「ジェンダー入門」とネトウヨ君

また何年か前の話だが、「ジェンダー入門」の授業の単位認定レポートに、こちらの指定した課題(自分で映画を選び分析する)を無視して、攻撃と怒りと恫喝を延々と書き連ねてきた男子学生がいた。
内容を超要約すると、「フェミニズム及びジェンダー論は、フェミナチが日本を共産主義化して乗っ取るためにでっち上げた陰謀である。男女の役割はすべて生物学的に決定されているのに、フェミナチは性差そのものをなくそうとしている。こうした危険思想の下に講義をしている大野は、憲法が保証する思想・信条の自由を侵犯しているので、告訴することも可能である」。


いや、あの思わず笑った人はいるかもしれないけど、本当にこういう内容だったのです。だいぶん前からあちこちで見られるネトウヨ的言説を、適当にコラージュしたみたいな。botが書いたかと思ったが手書きだ。
ちなみに冒頭には「皇紀○○○○年」とあった。この牧歌的な学校にもこういう学生が現れるようになったのね‥‥という感慨が生まれる。
その年の受講生は200人くらいおり、授業内でミニレポートを何度か書かせていた。特徴のある字を書く学生だったので、名前は見覚えあったが、内容は特に印象に残るものではなかった。たぶん最後のレポートで自分の主張を「フェミナチ」講師である私に読ませるために、わざわざこの授業を取ったのだろうと思われる。


不可の学生については、その理由を記した一覧表を提出することになっている(理由を訊きに来る学生がいるため)。彼の欄には「課題違反」と書き、たぶんそれだけでは不満で何らかのリアクションが欲しいんだろうと思ったので、別紙で簡単なメッセージを添付した。
「あなたは単位を落としてまでも、私に対して主張したいことがあったのでしょう。でもその内容は残念ながら著しく論理性に欠け、文脈は乱れており、思考の跡も見られませんでした。批判をするならもっと勉強してください」(もちっと長かったがだいたいこんな内容)。
結局その学生には直接会っていないが、「告訴」した気配もなく、卒業していったようだ。


私の行っている大学では、「ジェンダー」という言葉の意味を知っていたり、フェミニズムについて何らかの知識があったりするような学生は、極めて少ない。中学、高校で性教育の授業があったという学生に「どんなだった?」と訊くと、「男女差別はいけないとか‥‥」程度である。*1
もちろん今更大学の授業で教えられなくても、男女差別がよろしくないということは、皆理解している。DVやセクハラが忌むべき行為であることも、知っている。
しかし頭の理解と感情とは度々乖離する。その乖離や自己分裂に悩む学生も少なくない。ミソジニーを無理矢理抑え込んでいるような男子もいる。何だかんだ言って女の方が断然得だと思っている気楽な女子も、ちょくちょくいる。女ジェンダーや男ジェンダーに強い違和を覚える学生もいる。
そんな中で私はこんな授業形態を採っている、という話をしてみます。


講義では、ドラマや映画を見て幾つかの観点から分析し、自分の意見を書くという形式を中心に置いている。*2 
その際、「ジェンダーの授業だからこういうことを書いておけばいいんだろう、と思って書かないように」と言う。感じたことを未整理でもいいからどんどん言葉にするように。それは成績評価対象にはしない。とってつけたような優等生な答なんかいらないよと。そんなものは、そこらのジェンダーの手引書でも一冊読めば書けるから。
次の授業では、それらのミニレポートをなるべく幅広くピックアップして紹介しつつ、そこに足りてない言葉や情報を補い、対立する意見や感じ方の生まれる背景を分析する。そうして、ジェンダーセクシュアリティの各テーマに繋げていく。


ミニレポートを紹介する時は、もちろん名前は公表しない。*3 こちらも、目の前にいる学生達の誰がそれを書いているのかわからない。そういう意味での匿名性が確保された空間は、性に関して率直な意見を書く上ではかなり重要だと思う。
手を挙げて皆の前で自分の意見を発表するとか討論するなどは、とても無理だ。大人数ということもあるし、もし少人数であってもやはり羞恥心があるのは当然だ。すると同じような無難な意見ばかり出てきやすい。それでは意味がない。
そんな感じでやっていくと多くの学生が、あまり遠慮せずにいろんなことを書いてくるようになる。*4 たまにLGBTのカムアウトもある。


