『世界にひとつだけの花』考

一部で盛り上がっていたので、いっちょ噛んでみます。

競争社会の淘汰圧に耐え切れずに一時退却するのは有りだと思うよ、もうこんな競争社会に居られないぜってドロップアウトするのも別に勝手だけど、それは自分が良く良く考えた上で自分の責任でしなきゃ成らないことだろ。それを中年アイドルグループの歌に託すなよ、しかもそれ理由無いじゃん!って事ですよ。


花は野に咲け世界にひとつだけの花- 幸せの鐘が鳴(r


私はちょっと違うことを思ったなぁ。
ドロップアウトしてオンリー1幻想に浸るのも、その人の勝手です。格差社会の中で闘って競争に負けて降りた人には、そのくらいの個人的癒しはあっていいと思います。
どう見ても出世コースから外されたくたびれたおじさんがカラオケスナックでがなっていても、寛大な目で見ますよ私は。おじさんだってツラいんだ。誰もオンリー1だと認めてくれなかったら、「中年アイドルグループ」の歌に託すくらいしかないんだよ。痛々しいけどそっとしておいてやれ。


私の夫(49歳)は仕事に疲れ果てて発狂寸前ですが、「でもあなたはあなたじゃないの」と言ってやりたいです。3日置きに「もう何もかも投げ出してホームレスになりたい」とホザいてますが、「そうね。それもあなたのひとつの道かもね」と。
妻の立場で「そんな情けないこと言っててどうする」となぜ夫を叱咤激励しないのか? しても仕方がないからです。充分自分を叱咤激励し自分に鞭打って働いてもうヨレヨレになりかかっている男に、「まだまだ努力が足らん!」とは言えません。唐突に「しょうがねぇから生きてくことにするか」と真顔で言う男に、「ならナンバー1をめざせ」とは言えません。
もちろん誰だってホームレスに進んでなるわけにはいかないし、そう簡単に死ぬこともできない。そんなしんどい立ち位置を支えるのがどんな陳腐な癒しであっても、それを笑う資格は私にはないなと思う。


おじさんにとって『世界にひとつだけの花』は、昔で言えば『昭和枯れすすき』(1974)です。
♪貧しさに負けた いえ世間に負けた この街も追われた いっそきれいに死のうか 
濃厚な昭和汁がしたたるあの歌は、あまりに暗くストレートな負け犬の歌でした。もちろんこの歌を口ずさんだサラリーマンがことごとく自殺したり出奔したわけではなく、惨めったらしい歌詞に自分の今を託して自らを慰めたのです。暗くてビンボ臭いのは70年代の流行りです。
♪力の限り 生きたから 未練などないわ 花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき
ここでは「花」は咲いてません。さすがに現実を直視しています。
同じ自慰ソングでも、『世界にひとつだけの花』には、花が咲かないかもしれない不安はない。それなりに咲いてみんな「どれもきれい」。頑張れば咲けるのです。そうだオレは頑張った。立派な花ではないが花は花だ。競争からは落ちこぼれたが花は花だ‥‥。(←自分に言い聞かせる。そして)
♪No.1にならなくても いい もともと特別な Only one 



私が忌避感を覚えるのは、そういう勝者と敗者が選別され淘汰される現実があたかもないかのように、この歌が受容される場面です。
職場の近くに小学校があって、一時期朝礼でこの歌を流していました。子供達がそれに合わせて、教師が考えたのであろう振付きで歌っていたのも目撃しました。
♪No.1にならなくても いい もともと特別な Only one 
だったら通知表なんか廃止すればいいでしょ。ナンバー1の価値を下げオンリー1を賞揚するなら、すべての評価軸は無効だよ。テストもするな。合唱コンクールも水泳大会も中止だ。ナンバー1を目指させるようなことは一切取りやめにしたらいい。
そう脊髄反射したくなりました。


しかしあの歌を心から楽しんで歌っていたとしても、子供達はオンリー1で本当に満足するのだろうか? 誰だって人より良い成果を上げたら褒めてもらいたいし、勉強や運動で一番になってみたい。それがダメなら他の何かで一番を目指したい。もし実際に「それぞれの個性」を理由に「平等」を徹底されたら、逆に困ると思う。
ちょっと不良ぶってみても「それが君の個性だ」と言われたら息が詰まりそうだ。歌が下手なことはわかりきっているのに「頑張ったので100点」なんて言われても嬉しくないだろう。わかりやすいかたちで人との差異化を図りたい願望が押さえつけられた時、今度は足の引っ張り合いが始まるだろう。
既に散々闘ってヨレヨレになって癒ししかないおじさんとは違うのです、子供や若者というものは。彼らの健全な欲求を、「きみは、世界にひとつだけの花だよ」という何か言ってるようで実は何も言ってない言葉で誤摩化したって無意味です。
無意味どころか、弊害があります。トップを目指すツラい努力などせずともオンリー1というなんか知らないけどいいものでいられるのだ、という甘ったれた思い込みをもし子供がもったなら、その子の芽を摘むことにも繋がりかねません。
‥‥とまで言うのは大袈裟か。しかし子供は影響されやすい生きものです。


