闇から闇に葬らないこと - 性犯罪の特徴と問題

もう何年も前のことだが某学校で、ある女子学生が「以前に教師からセクハラを受けた」という旨のメールをくれたことがあった。
それによると授業後お茶に誘われ、とてもいい先生だと思っていたので応じたら、それから食事などにしつこく誘われるようになり、個人的な感情まで告白されたので、気持ちが悪くなって誘いを一切断るようにしたら今度は態度が一変し、授業中、他の生徒の前でわざわざ厳しく接するようになった、という。パワハラでもある。


是非とも学校のセクハラ相談室に行って話をするように勧めた。もし1人で行きにくかったら付き添うからと。すると彼女は、「一年も前のことだし、話を聞いてもらってスッキリしたので、もういいです」と返してきた。
「一年前でも大丈夫。その教師には相応の処分が下されるべき。勇気出して」と説得したが、「蒸し返したくない。もしかしたら、私も誘いに乗ったのがいけなかったかもしれないし」と固辞され、やりとりは終わった。割り切れない残念な気持ちだけが残った。
本人がどうしても嫌だというのを、第三者が強制することはできない。私がその教師を直接訴えることも、もちろんできない。結局、本人が口を開かねば何もなかったことになるのだ。セクハラから痴漢、レイプまで同じである。


少し前のデータだが、平成18年度版犯罪白書 - 性犯罪の概況を見てみよう。
近年の強姦の認知件数は年間2000件前後、検挙件数は1500件前後、近年の強制わいせつの認知件数は年間8000件を越えており、検挙件数は3000〜4000件で推移している。*1 場所は、強姦では住宅比が高く,強制わいせつでは屋外比が高い。
被害者と被疑者の関係は、強姦も強制わいせつも「面識なし」が「面識あり」を大きく上回っているが、「強姦は、強制わいせつに比べて,一貫して「面識あり」の率が高い。また強姦における「面識あり」及び「親族等」の率は,上昇傾向にある」。


注目すべきは、このページの一番下の「性的被害の実態」だ。

 強姦や強制わいせつをはじめとする性犯罪は,認知件数の背景に被害者が届出をしないことによって事案が顕在化しない部分(暗数)がある。法務総合研究所が平成16年に行った第2回犯罪被害実態(暗数)調査においては,調査に回答した女性(1,099人)のうち,過去5年間に性的暴行(調査票では,性的暴行の説明を「男性は時として性的な目的のために,むりやり女性に触ったり,暴行を加えたりすることがあり,それはとても赦せない行為です。過去5年間に,あなたはこれらの性的な被害に遭われたことがありますか。家庭内における性的暴行も含めてください。」としている。)を受けたことがあると回答したのは27人(回答者の2.5%)であった。このうち,被害を捜査機関に届け出たと回答したのは4人(14.8%)であった。

被害に遭った(と答えた)人の約七分の一しか届けてなかったことになる。つまり実際に起きている性犯罪は単純計算しても、認知件数(=届け出件数ではないが)の約七倍はあるということ。強姦と強制わいせつの合計認知件数を統計から大雑把に一万件として、年間ざっと七万件。


一方的に理不尽な暴行を受けて届けを出さない人は、普通はいない。*2 しかしそれが性的暴行となると、届け出が激減するのは何故か。性犯罪に遭った、例えばレイプされたという体験自体を、「恥ずかしいこと」だと思う/思わせられるような空気があるからだ。
女性は、好むと好まざるとに関わらず性的に価値づけられてきた(処女を尊ぶなどというのはその典型)。強姦によって、その価値は低下すると看做される。そもそも「レイプ=抵抗する身体的精神的自由を奪われた状態での強引なセックス」というイメージの対外的に与える印象が、それ以外の暴行に比べてはるかに強烈である。
そうしたことから、自分に一切の責はないとわかっていても、その後ずっと「レイプされちゃった可哀相な女」「そういう隙のあった女」というセカンドレイプな視線で見られるのではないかと想像し、それが苦痛なために公にしたくないという心理が働く。


また、相手が顔見知りだった場合は、「自分も気を許していた。自分にも落ち度があったかもしれない」と、被害者が自分を責めてしまうケースが出てくる。「口外したらどうなるかわかってるか」といった脅迫を受けて、恐怖に負けてしまうこともあるかもしれない。
あるいはなまじ知っている間柄だけに、訴えにくい微妙な心境に追い込まれたりする。そういう相手の心理をあらかじめ見越した上で、レイプに及ぶ加害者もいるだろう。幼い子どもや知的障害者の場合、何が起こったかわからないままでいることもある。
つまりデータにある「面識あり」の件数や、「面識なし」に比してずっと少ないその割合を、そのまま信用することはできないということである。


こうして、多くの性犯罪が隠蔽され、なかったことになる。「やってもバレない」のをいいことに、繰り返す者が出てくる。強姦、強制わいせつ(強盗及び傷害も)の再犯者率は、一般刑法犯のそれを上回り続けているという(参照:http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/52/nfm/n_52_2_6_4_1_3.html


性犯罪を防止する努力、試みはもちろん重要だ。だがそれと同時に、起こってしまったことを闇から闇へと葬り去らないことも大切である。
盗難なら誰を訴えていいかわからないが、性犯罪では被害者が加害者の顔を記憶していることがよくある。どこの誰だかわかっている場合もある。被害者は、「これは明らかな犯罪。泣き寝入りは容認になる」とはっきり認識すること。そして公にする勇気をもつこと。


そんな、被害者が無理矢理勇気を出さねばならないような、女性蔑視的な視線があちこちに潜在している状況が、そもそも間違っている? 沈黙せざるをえなかった被害者を責めることはできない?
たしかに。でも被害者が最初の勇気を出さない限り、犯罪は立件されず加害者は検挙されず、その罪は永久に不問に付され続けることになる。*3
私にメールをくれた女子学生は「話してスッキリした」とは言っていたが、そうならないことは多い。もし加害者に正当な罰を与えずにおいて男という性を呪ったり、その逆に自分を責め続けたりするとしたら、これほど不毛で不幸なことはないと思う。


●追記
個別の性犯罪を未然に阻止しようとしたら監視社会というSFになるので、厳罰化くらいしか具体的な対策はないのでは?という記事→獣の数字は666、殺しの数字は007 - 脳髄にアイスピック

*1:強姦・強制わいせつの検挙率(認知件数に対する検挙件数の割合)は、一般刑法犯の検挙率を上回っている。

*2:追記:ブコメで「いじめは?」という指摘あり。その通りでした。それからDVも届け出がされにくい暴力の一つ。

*3:逆に泣き寝入り(暗数)が減るということは、認知件数が増え、相対的に検挙件数も増えるということ。その事実が周知されたら多少は抑止力にならないか。