ラッセンとは何の恥部だったのか

追記あります。


拙書を読んで下さった人から面白いメールをもらった。「ところでラッセンって何だったの?」という話(本の内容とは直接関係ない)。
‥‥ラッセンか。そう言えばいたなそんな人が。


ハワイの海やイルカの絵を描いているあのラッセンです。御存知ないですか。別に知らなくてもいいのですが。日本向けのホームページに絵の画像がたくさんある。「あー、あのサーフィンショップとかに飾ってありそうなイラストか」と思い当たる人はいるだろう。もっともイラストじゃなくてアート、絵画として売られている。
こちらを見ると、絵以外のところでかなり評判が悪い。エコロジストのサーファー画家ということで売っているラッセンだが、ほとんど不良外人の扱いだ。


しかし、なぜラッセンの絵がそんなに人気があるのか。
日本人ってそんなに海とイルカが好きだったのですか。
以下、その方の承諾を得てメールから抜粋(ちょっと長いです)。途中に入っているのは私の返信。

昨日あたり、ふと思い出したのですが、そういえばラッセン
まだ生きてますよね、ラッセン
あの人は何だったんでしょうか。
今でこそ、「ああ、ラッセンね」みたいに「ああ、アムウェイね」と同じところにオチてますが、オチが付くまでには結構売れたと思うんですよ。
それも、安田生命ゴッホをすんげー値段で買っちゃったバブルのノリじゃなくて、割ともっとアートは関係ないところで。
[中略]
今でこそ、「ああ、ラッセンね」のオチがついたので、そうそう強引な客引きも見ませんが、
当時(15年くらい前?)は、23時以降の繁華街の客引き並の何か法律にひっかからないのか?
というくらい強引な若いおねーちゃんの客引きがあり、
店舗(自称画廊)も表通りにガツーンと面して建っていました。
その頃は、ブログはまだなくて、さるさる日記とかがメインだったと思うのですが
文章から絶対あんた寂しい10代過ごしたよねと思われる男子が
急に若くてキレイ目なおねーちゃんに積極的に迫られる話があれば
ヲチってる人間が皆「ああ、浄水器かイルカの絵ね」という目で生暖かく見ていたものです。
今では「何でか、宝石とか浄水器とかイルカの絵とか買っちゃって」その後
女と連絡が取れなくなるという、暗い笑いの定番として落ち着いたラッセン
ラッセン村上隆のように、「売れれば天下取ったも同然なんだよ」と思っていたのでしょうか。
何か、そこまですらいってないんじゃないかって気がします。
むしろ、その点、村上隆のほうが良心的な気すらしてきます。
余所様の国で、詐欺の代名詞になっちゃったっていうのはどういう感じなのかしら
と想像すると、一体、あの人は何だったのか?ともやっとします。

売り絵画家という中傷さえ的外れになるラッセン
あれは、どういう現象だったのかよくわかりません。

いましたねー、ラッセン。今どうなっているのでしょう。
一時期、女優の藤谷美和子とつきあっていたという芸能情報の記憶があります。
ネットで見ると、「激安価格」で出ているようですが、
まだ買う人がいるのでしょうか。
ラッセンと言うと、似たポジションで、ヒロ・ヤマガタを思い出します。
どちらも現代アートの方では一顧だにされていませんでしたが、
莫大な金を稼いでいたことは確かですね。
バブルの頃に出てきた俄画商が、ナイーブな人を騙して売っていたイメージ。
[中略]
しかしラッセンとは何だったのか。何の恥部だったのか。
これは考察に値します。

ヒロヤマガタのシルクスクリーンパステル画も馬鹿みたいに売ってましたね。
時期はかぶっているのですが、ラッセンが特設会場的な、ラッセンしか扱っていない派手な会場で茶髪ピンヒールのおねーちゃんに対して
ヒロヤマガタは大阪では茶屋町という「Loft」界隈の画廊通りで扱われていました。
Loftっていうのが「なるほど」って感じです。
15年前は、画廊通りだったそこは、10年前には驚くほどのゴーストタウンと化し
ベニヤを張った空き店舗と空き地になりました。
(微妙に首都圏とはずれている不況の波の伝動)
[中略]
そんな風に(前フリ長くてすみません)、曲りなりにも画廊が扱っていたヒロヤマガタ。
対する、最初から「困ったときには売ればいいから」のダイヤモンド(実際は売れない) 的対象のラッセン
ヒロヤマガタを扱っている画廊の人も「私は画商で、これはアート」というオーラむんむんでした。
ラッセンは、今でいうと携帯ショップのバイトのおねーちゃんと一緒の雰囲気でした。
しかし、売り文句は「アート」。
あの、ラッセンは商品だけど、ヒロヤマガタはアートという空気は大阪独特だったのでしょうか、それとも、全国区で、ヤマガタが同じ日本人だからなのでしょうか。
[中略]
>しかしラッセンとは何だったのか。何の恥部だったのか。


