これが男の生きる道 ? - 上野千鶴子vs澁谷知美、‥‥‥そして橋本治

新春爆笑トーク 上野千鶴子vs澁谷知美「男(の子)に生きる道はあるか?」(対談のウェブ中継)
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中継を見て、ブックマークコメントに、

「爆笑」できない/澁谷本は男子のための癒し(ガス抜き)本?という印象。上野先生、恋愛強者ぶりの強調(「切れたことがないです」)、「経験則」を連発。世代の違いは感じたがどちらにもモヤモヤ。

この対談を批判している笑おう、憤りと皮肉と拒絶とをこめて - FemTumYumブコメには、

>「オトコは自分のペニス一本しかしらないけれどもオンナは何本も知っている」←上野発言。うへぇ。/両人の「男の子もラクになればいいのよ」的余裕のうちに見られる変な母親臭さは気になる。売文のためと言えども

と書いた。
正直なところ、「東大の先生と生徒」の馴れ合いみたいな雰囲気にちょっと引き、上野千鶴子の(たぶんいつもの)マッチョな発言にドン引きし、全然面白くない場面で生暖かい笑いが起こるのに「大学フェミニストの集まりってこういう感じなの?(行ったことないので知らない) それともファンの集いだからこうなのか?」としらけ、最後まで見通すのはややしんどいものがあったが、少しまとめてみる。
ちなみに私は、上野千鶴子の『男おひとりさま道』も、澁谷知美の『平成オトコ塾 - 悩める男子のための全6章』も未読。以下は対談の録画を見て感じたことです。


『平成オトコ塾』は澁谷氏本人によれば、「何者かになれ」との男ジェンダー規範+「男」の土俵に上がれない状況というダブルでつらい立場にある20〜30代の男子に、もっと楽になりませんか?と提案するものである。男子版「しがみつかない生き方」だ。たとえば、恋人や結婚相手がいなくても、同性同士で住居をシェアしたりして相互扶助していくことはできるし、やっている人はいると。女性がしているんだから、男性だってできるんですよと。
それに対し上野氏は、「男のコミュニティは結局パワーゲームになるのでは?」と疑問を投じ、(弱者男性を慰撫し現状を肯定するものだから)「体制にとっては非常に都合のいい本ですね」という先輩フェミらしいプチ批判をしていた。「男は楽になりたがっている」vs「男は権力闘争をしたがる生きもの」‥‥‥この男性観は、なんとなく世代の違いも感じさせる。
ターゲットである若い男性読者からの評判は大変いいようだ。amazon小谷野敦のレビューも好意的で、フェミ嫌いのコンサバおやじの取り込みにまで成功している!という感じである。澁谷氏の言う「もう一つの執筆動機であるフェミ言説のリニューアル」が評価されたということだろうか。


一方、上野氏の『男おひとりさま道』の方も、かなり評判はいいらしい。どんなに強者でも、年をとれば「男をはる能力・知力・体力」を失い落ちぶれるという事実があるから、説得力があるのだと著者は言う。男性同士の相互扶助(上野氏曰く「蓋然性が低い」)ではなく、女性との相互扶助を勧めているようだ。
つまり、地位も金も文化資本もある強者の女が、金も女もない若い男には「弱くてもいいのよ」「女なんかなしでも生きていけるって」と、年老いて弱気になった男には「誰でも弱いものよ」「変なプライド捨てて女と助け合いなさい」と呼びかけているわけだ。
いやフェミニズムにもそんな余裕が出てきたのかと言えばいいのか、男を手なずけねばならないほどジェンダー論も市場開拓に窮していると言えばいいのか、そんなことは当の男に任せておけよと言えばいいのか、迷う。



とは言え、私はちょうど澁谷氏と上野氏の間の世代で、どちらの言い分も半分はわかり、半分は違和感を覚えるという中途半端な立場にいる。
たとえば、澁谷氏が男子学生を前に行うジェンダーの講義の難しさは、身に覚えがある。「おかん」にも「ものわかりのいいおばさん」にもならず、一方にいる女子を軽んじることなく、男子の興味を引くにはかなりのテクニックがいる。まず「女の窮状」とは別に存在する「男の窮状」について述べねば、彼らは耳を傾けようとしない。例えば以下のような話だ。

