平仮名表記、片仮名表記、漢字表記に見る書き手の意識

「こども」を「子ども」と書くか「子供」と書くかという議論について、少し前にはてな界隈でも話題になっていたが、文章を書いたり読んだりしている中で時々気になることがある。平仮名、片仮名、漢字の表記を、人はどのように書き分けているのか?ということ。
そんなの平仮名でしか書けないところは平仮名だし、外来語や擬音は片仮名だし、当用漢字にあるなら普通に漢字を使うのでは? いや、必ずしもそうとは限らない。ふつうかんじでかくところもひらがなにひらいたり(こんなふうに)、しょっちゅうカタカナがヒンシュツするヒトもいたり(こんなふうに)、矢鱈と漢字に置換する事を良しとする御仁も居る(こんなふうに)。
ブログを読んでいて、そういう癖というか主義というか美学(でしょうか)が感じられる文章にぶつかることがある。一つ一つ例を挙げて具体的に指摘すると何かと角が立つので、それぞれの特徴から言えそうなことをつらつらと書いてみたい。


●平仮名表記
ほとんど漢字を使わない平仮名だけの文章は珍しいが、普通は漢字で書くところをあえて(たぶん)平仮名にするケースは時々見かける。たとえば、「私」を「わたし」に、「不思議」を「ふしぎ」に、「思う」を「おもう」に変えたり。
私は不思議に思う。→わたしはふしぎにおもう。‥‥なんとなく素朴な効果が出る。漢字を平仮名に開いただけで、肉声っぽい、柔らかい、あえて言えば女性的な感じになる。紀貫之効果。
美しい人だと思った。→うつくしいひとだとおもった。‥‥うん、素朴にそう思ったんだね、みたいな。
本当に理解できないのです。→ほんとうにりかいできないのです。‥‥うん、ほんとうにりかいできないんだよね。うんうん。
というような、何か、ある種の抵抗できなさが平仮名表記にはある気がする。建前ではなく本音で語っているような雰囲気が前面に出るからか。言葉の音(おん)が一つ一つ立ち上がってくる感じがするからか。あるいは、漢字を知らない子供が平仮名で一生懸命書いたような健気さを感じてしまうからか。
読みづらいと言えば読みづらい(同音異義語などが判別しにくい)し、カマトト臭くて気持ち悪いという人もいそうだが、ところどころで使えば効果的かもしれない。
普通は漢字にするところをあえて平仮名にしている文章を見ると、言葉の字面にも響きにもこだわりのある人なのかなという印象を受ける。でも使い過ぎていると、柔らかさとは逆の頑さを感じる場合もある。


●片仮名表記
別に片仮名にしなくていいところを片仮名にする時もある種の効果が期待されているが、大きく分けると二つあるように思う。
東大?頭いいんですね。→トーダイ?アタマイイんですね。‥‥厭味やからかいを込めている場合。
とんでもないことをしてしまった。→トンデモナイことをしてしまった。‥‥ユーモアや軽さを込めている場合。
嵐山光三郎椎名誠南伸坊など、70年代から80年代初めに昭和軽薄体と言われたエッセイストの文章で、頻繁に片仮名表記を見た。当時はそれなりに新鮮に読めたはずなのだが、今読み返すと微妙に恥ずかしい感じが漂っている。こういう時も「ビミョーにハズカシイ感じがタダヨッテいる」になる。かなり厭だ。その軽く面白風味に仕上げようとしている小細工が。何をはしゃいでおるのかと。
昭和軽薄体は大変流行したので、いまだにそこから抜けきれなくて痛い感じになってしまっている文章をたまに見る。内容的にいいことが書いてあっても、妙なところがやたら片仮名表記になっていると、どこかずれた残念な印象を残すので、自分も気をつけたい。
余談。片仮名表記に次いで書き手の自意識が出易いのは、「」の使用である。引用以外で「」を使う場合の多くは強調のためだが、やり過ぎるとかなり鬱陶しくなる典型。やたら含みを持たせているような押し付けがましさが出てくる。一方、<>は現代思想臭くなる。


●漢字表記
漢字を多用すると文章全体が黒っぽく詰まった感じになり、それだけで読む気がなくなるという人もいるらしい。私も、必要なところ以外はあまり使わないようにしている。
漢字を使うのが好きな人の中に、熟語好きがいる。特に四文字熟語。「消えてしまった」と書けばいいところを「雲散霧消した」、「もどかしい」と書けばいいところを「隔靴掻痒」、「イケメン」と書けばいいところを「眉目秀麗」と書く。要所要所で使えば文章全体が引き締まり、格調高くなる。でも、一つ間違うと滑稽だったり厭味だったりする。塩梅が難しい。
そう言えば、内田樹は小難しい故事熟語や、丁重且ついかめしい言い回しが好きな人である。格調もさることながら、厭味ぎりぎりの線を狙っているところもあると思う。
やや違和感がある漢字の使い方は、以下のもの。
いろいろな→色々な
ということは→と言う事は
そんなふうに→そんな風に
どのような→どの様な
かもしれない→かも知れない
一貫して漢字多めの文章だとあまり違和感がなかったりするが、そうでない場合は目についてなんとなく気になる。これはもう好みの問題かもしれない。*1


個人的には、平仮名、片仮名、漢字に関しては、なるべく癖のない使い方をしたいと思っているが、たぶん気づかないところで出ているだろう。昔書いた文章を読むと、それがよくわかる。
人の文章もこういうことを少し気にして見ていくと、「この人はこだわりの人だな」とか「この人は気にしない人だな」とか「この人は厭味だなー」とか「ちょっとセンスが古い」とか「お、格調高さを狙ってるな」など別の面が見えてきておもしろい。

*1:ある編集者に「〜の方が」は「〜のほうが」に直していいですか?と訊かれたことがあった。特にこだわりがなかったので、それで統一した。今はまちまち。