働くということ、あるいは盗んで食っちゃ寝

※トラバ先の方のタイトルは「働くということ」だけになっています。なんか今いちものたりないなと思い、後で後半を加えたので(ごめんなさい)。


小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaのニート日記


少し前に「ニート代表」としてテレビ出演もされたphaさんの記事。コメント欄がすごく賑わっており、ブクマのコメ率も非常に高く、さまざまな意見があって興味深い。トラバ記事も多数あり、すべては読んでいないので重複するかもしれないが、つらつら書いてみる。


「働かざるもの、食うべからず」という言葉は調べてみると、レーニン新約聖書パウロの言葉を取って言ったものらしい。つまり当初は、労働者階級の立場から、のうのうと暮らしている特権階級を糾弾するフレーズだったのだ。それが、最近では逆に「弱者」に向けて、自己責任論などと結びつけて発せられる狭量な言葉となっている。皮肉な話ですね。
このフレーズに対抗できるのは思いつく限りでは、「世の中に寝るより楽はなかりけり。浮き世の馬鹿は起きて働く」。ちょっと斜め上だけど。高杉晋作の言葉だという説を聞いたことがあるが、さだかではない。詠み人知らずの狂歌だろうか。
この言葉で私はまず、仕事にあぶれた八っつぁんが長屋の縁側で寝転びならそう嘯き、熊さんが「しかし腹ァ減ったな。ちょっくらご隠居さんとこ行って鰻でも御馳走に‥‥」などと言っているのどかな光景が目に浮かぶ。しかし「馬鹿」にムッとする人もいるかもしれない。


話を戻して。
phaさんの記事で言う働くこととは、「生活費を稼ぐために外で人に使われてする仕事」を指しているようだ。それは「しんどいこと」であると。「仕事=しんどいこと」でしかないのなら、できるだけ働きたくないですよね。
事実、本当に「しんどい」としか言いようのない仕事は多い。たとえば、僻地の工場で朝から晩まで携帯の組み立てをやり、トイレ行くのも申告制で、給料は月13万、もちろん非正規雇用‥‥という感じとか。
誰かに、そういう地味なあまり人のやりたがらない仕事が回っていく。だが、それをしたからと言って「ありがとう。君のお陰で助かっている」とか「君がいてくれてよかった」と、感謝を込めて言ってもらえることはなかなかないし、給料も低い。本当に当面暮らしていくための、ほとんど生存のためだけの労働である。


無人島で完全自給自足の人でない限り、働くとはつきつめれば、「人に何かを提供することで、有形無形の見返りを得ること」だ。
だが「自分のしたことが人の役に立っている」「働きがいがある」と実感できない労働環境においては、やはり「仕事=しんどいこと」でしかなく、しんどいことから逃げたいのは人情だから、「働かずに生きて」いけたらなぁと夢想する人は多いのだろう。大抵は夢想するだけだが。


phaさんが書いているように、「働かずに生きていくには家の資産だとか技術だとか愛嬌だとか美貌だとか運だとか、いろいろ他の要素が必要」と思われる。
「家の資産」と「運」は別として、「技術」や「愛嬌」や「美貌」、他にコミュ能力とか、情報収集&提供能力とか、アイデアや知見とか、才能とか、人間的魅力とか、家事能力とかは大雑把に言えば、人に喜ばれるもの、人を幸せにするものである。「ありがとう。君のお陰で助かっている」とか「君がいてくれてよかった」という言葉を、言葉はなくてもそういう思いをなんとなく他人の中に喚起し、できればお返しをしたいなぁ、してもいいなぁという気にさせる、そういう要素だ。


働くとはつきつめれば、「人に何かを提供することで、有形無形の見返りを得ること」だとさっき書いた。であれば、「技術」や「愛嬌」や「美貌」やその他諸々を人に提供し、そのことで人に喜ばれ、好意や感謝の印を有形無形で受け取ることによって生きている人は、働いているわけである。金銭の授受がなくても、必要なものは手に入れているのだから、phaさんも働いている人だ。
働いていること=経済的自立では必ずしもない。そう考えると、なんと多くの人が働いていることになるだろうか。人間だけではないですよ。うちのタマ(猫)なんかすごくいい仕事してくれてます。実は何もしていないけど、悠々食っていけているのがすごい。
まあもともと保護の必要な子供やペットはともかくとして、こういう働き方はやはり人間関係の構築が肝になる。「働きに出なくて気楽だが、別のところでストレス溜まりそうだ」と思う人には向かない。


ベーシック・インカムの考え方を私も基本的に支持するけれども、その導入にはまださまざまな問題があり、実現に向かったとしても相当の時間がかかりそうだ。
それをただ待っているわけにもいかないので、経済的に自立できそうな人は大抵そうしているし、自立まではできなくてもとりあえず働きに出たりするし、したくない人、事情があってできない人は、人に何かを提供して好意や感謝の印を受け取ることになる。
個人的には、経済的自立を目指しつつ、足りないところを人と補い合うという合わせ技くらいがいいと思う。私もそんな感じでのらりくらりとやってきた口だ。


と言うと、自立も不可能だし人に提供できるものも何もない人はどうしたらいいのか、飢えろというのか?という声が上がりそうだが、では福祉は何のためにあるの?という話である。その福祉が機能していないなら、盗めばいい。
誰も助けてくれなければ、盗んで食っていいんです。生存のためだけの労働を、歯を食いしばってすることはない。盗んで食っちゃ寝。いざとなったら私もそうします。それでも「働かざるもの、食うべからず」と言われたら、言い返す言葉は用意してある。



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