあまり非難されないとしたら(あくまで仮定)、これはどういうことだろうか。
男が女の趣味を口にするのは用心した方がよくて、女が男の趣味を言うのはOKなのか?
「女らしくしたくない女子」という、まわりくどい言い方がよくなかったのだろうか。
しかし生まれた時から「女らしい女子」はいない。成長するに従ってだんだんと世間で「女らしさ」と呼ばれるところのものを知り、私も「女らしくしたい」、あるいは私は「女らしくしたくない」、あるいは「普段特別女らしくしたくはないが、好きな男の前では多少女らしくしたい」などと思うようになるのである。男も同様である。


「女/男らしくしたい女子/男子が好き」にしろ「女/男らしくしたくない女子/男子が好き」にしろ、異性への個人的な好みであり、それは言い換えれば性的嗜好の一つである。件の増田さんは、自分にはこういう性的嗜好があると言っている。そのこと自体は、別に責められるものではない。
その性的眼差しが現実の異性に裏切られることも、掃いて捨てるほどある。増田さんはその掃いて捨てるほどある事実に直面し、「凄く凹」んだ。
この二行の記事は、客観的に言えば「女への性的幻想があり、その幻想が裏切られた」というよくある話でしかないが、男/女という性の非対称性において、男の女への性的嗜好、視線に孕まれた暴力性に女は敏感にならざるを得ない場合が多いので、それに無自覚と看做された男の言明に、女からの批判が集中するわけである。
そこから考えれば、今回の増田への反発も(誇大妄想の気があるとは言え)心情的にはわかる。


しかし、男へのこうした批判や抵抗の言説は、いかなる場合にも有効とは限らない。逆効果になっている時もしばしばあるのだ。
個人的不快感や違和感を表明して、同じ感覚の人と共感し合いたいだけだという人はいるのだろう。それはそれでいいが、言説の効果を考えると、もうちょっと違う戦略が必要かもしれないと思った。


●追記(重要)
やはりちょっとフェアじゃなかったと思うので、コメント欄でも指摘されましたが、ここに追記として書いておきます。今回、私がその話法に強く懸念を示したかったのは、nogaminさんの記事です。smallpineさんとb_say_soさんの記事は、読み比べればわかるように、内容も話法もずっと穏やかなものです(違和感はありましたが。ここは議論の分かれるところかと思います)。
ですので、同列に並べてまとめて批判されているのは、やや心外であったかと推察致します。増田の記事について、複数の女性の批判的エントリがあったということを示したかったのですが、各々のエントリの差異までは分析しておらず、細かい配慮が足りませんでした。その点のみ、どうぞ御容赦下さい。