ギャップリアリズム

先日の記事についてのいくつかの言及の中で個人的に一番ウケたのは、こちらに書き込んでくれた人のコメントの一節だった。

そういえば忘れてたけど、ある年の母の日の翌日に花農家さんのところにいって、ビニールハウスいっぱいのカーネションをばっしばっしと積んで捨てたのでした。
母の日が終わったら、次の季節モノを育てないといけないですからね。
そういう処分シーンとか、トラクターで踏みつぶすキャベツとか、一生土も太陽も知らないままのカイワレとかモヤシとかの栽培施設の映像とかを延々繋げながらあの曲が流れてるとちょっと好きになれるなと思いました。
もちろん、感染症防止のために窓のない真っ暗な部屋にいる卵産み用鶏の映像も入れて欲しいです。
そんな感じで。


『世界にひとつだけの花』考・コメント欄


シュール !!
いやシュールレアリズムとはちょっと違いますね。リアリズムです。映像と音楽の乖離から醸し出される不条理感とアイロニー
これを「ギャップリアリズム」と言う。ギャップリアリズムとは、映像と音楽のミスマッチによってさまざまな異化作用を狙う手法である(もちろんこんな用語はない。今勝手に作った)。
戦争の悲惨な映像に『イマジン』を被せるなんてのは、一見ギャップリアリズムに見えるけれども違います。『イマジン』の「反戦平和」のメッセージは揺るがず異化されないから。いかにもな常套手段です。松井冬子の絵について、上野千鶴子が「ジェンダーの痛みだ」と指摘するのと同じくらいいかにも。


優れたギャップリアリズムで思い出すのは、水谷豊主演の『青春の殺人者』(1976、原作は実際に起きた両親殺し事件を元にした中上健次の『蛇淫』)。
ラストシーンは、走る長距離トラックの荷台に立ち、遠ざかっていく夕闇迫る故郷の街を眺めている水谷豊の姿を、トラックの後ろから追いかけて撮ったものだった。親を殺して行く宛てもなく逃げていく若者。その絵にエンドクレジットが被さってきたところで流れるのが、ゴダイゴの1stアルバムからピックアップされた『It's Good To Be Home Again〜憩いのひととき』という静かな美しい歌なのだ。
憩う家なんかもうどこにもないじゃん‥‥。私は池袋文芸坐地下で泣きました。
それにしても水谷豊、若かった。原田美枝子のおっぱいは凄かった。市原悦子は"過剰"だった。

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ええと何の話をしてたんだっけか。
そうそう、廃棄される花や野菜や家畜の映像と『世界にひとつだけの花』のギャップリアリズム。皮肉としてはベタと言えばベタだが、いろいろ逆撫でしそうだが、歌が歌ってないことを示すという意味で面白い。
オリンピックの表彰式とかアメリカの大統領選挙とか東大の合格発表風景とか、ナンバーワンを目指す人々の映像を繋いだのに被せると、また別の効果が生まれそうです。
誰かニコニコ動画でやらんかな。