失恋の歌とフロントホック・ブラ

先月一日に逝去した作詞家阿久悠の自伝を読んでいた夫が言った。
「おお、ジェンダーだな。おい、こりゃジェンダーの話だな」
「なによ。ジェンダージェンダーってうるさいな」


夫によれば、阿久悠以前の失恋の歌は、男が去って女がヨヨと泣き崩れるとか、去っていく男に女が「捨てないで」と追いすがるパターンが多かったのだが、阿久悠は、尾崎紀世彦のために書いた『また逢う日まで』(1971)で、初めて男女が対等の別れを描いたのだという。
「♪ふたりで、ドアをしーめーて〜、ふたりで、名前けーしーて〜、その時心は何かを〜」
「わかったわかった」
「そんでな、ワコールのフロントホック・ブラ発売のコマーシャルを見て、阿久悠は衝撃を受けたんだと」
「どんな?」
「それまではホックが後ろだから、男に外してもらうような感じだったのよ。それがフロントホックを自分で外して『さーあ、いらっしゃい』みたいな感じになったわけよ。つまり女はセックスにも別れにも主体的になったんだと。な。そんで高橋真梨子の『ジョニィへの伝言』を書いた。あれは女の矜持を歌っとる」
「ふうん」
「♪ジョニィが来たなら伝えてよ〜、わたしはだいじょおぶ〜〜」
「わかったわかった」
阿久悠の詩は、女が変わってきた世の中の空気をいち早くキャッチしたからヒットしたってこったよ」
「まあそうなんだろうね。でも私、一周回ってるからそういうのはもういいわ」
「そうか。じゃあおまえは奥村チヨでも歌ってろ。♪あなたと逢ぁったその日から、恋の奴隷になりました」
「いちいち歌わんでいいって」
「♪だから、いつも、そばにおいてね〜」


‥‥おいといたげるよ。いい子にしてれば。