セックスは暴力的なものを含んでいるか

「男をわかってない」と言われまくる件 - 「あなたは悪くない」別館


「セックスとはそもそも野獣のようなものだ」とか「セックスはある程度乱暴な行為」というような言い方で、自分の振る舞いを正当化し女性を批判する男が時々いて、大変に疲れるという話。そういう人々に丁寧に「性犯罪についての出前講座」をしてあげるid:manysidedさんには、正直頭が下がります。
manysidedさんが槇村さとるの言葉を引用して書いている「セックスはとろとろに溶け合うもの」という表現に近いことは、自他の境が融解するような感覚として、セックスを語る時にしばしば言われているように思う。比較的多くの人(の中でも特に女性?)に共通する感覚ということかもしれない。
で、本題とはちょっと外れるかなと思いつつ、以下のようなブコメをつけた。

セックスは「乱暴なもの」は変だが、そこにある種の暴力性がつきまとうという話ならわかるけど。で、そうであっても暴力は肯定されないしお互いを慈しみ合うようなセックスはできると。
http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100319#bookmark-20065486

それに対してmanysidedさんから、

「ある種の暴力性がつきまとう」の意味が本当にわからない
http://b.hatena.ne.jp/manysided/20100319#bookmark-20065486

と言われたので、メタブクマへ行った。


ところが、最初に私がフロイトの名を持ち出したために、以後のやりとりが本題からズレまくることになってしまった。
改めて、ブコメの議論は難しいものがあるなと感じた。100字にできるだけ突っ込もうとするから印象がキツくなるし、質問が喧嘩売ってる風味になりがちだし、フォロー入れたくても入れられないし、言いたいことで抜け落ちる部分もある(自分のことです)。
短文に集約する文章力が私に欠けていると言えばそれまでだが、ズレがここまでになるとは予想してなかったこともあって、ちょっと凹んだ。



以下、manysidedさんとのやりとりでどういう齟齬が生じていたのか見直すために、二人のメタブコメを抜き出し、その時感じたことも含めて補足しておきたい(●は私、○はmanysidedさん。書き込み順に並べ替えた。idコールと「メタブへ」などは省略)。


(1)http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/manysided/20100316/1268768741

フロイトはすべての性関係はSMだと言っていますが私もそう思います。性欲は暴力的な衝動や支配欲と直結していると私は認識しています。でも実感を持てない人に持てという話ではありません。
フロイト近親姦の多さをファンタジーと捏造しそのために性被害は妄想といまだに診断されてます。フロイトが語る性に関しては疑った方がいいかと。皆さん「暴力的な衝動や支配欲」を当たり前としてるのが不思議です


フロイトが「すべての性関係はSMだと言っている」のは、正確には「すべての人間関係」についてなのだが、重要なのは「サディズムマゾヒズムは、その根底にある能動性と受動性との対立が性生活の普遍的な性格に属するものである」(「性欲論」より)と書いている点。なかなか含蓄のある指摘だと思う。
仮にヘテロのセックスの場合で考えると、男性の性欲の中にサディズム的なものや支配欲が含まれることは、女性のそれよりは多いだろうと思う。ここにはジェンダー(男は攻める側だ!みたいな)と、ヘテロのセックスの物理的様態(挿入ありの場合に限って言っている。念の為)との、双方が関与しているのではないかと私は思っている。
もちろん男性で受け身の人もいるし、女性で攻撃的に攻めるのが好きな人もいる。それこそ何千人もの男女にアンケートをとってみないと詳しいことはわからない。上記はあくまで傾向としてそういう非対称があるのではないだろうか?ということであって、それを私が固定的に捉えたいということではない。念の為。


manysidedさんが例*1を挙げ、「フロイトが語る性に関しては疑った方がいい」と書かれているので、「あ、フロイト嫌いな人なんだな。しまった」と思った。


(2)http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/manysided/20100316/1268768741

フロイトには様々な誤謬があったしフェミにも叩かれたが、性について重要な知見のすべてを否定するのはもったいない。「暴力〜」を自覚するのと是認するのは別。斎藤環『関係する女 所有する男』をお薦め
○ 知人による娘への性加害を認める強さがなかったフロイトの話はおなかいっぱいです。ペニス願望がない私には実感持てませんが、フロイト支持派の考え方を知ることができて興味深かったです。


しまったとは思ったが、「すべてを否定するのはもったいない」くらいは言ってもいいだろうということで書いた。
それより(1)で「皆さん「暴力的な衝動や支配欲」を当たり前としてるのが不思議」とあるのが、私は「皆さん」の話はしていないし「当たり前」とも言っていないので、何か誤解されているのかと思い「「暴力〜」を自覚するのと是認するのは別」と言った。最初のブコメで言ったことと基本的には変わらない。
補足しておけば、私はフロイトを読む前から、自分の性体験を含め人の性体験を聞いたり読んだりする中で、暴力的な振る舞いなどなくても「セックスにはある種の暴力性がつきまとう」(良い悪いということではなく)ようになんとなく感じている。フロイトのSM云々は、その実感を別の角度から説明してくれたものとして捉えている。*2