そう、何か恥部だとは思うのですが、「何の?」なんですよ。
あの色彩を「いい」と思う時代が日本にあったとも思えない。
アートって癒しだよね、とか見ていいと思えばアートだよねにも逃げられない。
湖の上に虹が出て♪というヒロヤマガタのわかりやすさに比べて
何ひとつ、郷愁や昔話に共通する「きゅんとクる♪」部分もなかろうにと思うのです。
ハワイ人じゃないから。
私が、あの絵で思い出すのは、宗教の勧誘訪問の人が持ってるチラシの
極彩色で「人間も動物も争わず、共存して」みたいな、ライオンと人間とシマウマが
仲良く草原にみたいなアレです。


にも関わらず、「浄水器か高級絵画かいつか結婚する時のためのダイヤモンド」か
っていう詐欺の代名詞になるほど、一般的に広く「被害」として流通したラッセン
あれは何だったのか。何の現象だったのか。
ただの美人局的商法ではない、「何か」があるとは思うのですが、もやっとして
気持ち悪いまま出ません。



現代アート方面ではヒロ・ヤマガタと並んで「アレをいいと言うと恥ずかしいタイプの絵」というか話題にすらされてなかったが、なぜかむちゃくちゃ売れていた(印象がある)。検索するとネットでもずいぶん販売している。
日本を格好の商売の場としているようで、先の日本版HPによれば、現在来日中であちこちで展示会をしている。年に最低一回は来ている模様。去年新宿で開催された販売会も盛況だったらしく、巷ではラッセンの人気は不動。


「アレに夢中になったのはちょっと恥ずかしかったのでもう忘れよう」ということになっているかと思っていたら‥‥そういうわけでもなかったのだ。
ラッセンとは何の恥部だったのか」を考察する予定だったが、ここまで堂々と晒されているのは、もはや「恥部」とは言えない。
その理由として考えられるのは一つだけ。環境保護活動のキャンペーンとして使われていることだ(収益金の一部をそうした寄付に充てているらしい)。そういう大義名分のある絵画に「アートとしての評価」はあまり関係ない。「エコロジー」は世界共通、水戸黄門の印籠である。


しかしそれだけで、ケバいおねーちゃんにローン組まされて何十万かの絵を買ってしまった過去は、相殺されるのだろうか。もっと深いところで、なんか別の要因が働いていたはずだ。
それは、ラッセンの絵が売り方も内容も含めて、「日本人のヤンキー心に訴えた」ということではないかと思う。


ラッセンが日本で突然持て囃されたのは、バブル期の最後の方だった(終わっていたかもしれない)。
折からの絵画ブームで、ブランドものを買い漁るのも飽きた人々がアートに目を付け始めていた。『ブルータス』のインテリア特集とか見ると、ミッドセンチュリーな家具とウォーホルの版画といった組み合わせがよくあった。美術館がやたら高い海外の作家の作品を買っていたのもこの頃だ。
そういう雰囲気に乗せられて、何となくそっち方面に手を出した人々が引きつけられたのは、アートそのものというより「アートを買う」という行為。金を出せば何でも買える。だからアートも買ったのだ。


しかしラッセンの"凄さ"は、そうしたアートコレクターになってみたい欲望にすらひっかからないところにあった。ラッセンを買った人がウォーホルも評価するとは思えないし、現代アートのギャラリーに通うようになるとも思えない。ウォーホルの版画を買った人の何割かはコレクターになるかもしれないが、ラッセンを買った人はいつまでたっても単に「ラッセンを買った人」。
怪しい壺を売るのと同じ手口の派手なおねーちゃんに言い寄られ、あれこれ能書きをまくしたてられ、「きっと凄いものなんだ」と信じ込んで(あるいは半信半疑で)大枚はたいたのである。大枚はたいて何か「凄いもの」買った気分、得した気分になった。
「上品ぶってたって売れんわい」という売り手スタンスも、購買スタイルも、ヤンキーのものだ。


「きっと凄いものなんだ」を逆説的に支えてくれるのが、ラッセンの絵の"わかりやすさ"である。水族館の看板くらいわかりやすい。妙にケバケバしい配色やファンタジックな絵ヅラは、ヤンキーの車のペインティングとよく似ている。そっくりの図柄をペイントしているシャコタンを見たこともある。
新興宗教臭さを感じさせる「極彩色で「人間も動物も争わず、共存して」みたいな、ライオンと人間とシマウマが仲良く草原にみたいな」"スピリチュアル"な雰囲気も、安いヒューマニズムにコロリとやられがちなナイーブなヤンキー心を捉えそうだ。
ラッセンの絵は日本的な癒しや郷愁とはかけ離れているかもしれないが、日本人に一番多い((c)ナンシー関)とされるヤンキーの趣味には意外にも合致。むしろヤンキーにとっての癒しがラッセンに凝縮されている、と言ってもいいくらいの感じだ。


