引き出しの中のお花畑

‥‥という言葉から、一見地味な女のクローゼットの引き出しの中が、色とりどりの勝負下着でお花畑のようになっている‥‥という実に安易な連想しか働かなくなってしまった私だが、その昔、ある引き出しの中にそれとは違う「お花畑」を発見したことがあった。
その光景は40年経った今でも、微かな罪悪感とともに脳裏にくっきりと残っている。なぜ罪悪感なのかと言えば、その「お花畑」を私は盗んだからだ。妹と一緒に。


私の家は父が大変厳しくて、漫画を買うことは禁じられていた。その頃(昭和30年代の終わりから40年代)の『少女フレンド』や『りぼん』や『別冊マーガレット』といった少女漫画雑誌には、バラやスミレの花に囲まれた可愛い女の子のシールがよく付録についていて、それを集めるのが友達の間で流行っていた。私もそういう可愛いシールが欲しくてたまらなかったが、手に入らないのでたまに友達がくれるのをもらっていた。それを一生懸命ノートに写していた。
それらのシールはそのうち大抵、妹に取られた。二つ下の妹は私以上に、女の子っぽい可愛いものを強烈に欲していた。私が伯母から病気見舞いに貰ったバレリーナの絵のハンカチも、使わないで大事に引き出しにしまっておいたのを見つけて、マジックで勝手に自分の名前を書いてしまうという大胆さ。私は泣く泣く、お気に入りのハンカチを妹に譲った。


そのバレリーナの絵は、高橋真琴が描いていた。その少し前だと中原淳一内藤ルネというイラストレーターが少女たちに絶大な人気を博しており、そっちも当時まだ活躍していたが、私の世代で人気だったのは高橋真琴水森亜土。特に高橋真琴の描くお姫さまやバレリーナは、それはそれはラブリーで繊細かつ華麗で、いつまで見ていても見飽きることがなかった。
高橋真琴が表紙の絵を描いているノートや下敷きも、喉から手が出るほど欲しかったが、「勉強するのにそんなちゃらちゃらした絵のついたものはいかん」ということで、なかなか買ってもらえなかった。ともかく「華美なもの」、「女の子女の子した可愛いもの」に耽溺することは御法度という家だった。
妹のほうはなぜかやや大目に見てもらっていたが、父は私を男の子として育てようとしたのだろうか、少しでもきらびやかなものは遠ざけるという方針だったようだ。あまりに父が頑固で厳格なので、母も半ば渋々それに従っていた。最初のうち親に隠れてイラストやマンガを描いていた私も、小学校高学年の頃には「私は女の子女の子したものはあまり好きじゃない。似合わない」と思い込むようになっていた。そういうのは妹専用。そう思わないとなんだか苦しくなるということを知っていたからだと思う。


家の近くに小さなスーパーがあり、その隣にスーパーが経営している二階建てのアパートが二棟建っていた。アパートの表は駐車場に面していたが、裏はうなぎの寝床のように細長い庭、というか通路を残してトタンの塀で囲われ、外の道路から中は見えないようになっていた。私と妹は「探検」と称してその通路に入り、住人に気づかれないように通り抜けるという遊びを時々やっていた。
そのあたりの住宅街の中では、いささかみすぼらしい安普請のアパートだった。干してある洗濯物も、下がっているカーテンもみすぼらしく見えた。狭い通路はあまり日当たりが良くなく、水はけが悪いのかじめじめしていて、古びた子供のおもちゃが転がっていたりした。
私と妹はそういうシチュエーションになんとなくワクワクし、「シーッ」と言いながら抜き足差し足でその通路に入り、腰を屈めて20メートル足らずをコソコソと走り抜ける。人の敷地に無断で入っているというスリル。そのうちサッシが開いて、「こらーっ」と誰かに怒られるのではないかというスリル。他愛無い遊びだ。


