手加減と優しさ

はてなブックマークーベテラン村民
これまでよく言われていることだと思うが、自分の記事やコメントに批判をぶつけられる可能性は常にあるわけだから、反論なりスルーなりでそれに対処する自信のない人はプライベートモードで書くしかないだろうなあ。
あるいはブクマコメントで出ているように、しばらくROMして「覚悟」ができたら参入するとか。
私の場合は、内輪の掲示板時代が一年少しで、その後ブログを書き出してからはてな界隈の議論に言及するまでが、一年近くかかっている(ちょっとかかり過ぎかも)。最初の記事は去年の五月頃。書いてから何度も読み直し、アップするのは大袈裟に言えば「エイヤ!」という感じだった。今でも基本的にそう。


ネットに参入して間もない人をよってたかって「叩く」のは間違いなく下司の振る舞いだ(特定の事象を指しているのではない)が、「この人は打たれ弱い人だから手加減すべき」とのレッテルを他人が勝手につけるのは、その人にとって失礼に当たることがある。
これは特にリアルで、女性や若い人なら体験している人はいるのではないだろうか。
真面目な会話や話し合いの最中などに、「うんうん、なるほどね」とニヤニヤしながらいなされ、まともに意見されない不快感。
「まあ若いからそう思うのも無理はないな」と上から目線で言われる悔しさ。
言論の場で対等に扱われないのは、屈辱的なことである。


とは言え、ここまで「叩き→閉鎖」が問題になると、kanose氏のブクマコメ「ブログ初心者マークが必要?」(初心者マークの推奨ではない)ではないが、「『腹が立つことはあるのでものは言うが、自分への批判は傷つくのでやめてほしい』と思っている人は、ブログの冒頭にそう表示しておくことにしたらいいんじゃないの?」という意見も出てきそうな気がする(既に出ているのかな)。
だがそれを実際にやる人はいるだろうか。
誰だって手厳しい批判に内心傷つくこともあると思うが、自分はやっていたりやりたかったりするのに、他人の言動に規制を設けて「特別扱い希望」を表明するのはフェアではないという「恥」を知っているなら、やらないのではないだろうか。フェア以前にみっともないし。


どういう言葉で傷つくのかは人それぞれだから、個別の事情を考慮すべきだという意見もあるかもしれない。それは事実上、当人が傷ついているという態度を表しているか否か、またどれだけ表しているかでしか測れない。
とすれば、「傷つきやすい人」であるような内容の記事をよく書いていたり、ネガコメに凹んでいる様子をしょっちゅう見せたりすれば、弱者認定され下駄を穿かせてもらうことになる。一方、感情表現をせず平然としている人は、多少の批判には動じない強者とされるだろう。
では、「反応したらますます無用な攻撃を受けるかもしれないから、ここは平静を装って」という用心深い人や、「手加減してくれと言うのは恥ずかしい。一人で泣いとけばいい」と思うような弱気な人は? 
やはり強者と看做される。初心者ベテラン関係なく。


パソコンの前でダメージを受けていても、それを表現しない人はたぶん大勢いる。表現するのもしないのも自由だが、そのことをもってレベルを設定したりすること(そんなことが可能かどうか知らないが)は、無意味な階層性を作り出すことにしかならない。
人を批判すれば人からの批判も受け止めねばならないし、罵倒すれば罵倒し返されても文句は言えないし、誹謗中傷や嫌がらせ行為は糾弾や反撃に遭う。
原則はそれだけだ。ネットでもリアルでもそれは同じだと思う。


そして、この原則を互いに守り続けた中でのみ、対話している相手の心情や立場を推し量ることや、大した落ち度もないのに一方的に非難されている側につくことが、心優しい振る舞いとして浮かび上がるのである。
ルールが機能しているからこそ、そうした場面が意味をもつのであって、その逆ではない。