 「男らしさ」の価値は凋落して久しいと言われる。にも関わらず一方で、男は依然として、頼りがいがあり女を守りリードする役割を求められている。「見られる存在」として女性の審判を仰ぎ、女性に同調し、別のところでは能動的に振る舞うことを期待される。その能動性が少しでも女性を傷つければ叩かれる。
 欲望せよ。しかしそれが暴力となることも自覚せよ。このジレンマを彼らは生きねばならない。これを「男であることのストレス」として受け止める男性から見ると、時と場合によって能動性(男前な女)も受動性(女らしい女)も自在に使い分けることの可能な女性の方が、ずっと生きやすいように見えたとしても不思議ではない。
(中略)
 一方、男性の負け犬はどうか。いくら仕事ができても女一人獲得できない情けない奴、家族を扶養することから逃げる甲斐性無し、いい歳していつまでも大人になれない半端者。そういうネガティブなイメージが先行しているように見える。女性が「結婚するメリットを感じない」と言っても「おひとりさまの方が気楽だよね」と言われるが、男性は「どうせ結婚できないんでしょ」という目で見られやすい。
 女性の結婚の条件は「三高から三低へ」あるいは「三手へ」と変化してきているとは言え、相手に経済力を望む女性はやはり多い。女性に経済力がなくても玉の輿婚という逆転はまだ残されているが、男性にそれはない。女性に比べて、男性の選択肢は少ない。
 女性が定職に就かず実家にいても「カジテツ姫」だが、男性はニートやひきこもりとして問題視され、最近では晩婚・少子化の一因は恋愛や結婚に消極的になった男のせいだとまで言われる。三十歳の処女には「貞淑だったんだね」という言葉が用意されているが、三十歳の童貞には「今まで何やってたんだ」という嘲笑が投げかけられる。ドラマでもアラフォーの独身女性は「輝いて」いるが、男性はどこか歪な社会性に欠けた人間として描かれる。
 仕事に没頭しておしゃれに疎くなれば「だからモテないんだ」と下の世代から哀れまれ、ちょっと頑張ってみると「男のくせに見てくればかり構って」と上からクサされる。「近頃の若い女は生意気だ」は頭の中がまだ「昭和」のオヤジの繰り言として扱われがちなのに対し、「近頃の若い男は頼りない」は若い男以外の層に広範にアピールする。
(中略)
 男性中心の仕組みは変わりつつあっても、いまだホモソーシャルの結束の強いこの社会では、「男は男に評価されてナンボ」という価値観は残っている。「男たち(=社会)に承認されない」ことは、多くの男にとって文字通りの「負け」、敗北なのである。そこで「情けない」「甲斐性無し」「半端者」の烙印を押されることは、落伍者、不能者と看做されるに近い。


 『「女」が邪魔をする』(光文社、2009、大野左紀子)「男の窮状と女嫌い」より抜粋


そこで私が彼らに向かって、「もっと楽になったらどう?」「競争なんかやめたら。というか、もう「男」の土俵は君たちにはないから」「結婚できなくたっていいじゃない。男同士で助け合って暮らせば?」と言えるかいうと、なかなか言えない。「男」を降りて、つまり仕事で頑張らず、「何者かになりたい」という夢も持たず、恋愛も結婚もせず、それでいてルサンチマンを抱かずに楽に生きるための、具体的かつ有効な処方箋は提示できないのである(やれている人はいるのだろうが、汎用性があるかどうか疑問だし)。
女がこうしたら楽だったから、男も同じようにしたら楽なはず、なのだろうか。ジェンダーの土俵から降りたところがユートピアとは限らないし、降りるにはそれなりの勇気がいる。「降りたら楽だよ」なんて、そんな一見優しそうだけれども無責任なことは言えない気がする。


それに替わる言葉になるかどうかわからないが、授業の最後では、女であろうと男であろうと、若いうちに三つの自立を目指してくださいと言っている。
一つ目は生活の自立で、自分で自分の身の周りのことはだいたいできるようにする(衣食住に関わる家事全般)こと。
二つ目は経済の自立で、自分で自分の食い扶持は(少なくてもいいから)稼ぐこと。
三つ目は精神の自立で、自分の生き方は自分で決め、一人でも楽しく生きられるようになること。
もちろん、これが三つとも楽々できる人は「強者」である。一番目はともかくも(ただし健康体に限る)、二番目はがんばってもギリギリか状況によってまったくできない人はいるし、三番目は言うは易しするは難しである。だから最低限、生活の自立だけは成し遂げ、経済面と精神面は時と場合によって他人と支え合っていくのがいいと思うよ、と提案する。
男子に求められてきたのは、第一に経済の自立であった。精神の自立とは往々にして「俺は男だ」的メンタリティの育成だったりした。生活の自立はおろそかにされてきた。それがたとえば日本の母と息子、姑と旦那のすてきな夢 - はてこはだいたい家にいるという記事で想定されている、母親に甘やかされ「家事というものは女がするものだ」との観念をもった「小さなお殿様」大量発生の要因である。だから男子には「楽になろうよ」と言う前に、「まず生活の自立が必要だよ」と、もう耳タコだろうが「そんなの今や常識」だろうが、しつこく言っておきたいとは思う。



「男の自立」については、橋本治著『これも男の生きる道』(2000、ちくま文庫)で述べられている。実に名言が散りばめられており、橋本治がゲイで上野千鶴子と同い年ということを知らなくても大変面白く読める。
「男の自立」ってうさんくさい言葉だよね、そう言えば70年代に「女の自立」を言い出した女は人からいやな視線で見られたものだね‥‥といった記述の後の部分を引用しよう。