アート業界周辺は、もともとヤンキー濃度が低い。若い層もどっちかというとオタク、サブカル系が多く、ヤンキー的なものとはソリが合わない。だが、ヤンキー・メンタリティは日本人の中に薄く広く浸透している。それがボリュームゾーンなのである。
誰も自分がそこに属しているとは思っていない。だって、ヤンキー的なものは洗練されてなくてダサいし、ヤンキーな奴は横着で頭悪いということになっているから。やるとしたら確信犯であって、素でヤンキーはちょっと恥ずかしい。日常の裾野のあちこちで晒されてはいるが、自慢できる顔ではない。ましてアートというヤンキー・メンタリティを忌み嫌うジャンルでは、恥部に等しい‥‥。
そのことを、ラッセン現象は明るみにしたのだと思う。
ラッセンが売れちゃったりするのは何か嫌だ、何か許せないという心性は、日本人の(そして自分の中の)ヤンキー気質を見たくないという思いと重なっているかもしれない。



●追記
「ヤンキー」について若干説明不足だったようなので改めて。
ここで言っている「ヤンキー」とは記事でちょっと触れましたように、ナンシー関の文脈に依っています。「日本人で一番多いのはヤンキーとファンシーである」(「日本人の血からヤンキーとファンシーは消えない」だったかも。どこで言っていたのかは思い出せません)。*1
いわゆる暴走族系の人やキンパツの人だけではなく、「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」を指しています。ヤンキーとファンシーは結構近いものだと思います。
ラッセンは、そういう人々に(特に)アピールしたのではないかという主旨です。


ヤンキーについてはヤンキーに対峙する文化受容を確立したいけど難しいなあ…実際 - 淀川トゥナイトショーが非常に納得いきました。
ちょっとダサくてどこか貧乏臭いんだけれども、なんかどうしようもない刹那的なリアリティが漂っているヤンキー的なものが、日本の文化の底にあるのではないか。ワビサビなんかより、ヤンキーなのではないか、本質は(そこまでは言ってませんでしたが)。都築響一大竹伸朗の仕事は私も尊敬しております。
かくいう私も、ラッセンを部屋に飾りたいとは思わないのですが、ヤンキー趣味や気質には正直妙に惹かれる部分があります(昔はファッションに豹柄とか光り物とかヤンキー臭いアイテムをよく取り入れてました。今それをやると大阪のおばちゃんになってしまうのでやりませんが)。
ヤンキーとは、私にとっては愛憎半ばするものです。


ヒロ・ヤマガタ的なものの受容の背景については、誰がラッセンを求めていたか - おまえにハートブレイク☆オーバードライブが、よく分析されていて興味深かったです。
ブコメにも書いたのですが、こういう「陰影(文字どおり、初期の作品では人物に影がなかった)というか奥行きというか、そういうものをまるっきり欠い」た、極めて湿度の低い滑らかな表層だけの「アーバンなセンス」(「」内は記事より引用)と言われるものの元祖は、デヴィッド・ホックニーだったのではないかと思います。
ホックニーの版画は、70年代末から80年代に非常に人気があり、ポスターなども売れまくってました。西海岸の乾燥した空気、書き割りのような風景と室内、人気のないプール、シャワーを浴びる男達‥‥。実はホモセクシュアルな香りも漂っていたのですが、一般にはオシャレなものとして受け入れられていた気がします。
ホックニーのプールのあっけらかんとしたブルーは、ラッセンヒロ・ヤマガタの色彩に通じるものがあったかもしれません。


●2012.8.16の追記
今月、東京の現代アートギャラリーCASHIで『ラッセン展』が開催されている関係からかラッセンが話題で、ここにもtwitter経由で見に来て下さっている方がたくさんいるようです。ありがとうございます。私も『ラッセン展』見に行く予定です。
尚、来月発行予定の拙書(仮題『アート・ヒステリー』)で、ヒロ・ヤマガタラッセン現象について、「ヤンキー」という観点とはまた別の考察をしています。出ましたらここでお知らせしますので、どうぞよろしく。


ラッセン関連記事(2014.9.19/某所に取り上げられて最近また読みに来られる方が増えたので貼っておきます)
「ラッセン本」に寄稿しました
ニッポンの夏、ラッセンの夏
ラッセン・メモ - ラッセン以前の"ラッセンなるもの”
『ラッセンとは何だったのか?』トーク・イベントのお知らせ
ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥)
ラッセンは「宗教画家」であり「インサイダーアーティスト」
奈良美智とラッセンについてのUstream発言起こし

*1:追記:コメント欄のsnksnksnkさんのご指摘http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080421/1208731778#c1345117400に寄れば、この発言は根本敬だそうですが、ヤンキーが「日本最大のマーケット」であることを最初に指摘したのはナンシー関のはずです。