だんだん住人が少なくなったせいか、アパートは夕方通っても明かりのついてない窓が目立つようになった。遊びに飽きてきてしばらく忘れていたある日、ふと思いついてまた妹とその通路に足を踏み入れた。
いつもにも増してうす暗くどんよりとして、かなり雑草も生えていた。通路の中程に来たところで、それまで見たことのないスチールの机がぽつんと置かれているのに気づいた。引っ越した人が捨てていったのかもしれない。
「ちょっと中、見てみよか」。ドキドキしながらその引き出しをソーッと開けて、私と妹は息を呑んだ。「わぁ‥‥」。思わず溜息のような声が漏れた。
引き出しの中は、一面のお花畑だった。100枚以上あっただろうか、高橋真琴内藤ルネ水森亜土のイラストのシールが、実に無造作にごちゃまんと入っていたのである。私たちは呆然としてそれを眺めた。高橋真琴の描く、くるくるカールした髪にリボンを飾り目に星が散ってバラやスミレに囲まれた愛らしい少女が、たくさんこちらを見ていた。「わぁ‥‥」。わぁ、しか出てこない。
薄暗く小汚い通路の真ん中で、その引き出しの中だけ燦然と輝いていた。それは私たちには、あまりにも衝撃的でシュールで魅惑的過ぎる光景だった。なぜか底知れぬ不安が湧いてきた。これは誰のものなのだろう。‥‥誰のものでもないとしたら?


妹は興奮しきった顔で、食い入るようにシールのお花畑を見つめていた。急に喉がカラカラになり「もう行こ」と言って引き出しを元に戻そうとしたが、妹は端をしっかり掴んで動かなかった。そして「もらっちゃお」と押し殺した切迫した声で言った。「でも人のだよ」と、私も押し殺した声で返した。それを無視して、妹はシールをガバッと掴み、ポケットに押し込み始めた。「おねえちゃん早く!」。
私もシールを掴んでポケットに押し込んだ。ゆっくり選んでいる暇はない。早くしないと人に見つかるかもしれない。たまたまそこに置いてあるだけで、後から持ち主が取りに来るかもしれない。だって、こんなにきれいなもの捨てて行くなんて信じられないもん。
それを黙って取っていいのかな。いけないよね。でも欲しいものは欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。心臓が喉から飛び出そうに欲しい。
「内緒だよ。これ、内緒だよ」と言いながら三掴みくらいして、まだ漁っている妹の手を引っ張って、通路から逃げ出した。


家まで走って帰り、親に見つからないようにそそくさと自分たちの部屋に入り、ポケットから出したシールを一枚一枚鑑賞する暇もなく、勉強机の引き出しの奥にしまった。タダで欲しいものを手に入れてしまった興奮と罪悪感。「おねえちゃん、あとでゆっくり見ようね」。妹は共犯者の顔で笑いながらペロッと舌を出した。
父も母もいない時を見計らって、戦利品を机の上に並べてみた。急いでポケットに押し込んだので折れ目がついちゃったのもあったけれども、つくづく高橋真琴のシールは素敵だった。妹は早速「これいらないからそれと交換して」と取引を持ちかけてきた。
彼女の上気した顔を見ていたら、また言い知れぬ不安が頭をもたげてきた。こんなにいっぱいどうしよう。もし親に見つかったら、どこで手に入れたのと聞かれたら‥‥ということが不安だったのではない。こういうのは私の持ち物じゃない、やっぱり。という気がした。たかがシールなのに、こんな可愛いものを自分がいっぱいもっていちゃいけない気がしてきた。
「いらないから全部あげる」と妹に言った。妹は大喜びだった。全然惜しくなかったと言えば嘘になる。むしろ血が逆流するくらい、欲しかったのである。でも手放した。手放して少しほっとした。めくるめくような欲求に蓋をしてなかったことにして、11歳の私はようやく安堵感を得た。


高橋真琴が男性だったということは、ずっと後になって知った。近年リバイバルブームで、画集が出たり、「おひめさまえほん」が復刻されたり、嶽本野ばらの絵本版『うろこひめ』を華麗に飾ったりしている。
女の子女の子した可愛いものに対する禁忌感情は、20代に入ってからだんだんと解けていった。ラブリーな小物を大人買いできるようになった頃には、既にそういうのが似合わない年代になっていた。
思わず「わぁ‥‥」と言いたくなるような可愛いイラストやグッズを見た時、心の中に微かにチリチリとした黒いものが走ることがある。可愛いものは一抹の邪悪さを含んでいるから、よりいっそう可愛いのだ。それに加えて、自分に不釣り合いだと信じていたものを手に入れてしまった子供の頃の罪悪感が蘇るのかもしれない。
目を閉じると今でも、薄暗い通路の粗末なスチール机の引き出しの中に広がったお花畑が、色鮮やかに浮かび上がる。どんなに欲しいものに出会っても、あの時の哀しくなるほどの憧れと渇望を感じることはもうない。


あこがれ―高橋真琴画集 (fukkan.com)少女ロマンス―高橋真琴の世界