女のおじさん

ウコンの力は効くよ」と教えてくれたのは、少し年上のトモコさんである。
彼女と夫を含む3、4人で、たまに近場の温泉宿に行く。夕方からだらだらと風呂に浸かり、酒を飲みながら晩ご飯を食べて、部屋に戻ってだらだらと飲み続け、朝起きて温泉に浸かって、朝ご飯を食べながらまた飲む(ドライバー役を除いて)というパターン。特に観光はしない。温泉を抜いたら、そこらの飲み屋で自分達が普段やっていることと同じだ。
で、行く途中で買ったビールや酒を入れるクーラーバッグと共に、いつも人数分×2の「ウコンの力」をちゃんと持参してくる準備のいい人が、トモコさんである。


お酒好きのトモコさんと飲みに行くのは楽しい。安くて美味しい日本酒もよく知っているし、スプリングバンクというスコッチウィスキーを教えてくれたのもトモコさんである。
飲みに行く時は、途中コンビニに立ち寄る。「サキちゃん、ウコンの力飲んでこ」。店頭にゴミ箱のない地下街のドラッグストアだと、「ここで飲んでいきますから」。店員さんが壜のキャップを開けて渡してくれる。


しかし中年女二人が、ドラッグストアのレジ横で二日酔い防止ドリンクなんか飲んでいる図は、あまりエレガントなものではない。レジの人に「女もおばさんになると人目を気にしなくなるもんだな」なんて思われてんじゃないの。恥ずかしいよ。
カーッと豪快な一気飲みができず、横を向いて上品ぶって(と言ってもウコンの力だが)ちびちび飲んでいると、2秒で飲んでしまったトモコさんはコンと空き瓶をレジに置いて「行くよ!」。
待ってトモコさん、置いてかないで。ゴクゴク。


トモコさんとは、T氏の店でよく会う。T氏もトモコさんも、それぞれ恋人のいる同じ50代前半の独身。二人はしょっちゅうご飯を食べに行くほど仲がいい。T氏によれば、一時期は彼女といる時間よりトモコさんにつきあう時間の方が長いくらいだったということだ。
「ともかくあんな人は初めてだね。なんでこんなによく一緒におるのかわからん」。
トモコさんはおかっぱ頭で背が高く、ものをはっきり言う人柄だ。夫はたまに(女性に対する)失言をするので、トモコさんにやりこめられている。私より無駄な言葉数が少ない分、私がやりこめる時より勢いとパンチ力がある。夫はほとんど何も言い返せない。


トモコさんは筋金入りの競馬好きというか馬好きで、一時期は引退した競馬馬を引き取って、近くの馬場の厩舎を借りて飼っていた。暇な時はそこらの道を馬に乗って散歩していたらしい。
だいぶん前にその馬は手放してしまったが、よく行く競馬場では馬丁の人達とも顔馴染みで、正月のレースの前のお披露目の時に練り歩く馬の飾り付けを毎年やっている。


T氏の店で時々、トモコさんはくわえタバコでスポーツ新聞を読んでいる。T氏は「トモちゃん、それやめなって。僕だってくわえタバコで新聞読まないよ」と注意するが、「はん?」てなもんで平気だ。
トモコさんが遅がけに来てちょっと飲んで帰る時、T氏は「帰っても食べるものないだろ。これ持ってき」と惣菜の残りなどをタッパーに入れて持たせている。まるでお母さん。


こないだの夜トモコさんと飲んでいたら、隣の店に来たらしいベンツが、T氏の店のガラス戸の方に思い切りヘッドライトを向けて停まった。T氏がまぶしそうに目を細めたと思う間もなく、トモコさんが外に向かって「バッカヤロー、早くライト消しやがれ!」と怒鳴った。私とT氏は顔を見合わせて苦笑いした。
まあこっちは店の中、向こうは車の中だから聞こえてないと思うけど、女の人が怖い顔でなんか怒鳴ってるのは見えたかもしれない。
そんなトモコさんも彼氏の前では「すごく女らしい」そうだが、その現場を見たことがないのでわからない。


夫はトモコさんのことを、「女のおじさん」だと言う。昔、永六輔が「ボクは男のおばさんです」と言っていたのを、ひっくり返して言っているのだ。永六輔の喋りは、ソフトで早口でマッチョな感じが一切なく、ともかく細々とよく喋るという点で、確かにどことなくお喋り好きのおばさんぽい。トモコさんの方は、普段特別男っぽい喋り方をしているわけではない。
でも夫に言わせれば、
「見かけはおばさんだけど、中身はおじさん」
「そうすると、Tさんは男のおばさんだよね」
「そうそう」


女のおじさんと男のおばさん。そういう組み合わせは、結構仲良くなれるものなのかもしれない。
「私はどうなの?」
「おまえもどっちかというと、女のおじさんだな」
「じゃ、あんたは?」
「俺はただのおじさんだ」


でも私は、トモコさんの少しかわいい場面を見たことがある。半年ほど前のことだ。
彼女は田村正和の大ファンで、十数年ぶりに映画出演するというので浮き足立っていた。たまたまT氏の店で見た新聞にそのニュースが写真入りで出ていたのを見て、後から来たトモコさんに「正和サマ出てたよ」と教えた。「どれっ?」と新聞をひったくり喰い入るように読んだトモコさんは、「Tさん、ここだけ頂戴」とそのページを破いて、写真に折り目がつかないように畳んでバッグの中にしまった。
いつものように自分で冷蔵庫からお酒を出してきて飲んでいる彼女に私は、トモコさんて結構乙女だね‥‥と言おうとしてやめたのだった。