美しい人

こないだの土曜日、Aさんと久しぶりに会った。Aさんは昔私の作品をお買い上げ下さっていて、そのポリウレタンの部分が劣化してしまったので、修復するために長い間預かっていた。やっとそれが終わり渡すついでに、お昼でも食べましょうかということで。
Aさんと道を歩いていると、向こうから歩いて来る人の視線がAさんに集中する。Aさんは身長180センチで細身でエキゾチックな顔をしているのでどこにいても人目を引くが、人の視線が「あらカッコいいイケメンの‥‥あれ?‥‥あれ?!」となる。Aさんは豊満なバストの持ち主でもある。


バストを手に入れるずっと前から、Aさんはわりとフェミニンな男性だった。そして、ものすごくオシャレさんだった。
何度か夜遊びにおつきあい頂いたことがあるが、その度、「今回はどんなファッションで登場するか」という期待をさせてくれ、いつも期待以上の装いで現れた。ある時はシルバーのジャンプスーツ、ある時はミニスカ+ブーツの完璧女装。
普段でも、ヴィヴィアン・ウェストウッドの女物Tシャツとか革のロングスカートとかを普通に着こなしている人だった。耽美系のちょっと崩れた格好も好きで、またそれがよく似合った。ともかく何着ていてもえらいこと目立つ。


「お胸を作りました」というメールを何年か前にもらい、いよいよMtFか‥‥と思ったが、完全にトランスを果たしたのかというと、そうではなく。セクシャリティもほぼ変化なしとか。ただ、自分にとって居心地のいい方向を求めていったら、「お胸」のある身体になったと。
今はそのアンドロジナスな魅力を生かして、そちら方面のお店で働いている。お客が少ない時は、羽根背負って鞭持って首輪したM女連れて、外に客引きに出るらしい。まるで内田春菊の『目を閉じて抱いて』の花房だ(あれは両性具有者でバイだけど)。


黒のノースリーブに、肩から手首にかけて腕がチラ見えのシャツを羽織り、長い足を細身のパンツに包み、帽子の下から軽くウェーブした髪を垂らしたAさん(女装と言うよりユニセックス)は、ご飯を食べながら「美しくない女装はダメ」と言った。
パートタイムの女装者(昼はスーツにネクタイで夜だけスカートを穿くとか)は、Aさんから見てバツであることが多いらしい。「プライベート空間でフリフリ着てるのはいいんだけど、外に出てくるならちゃんとしてほしい」。
頭部が完全オヤジのままで服だけフリフリなのは許せないらしい。ピンクハウスあたりでセンスが止まっているのも許せないらしい。「女装でも中年なら中年に似合う服ってものがあるでしょ」。はい、私も若作りな「女装」です、すみません。


中年の男性がピンクハウス的な服にファンタジーを見て、それを身に付けてみたいという気持ちは、なんとなくわかるような気がする。自分とかけ離れているからこそ憧れるのだし、たぶん身に付けた時の性的興奮度も違うのだろう。
でも頭部はオヤジのままで夜の街に遊びに行けるならば、「人から見て美しいかどうか」「きれいだと思われたいかどうか」というファクターはないものと思われる。いや、女装したオヤジ像それ自体を倒錯的に見せびらかしたい気持ちがあるのだろうか。
だとすると、「人から見て美しいかどうか」にこだわりオシャレにうるさいAさんは、非倒錯的な女装者ということになるのだろうか。「非倒錯的な女装者」ってなんだそれ。語義矛盾。考えていたら混乱してきた。


自己認識としては女寄りなの?という野暮な質問には、「うーん、そっちに振れることもあるし」と曖昧に笑っていた。
ほとんどの人間にとって、自分が「男」か「女」かということは改めて意識するまでもないことである。振る舞いや考え方はさまざまでも、男/女の二項のどちらかを選んで生きねばならないのは、大前提となっている。
でもAさんにとっては、そのあたりはグレーゾーンのようだ。「男か女か」ということより、まず「美しいか美しくないか」ということの方が重要なのかもしれない。「お胸」を作った時、「男と女の間にしゃがんで、両方を見上げている感じかな」と言っていたのを思い出した。*1
そんなAさんも、結婚願望が高まるお年頃。「パートナーと言える人が欲しい」と言っている。


目を閉じて抱いて (1) (角川文庫)

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性別が、ない! (1) (ぶんか社コミックス)

性別が、ない! (1) (ぶんか社コミックス)

*1:ちなみにインターセックスのマンガ家、新井祥の『性別が、ない!』(確か2巻以降)の中に、Aさんをモデルにしたキャラが登場する。