pal-9999氏の「男女のファックコミュニケーション」論の無意識

もうやめようと思いつつ、pal-9999氏の男女のコミュニケーションで難しいところにちょっとだけ異論(というほどのものでもないが)があるのでまた書く。
pal氏は次のようなまとめをしている。

男女のファックコミュニケーションの場合、
・性的な意味でのからかいとか、身体的な意味でのからかいというのに寛容な女性であること
・女性にセクハラされても、興奮したり、勘違いしたりしない男性であること
が揃っていないと、基本成り立たないわけ。この両者の間でのみ、ファックコミュニケーションは進展可能になる。


たぶんここで想定されているのは、ネット上だとこんなやりとりだと思う。
「○○さんがあんまりヤバいんで、俺のムスコが‥‥w」
「不良ムスコめ、折檻してやる」
「うひひひ、今夜のオカズが決まったぞ」
「このマスかき野郎!」
"寛容な女性"というのはこのように、男のセクハラな煽り発言に対し、セクハラな罵倒で返せるわけである。二人ともそれを楽しんでいる。しかしもし次のように続いたら?
「このマスかき野郎!」
「なんだよヤリマン!共同便所!」
「ヤリマン」も「共同便所」も、女性への「性的な意味でのからかい」である。同じようなのに「中古品」というのがある。
こういうからかいにも、笑って言い返せる「寛容な女性」はいるのだろうか。どんなに「対等な」セクハラ発言をし合っていても、男性がこうした言葉を口にしたとたん、それまでの見かけの対称性は崩れ去るのではないだろうか。

女性が男性をいくら「ヤリチン」「汁男優」「ケダモノ」とケナしても、女ほどのダメージはない。性的に奔放、旺盛であるとのイメージは、男性にとっては比較的好ましいイメージとされてきたからだ(「英雄、色を好む」とか)。
しかし男性に「ヤリマン」と言われて穏やかでいられる女性はいない。「貧乳野郎」は貧乳好きな男もいるから救いがあるが、「ヤリマン」「共同便所」はシャレにならない。それは女性の性的価値下落を意味している。それが女性にとってどういうことかは、前日のエントリに書いた。


同じ「性的・身体的なからかい」でも、性的価値を貶める言葉こそ真にファックな表現になるが、それは男女間では避けられるのである。つまり、pal氏がここで想定している男性から女性への「性的・身体的なからかい」とは、「相手を性的に好ましいと看做した上で出てくるようなからかい」に限定されているのではないか。
なぜそのようになっているかと言えば、pal氏自身が、「性的に好ましいと看做した」女性と、気軽にファックコミュニケーションしたいと思っている男性だからでしょう。
そういう女性とラフにセクハラな会話を交わしてみたいというのは、男性の欲望の一つだと思うので、別に問題ない。
pal氏のエントリで言われている男女のファックコミュニケーションは、「口の悪いピロートーク」みたいなものである。女性から男性へのからかいについて、男性は「興奮したり、勘違いしたり」しないようにとの警句を発しているのも、それが基本的に「ピロートーク」=性的戯言と認識されているためであろう。


ということは、知的変態度の高い人にとっては、むしろ褒め褒めコミュニケーションより、"レベルの高い興奮"が可能だったりして。
もちろんこれは、からかい返す、あるいは更なる相手のからかいを引き出さんとする女性の側にも言えることかもしれない。