中途半端な平等主義など導入したところで、学校は所詮、権力者たる教師が生徒を制御し方向づけ競争させ序列化する場です。優等生から落ちこぼれまで、そのことを熟知しています。そしてこの厳然たる事実から目を背けたいのは、生徒ではない。教師のほうなのです。
子供達を序列化することに「疾しさ」を覚えるような「民主的」な教師が、権力者としての自らの立場を直視しなくて済むように、大ヒット曲の『世界のひとつだけの花』を子供達に歌わせることで疑似平等空間を演出してみせる。醜悪な光景にしか見えません。


競争は現実にあり、頑張れば誰でも「咲ける」ような「平等」社会ではない。その仕組みはどうなっているのか。そこから生まれる歪みをなくすにはどうしたらいいか。その中でどうやって生きていくか。
子供に考えさせねばならないのはそういうことであって、耳当たりのいい言葉のベールを被せ、甘美なフレームを通して世界を見れば、誰でも生きやすくなるかのような幻想を与えることではない。そういう幻想に浸りたいのは、実は自分自身だった、自分の癒しのためだったということに、あの歌を流していた教師達は気がつくべきだ。
‥‥って、全部職場の窓からその光景を眺めながら想像しただけのことですが、当たらずとも遠からずではないかと思います。


この歌を、もし私の行っている芸術大学やデザイン専門学校の生徒が口ずさんでいたら、後ろからケリを入れるかもしれません。今からナンバー1をめざすのを諦めてるんなら、いっそやめちまえ。趣味でやればいい。
オンリー1の感性を大事にしたいだと? わかってないな君たちは。流行歌に安易に自分を乗っけてる時点で感性もクソもないの。頑張った結果どうにもダメだったら、その時私が歌ってあげるから今から自分で歌いなさんな。
感性や個性といったものが重要とされているこの方面の裾野に、「世界にひとつだけの花」教信者は多いです。しかし自分のそれに過大な価値を置いて、しんどい勉強をショートカットしようとする人は、いくらでも無根拠な自信に開き直れてしまうところがあるので厄介です。



歌に罪はありません。実際ヒット要素をきちんと押さえたよくできた楽曲だと思うし、歌詞がスイーツ(笑)なのは今時の流行歌として普通のことでしょう。そこにどういうメッセージが込められているのか、詳しく分析してもあまり意味はないと思われます。重要なのは、それが受容されるシーンとコンテクストです。
ある歌がヒットしドラマの主題歌に使われCDがバカ売れしあちこちで歌われた時、一見それが世の中(の表層)に何らかの影響を及ぼしたかに見えるかもしれません。この例で言えば、『世界にひとつだけの花』が大ヒットしたことによって、人とあくせく競い合うより自分の個性を大事にしようという考え方に皆が魅力を感じ出したと。
しかしこの見方は本末転倒です。その歌が広くヒットしたのは、ヒットするだけの充分な社会的条件が既に整っていたから、それだけです。『世界にひとつだけの花』に歌われる競争の相対化とユルい自己肯定を望んでいた層が、若者からおじさんまで、2003年の日本にマスでいたのです。歌ったのが人気アイドルグループだったということは、そのうちのほんの一要素に過ぎません(これは歌に限らずさまざまなジャンルで言えます)。


みんなOnly oneであるという当たり前のことが、「希望」の歌として歌われる国。
ウンザリ感を通り越して、なにか、しみじみと哀しいものがある。



●参照エントリ(同ブログ内に関連エントリが複数ありますが、最小限に絞っています)
『世界に一つだけの花』という愚劣なタイトルの歌について - 消毒しましょ!
仲良しごっこの後は差別ですかい - 消毒しましょ!
歌は世につれ世は歌に釣られ - メモ


●追記
強力な批判文を今頃発見。これは良い。必読(ただあの歌に癒しを求めた人は読まないほうがいいかも)。
SMAP『世界にひとつだけの花』批判