「自立」がむずかしいのは、「人に嫌われる」という第一関門があるからです。人に嫌われて、それでも平気で自分の生き方をつらぬく----- それが「自立」なんだから、「男の自立」だって、当然「女に好かれるために家事をする」ではない。方向としては、その逆です。「男の自立」は、「女に嫌われても平気」という方向にしかなくて、するんだったら、女に嫌われるために家事をする ------ これが「男の自立」の方向でしょう。
 その昔に「自立」を目ざした女達は、"自分の仕事"を持とうとしました。「仕事に生きる女」が男に嫌われるものだということを知りながら、それでも彼女達は"自分の仕事"を持とうとした。「自立」とは、「"人から嫌われる"という関門をくぐって魅力的になる」ということなんだから、これはしかたのないことです。「男の自立」というのは、そういう関門をくぐって魅力的になった女性達が言い出していることなんですから、そのことをきちんと学ばなければなりません。
 「家事というものは女がするものだ」と思っている男がいます。彼は自分の身の周りのことを全部女に任せているから、家事なんかできない。こういう男が女に嫌われたら困ります。エラソーな顔をしていても、「家事ができない」ということが弱点になって、そのうちに女の言いなりになってしまう。ところが、自分で家事のできる男だったら、別に女に嫌われたって困らない。逆に、「お前は家事以外になんのとりえもない女か」と言うこともできる。だから、身の回りのことを盾に取られて女の言いなりになる必要はない。「家事」という能力があれば、女に嫌われてもこわくない。これは、「経済的に男に依存するだけの女に自立はできない」というのとおんなじです。
(中略)
つまり、「結婚して家事をするのが当然だ」と思われていた女の自立の方向が、「いやな男の言いなりにならないために、働いて経済力を持つ」だったのと同じように、「働いて家事をしないのが当然だ」と思われていた男の「自立」の方向だって、「いやな女の言いなりにはならないために家事能力をつける」になるんです。


橋本治の説く「男の自立」は、もちろん家事だけでは終わらない。

「自立」とは、ただ「まともになろう」とするだけの戦いである


 というわけで、「組織の中に"卑怯"がある。そのことを指摘しても、なんだかんだ言われて無視されてしまう」という「戦い」はもう始まっています。この「戦い」に勝つためにまず必要なことは、「敵の把握」です。「一体まわりの人間達は、どうして歴然と存在する"卑怯"に対して目をつぶろうとするのか?」を考えなければなりません。
 なぜなのか? この答はもう言ってありますね。「日本の男達は組織べったりで自分の意見を持たないから」です。みんな「右へならえ」で、「まわりが沈黙していたら自分も沈黙する」が、日本の処世術です。でも、あなたはそんな現状が嫌だ ------「いやだ」と思ってしまった。だからこそ、あなたはもう「戦い」の中にいるのです。
 あなたは「まわりの人間は卑怯だ」と思う。そう言っても、まわりの人間は聞き入れてなんかくれない。既にあなたの戦いは「劣勢」で、敗色が濃厚になってきている。そうなったらどうするか? 道はたった一つ、「まともになってやろう!」という決心をするだけです。
(中略)
そういう状況の中での「戦いに勝つ」には、「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる ------- そのことを押し通せる」です。「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる」-------- このことこそが「自立」で、「自立」とは、「戦い」が成り立たなくなった現代に唯一残された「戦い」なんです。
(中略)
 現代では、「生き方」に関するシビアさがなくなっている。でも、人生はいつだってシビアなもんです。別に「自立」はめずらしいことじゃない。そんなこと、ずーっと長い間、男にとっては当たり前だった。「男の自立」が言われるということは、「人生はシビアだ」という事実が復活しようとしているだけのことなんですね。


‥‥という具合に、引用したい箇所がありすぎるので、最後に文庫の裏表紙の言葉を引いておく。

男にとって大切なのは、一人前になることです。それは、自分のするべきことはなんでもできること、自分のするべきことはなんでもすると覚悟して、なんでもすることです。もちろん、できないこと、わからないこと、知らないことを、素直に認めることでもあります。かんたんなようで、なかなか困難な、これが男の生きる道。男も女も、この本を読んで、一人前になってください。


「男は楽になりたがっている」と「男は権力闘争をしたがる生きもの」の双方が取りこぼすものが、たぶんここにはあると思う。
私は女で既に50歳だが、男に特化して書かれているところも結構あるこの本を時々開く。「一人前」だと胸を張れるのか、この歳でもまだ全然自信がない時があるからだ。


平成オトコ塾―悩める男子のための全6章 (双書Zero)

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男おひとりさま道

男おひとりさま道

これも男の生きる道 (ちくま文庫)

これも男の生きる道 (ちくま文庫)