『ヤンキー文化論序説』を読んで

ヤンキー文化論序説

ヤンキー文化論序説


ヤンキー体質ではないと自認する人々が、よってたかって「ヤンキーなるもの」を分析、考察した本。自分の中の僅かなヤンキー成分を嫌々ながらも意識する者としては、これは読まざるを得ない。
まえがきで、編著者の五十嵐太郎氏が「きっかけは、だいぶ前にインテリアデザイナー森田恭通氏をヤンキーという視点から何か分析できるのではないかという議論でもりあがったことだった」と書いているのを読んで、膝を打った。
実は三年くらい前、デザイン専門学校の家具インテリアコースの生徒のヤンキー君が、「森田恭通みたいになりたい」と言っていたのを思い出したからだ。「職人は厭なんだよ。ああいうふうに目立ちたい。んで金儲けしてぇ」。やはり、ねぇ(森田恭通については本文で詳しく述べられている)。


自分の歳が歳だけあって、「あったなぁ、そう言えば」とか「ということだろうなぁ」という感想の域を出ないところも結構あったが、これまでまとまって論じられることのなかったヤンキーをさまざまな角度から考察した資料としては、なかなか興味深く読めた。
「ヤンキー文化とは何か」という話に始まり、ファッション、音楽、マンガ、美術、車、建築、映画などのジャンルを通した分析、地域社会論、総括的な考察など盛り沢山で、執筆陣も編者を含め17名。
ナンシー関の「ヤンキーコラム傑作選」が付いているのが、ファンとしては嬉しい。ただ、それ以外の女性の書き手が酒井順子一人だけというのは、ちょっと寂しい。若手ライターの人で誰かいなかったのだろうか。
それと、これだけ固有名詞が出てくるのだから、最後に索引と年譜がついていると便利だったかなと思う。


個人的に面白かったのは、都築響一のインタビュー「ヤンキーは死なない」、「ヤンキーファッション 過剰さの中の創造性」(成実弘至)、「ヤンキーバロック」(五十嵐太郎)、「一九六八年にヤンキーという思想の誕生を見る」(速水健朗)、「「ヤンキー先生」とは「何だった」のか」(後藤和智)、「ヤンキー文化と「キャラクター」」(斎藤環)。
特に斎藤環の、オタク文化を「多重性」、ヤンキー文化を「二重性」として比較した論が、ヤンキーのメンタリティと美学を浮かび上がらせる上で説得力があった。
日本の暴走族とパンクのファッションの方法論の共通性(成実弘至)、68年の学生運動と対比される反エリート思想としてのヤンキー(速水健朗)という視点もそうだが、ヤンキーをヤンキー以外の何かと比較した時に、初めて「ヤンキーなるもの」がリアルに見えてくるように思った。


音楽もヤンキー分析しがいのあるジャンルで、近田春夫(わりと王道の系譜)と磯部涼(ヒップホップとの関係)の二人が書いている。ふと、初期のサザンオールスターズはヤンキー臭くないの?という気がした。本人達が青学出身ということで、ヤンキー文化ではなくサーファー文化?ということになっているのだろうか。桑田圭祐の声を初めて聴いた時、「ヤンキーくせえ!」と思ったのだが。歌詞だってあれですよ、バイクの後ろに女乗っけて海連れてってやっちゃうみたいな歌詞です。
声と言えば、ブランキージェットシティの浅井健一の声も、もろヤンキー声でしょう。もちろん歌詞も。あの辺の、一見ベタにヤンキーではないが、ヤンキーフレーバーが漂っているというものをピックアップしていくと、日本人の中にいかにヤンキー魂が隠されているかの考察に繋がるのではないかと思った。
ヤンキーとパンクの重要な架け橋的役割をしていたバンドとして、アナーキーも外せない。一応日本のパンクということになっていたが、見るからにヤンキー臭さがムンムンしていた。ヤンキーは心情的に右寄りと言われているようだが、「なーにが日本の象徴だ!」なんて歌ってたところも注目に値する(ラジオではピーだったけど)。
あとヤンキーの消費行動とかヤンキー親子の関係性とかも、分析の対象として面白そうだ。映画でVシネマが触れられてなかったのがやや残念。


「序説」だから、そこまではちょっと容量を超えているのかもしれない。典型的なヤンキーはほとんどいなくなった今、もしこの本が売れて次が出るようだったら、是非「"普通"の中のヤンキー」や「意外なところにある我らが内なるヤンキー」という視点を入れてほしい。
それぞれの執筆者は、観察者として概ね抑制された筆致でクールに分析といったスタンスではあるものの、個人的心情としてのヤンキーとの微妙な距離感の違いも、何となく感じられる。そして改めて、ナンシー関の偉大さを確認した次第。
そのうち「私の中のヤンキー成分」というタイトルで何か書いてみたいと思った。


●付記1
こちらこちらのレビューで、より内容に即した紹介がされています。


●付記2
本ブログ内ヤンキー関連記事(ヤンキーという言葉を使ってないものも含む)
「日本ど真ん中まつり」考(04.08.30)
ホストという生き方(05.1.09)
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DQN、ビッチはなぜもてるのか?(07.07.28)
ヤンキーと眼鏡男子とドラえもん(07.08.02)
ラッセンとは何の恥部だったのか(08.04.21)


●付記3
拙書『アーティスト症候群』の「芸能人アーティスト」の章で、工藤静香藤井フミヤ石井竜也のヤンキー性について分析しています。