学生の意見への賛同や疑問など、私自身の考えも時々は述べるが、差別意識や偏見の残る意見を切り捨てたり、「こうでなければならない」と一定方向に教化したり、男女の対立構図にもっていったりすることは避けている。それをやると、必ず反動が来るからだ。反動とは感情的な反発のこと。
ただいくら気をつけていても、極めてプライベートな感覚や感情や欲望を巡る問題であるだけに、絶対に反発を招かないということはない。*5
結局、入門的な基礎知識の伝達を除けば、私が半期の授業で学生に言えるのは、「自分がなぜそう思ったのか(書いたのか)じっくり考えよう。たぶんその中に自分にとって大事な答がある」ということに尽きる。そんなヌルいことでいいのか?と言われるかもしれないが、誰もが共有できる「正しい答」なんか私にもわからないんだもの。


従って私の授業からは、「フェミニズム及びジェンダー論は、フェミナチが日本を共産主義化して乗っ取るためにでっち上げた陰謀である」はおろか、「ジェンダーは社会的な構築物だから、人々の意識を変えることによって社会を変え、なくしていくべきだ」という見解さえ導き出せない。答を求めてやってきて、カオスの中に放置されたように感じる学生もいるようだ。
しかしあのレポートを書いたネトウヨ君は、おそらく全ての私の言葉を「フェミニズム及びジェンダー論は、フェミナチが(以下略)」という予断の中で聞いたのだろう。あらかじめそうだと決めてかかっている人に、限られた時間の中で考えてもらい言葉を引き出すというのは、ほとんど不可能に思える。*6


彼がどのような経緯を経て、フェミニズムジェンダー論についてある一つの見方を支持するようになったのかはわからない。別の政治的論点へのウヨク的関心がきっかけで、性や男女関係についてもそっちに偏った意見になったのかもしれない。
しかし彼も他の学生と同様、現実の男女関係についてはさまざまなことを感じてきたと思うし、理想と現実のギャップに打ちのめされたりしたこともあったと思う。
そういうモヤモヤに対して、男女平等の旗印の元での性教育や巷のジェンダー論は、おそらく何の役にも立たなかったのだろう。むしろ彼を追い詰めた可能性もある。そして答を求めてネットに転がっている言説に飛びつき、それで武装することを覚えた。‥‥‥想像ですけど。
これは、後戻りや停滞を許さない進歩主義に対する、いわゆる一つのしっぺ返しなんだろうかという気がした。その小さな一つがたまたま私のところにも来たと。おそらく氷山の一角だ。


「正しい答」どころか、「幸せになる答」さえ私はもっていない。「どう考えたらいいと思う?」ばかり言っている。
学生の方から「私はこうしたい」が出てくるのを待っている。
でもネトウヨ君が幸せになればいいなと思っている。



●関連
究極の選択 - Ohnoblog2(2005)
正しいことと重要なこと - Ohnoblog2(2006)
ミソジニーといかにつきあうか - Ohnoblog2(2008)

*1:男女の性機能やセックス、それに伴う妊娠などについては、どのくらいの年齢でどこまでどのような方法で教えたらいいのかということは、なかなかセンシティヴな問題だ。「赤ちゃんはどこから来るの?」という子供の疑問は、年頃になって雑誌や小説や図書館の本やエロサイトやAVなどの断片的な情報で補われることが圧倒的に多いだろう。性に関することはほとんど、白昼堂々学んだ知識ではなく、大人から盗んだ知識だ。

*2:これまで使用したのは『やまとなでしこ』(ドラマの一話)、『風の谷のナウシカ』、『ヘドウィグ&ザ・アングリーインチ』、『エイリアン3』、『ピアノ・レッスン』など。

*3:性別は、発言の意味と深く関わる時のみ公表。ただ主語でわかることもしばしば。

*4:私の行っている地方の私立芸術大学(学部の平均偏差値50そこそこ)では、相対的に女子の方が自分語りも含めて雄弁な傾向があり、その2割くらいは文章も考え方もかなり大人でしっかりしている。一方男子は、100人に1人くらいの割合でかなりの切れ者がいる。

*5:そもそもあまり生々しい性の話なんか聞きたくないという学生もいるし、「今日の話、考え過ぎてなんか吐き気がしてきた。当分いいです」とレポートの最後に書かれたこともあった。

*6:12/11追記:ブックマークのrnaさんのコメント「そういう授業だからこそ、なのかな」の下りを読んで、ははぁと思った。一見わかりやすい(教条的な?)フェミニズムに見えないからこそ、「いやその下には必ずフェミナチの陰謀が」という疑いを一層強く持つということもありそうだ。