しかしレスで再びフロイトについて別の批判材料を挙げられ、「フロイト支持派の考えを知ることができて興味深かった」と書かれたので、たった二回のブコメでそれはないんじゃないかなぁというのと同時に、相手がフロイトを参照しているというだけで対話を嫌がっているという印象を受けた。
そもそも、manysidedさんは「フロイトの語る性に関しては疑った方がいい」という立場なのに、フロイトエディプス・コンプレックスの中の概念である「ペニス願望」*3を(自分にはないという前提であっても)持ち出してくるのが解せない。少なくともそれは、「セックスにはある種の暴力性がつきまとう。でも暴力性を自覚するのと是認するのは別」という私の当初からの意見とは、何の関係もないことだ。


manysidedさんがこのような書き方をする理由はよくわからなかったが、「フロイト支持派」といったレッテルを貼ることでそれ以上の意見交換をするまいという拒絶的な雰囲気は感じた。そういう「話法」は、コミュニケーションを断絶するものではないかと思った。それで次に、同じように問われたらどう思うかと聞いた。


(3)http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/manysided/20100316/1268768741

フロイトがお嫌いならそれで結構ですが、「フロイト嫌いの性犯罪被害者の考え方がわかって興味深い」と言われたらどう思いますか?態々議論に直接関係ない「ペニス願望」という言葉を入れる意図は?
○「性について重要な知見」ということなので、ペニス願望は関係あると思います。大野さんの文面から感じる性格からもなんとなくそう思いました。闘争心あふれてますよね。不快だったら申し訳ないですけど。


エディプス・コンプレックスの中で言われている男根期の女児の「ペニス願望」が「性について重要な知見」なのはその通りだが、フロイトを「疑った方がいい」と言っている人が、相手が書いたのに乗っかってそう言うのはちょっと変だと思う。
また、それをもってきて私の「文面から感じる性格」に言及する‥‥‥別にやっても構わないし「闘争心あふれてますよね」は素直に褒め言葉として受け取っておくけど‥‥‥理由がわからない。ここでは関係ないことである。
私は「ペニス願望」があると言外に言われたのを「不快」に思ったのではなく、文脈に直接関係ないのに持ち出すのを不審に思いその意図を尋ねたのだが、manysidedさんはレスで「不快」な効果があったかもしれないと推測している。つまりそう思ってわざわざ書いたということだろうか?「フロイト支持者」の私を揶揄するために? 
私の思い過ごしだったら申し訳ないが、自分としては一応manysidedさんの考えは尊重して対話していたつもりだったので、なんか足下を掬われたような気がした。


(4)http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/manysided/20100316/1268768741

● いやいやw「暴力的な衝動や支配欲」がある事を認識するのと暴力を正当化するのは別という話をしていたのに、固有名に過剰反応して扉を閉ざすような頑な姿勢を取られてしまい、残念です。
○ 過剰反応してるのは大野さんでは。私は名前でなく内容批判してます。石原ババア発言と同じようなこと言ってます(被害前から知ってた)。フロイト支持派の対称はフロイト嫌いな性犯罪被害者とはならないですよ

*4


相手がフロイトの言ったことを一言持ち出しただけで、次々フロイトの批判材料を出してきて、聞かれたから答えた最初の私の意見については更に質問して意見交換しようということもなく、対話を拒否したがっているように私からは見えた‥‥のだが、manysidedさんからは逆に見えたのかもしれない。
「固有名に過剰反応して」というのは、当然「内容批判」を含んでいる。それは読めばわかると思う。


(5)http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/manysided/20100316/1268768741

● 部分で全体をすべて否定しているように見えたのでもったいないと言っただけだし、嫌いなら別にそれでいいです/「フロイト嫌いな〜」は貴方の話法を問うたんです。対称性の問題ではなく。
○ 全ては否定していませんが害悪の方が大きいように思っているのです。


フロイトについて議論したいんじゃなかったのに、なんでこうなった。やっぱり私が最初にフロイトの名前を出したのが(このケースでは)いけなかったんだ、地雷踏んだんだ、もう手遅れだー(泣)‥‥という気分。


(6)http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/manysided/20100316/1268768741

●ご意見了解です/最初の「セックスには暴力的なものが」について→http://h.hatena.ne.jp/spectre_55/9234093831212242329/こういう感覚とフロイト支持は関係ないという参考までに/ 長々お付き合い下さりありがとうございました
○こちらこそありがとうございました。私にはその感覚がやっぱりわかりませんが否定するつもりはないですし考え続けてみようと思います


引用させて頂いたのはid:spectre_55さんのこのハイク。

あとさー
これはひとりごとなんだけどさー


たとえ愛と相互の了承の上に成されることであっても、
セックス(性行為)はそれ自体が暴力的な何かを含んでると思うんだよね
(それは男女ヘテロゲイバイビアンを問わず)


「だからこそ」愛とか相互の是認を必要だと思うか
暴力的なら暴力的であるべきだろうとかそっち方向へ行くかは
人それぞれなんだろうけど(多数派は間違いなく前者だろうけどな)


spectre_55さんとmanysidedさんがやりとりをしているのを見たので、「フロイト支持派」(しかしこの単純なラベリングはちょっと厭)の私の言葉よりはと思い引用させてもらった。
この件についてのフロイトという"バイアス"(セックスに暴力的なものがつきまとうなんて見方は、フロイトにかぶれているからでしょ的な?)を少しは外せただろうか。
最初のブコメに書いたように、実感のない人にわかれという話では毛頭ない。いろいろな感じ方があるのは当然だし。


spectre_55さんのハイクでは、「男女ヘテロゲイバイビアンを問わず」という認識を示されている点が個人的に特に興味深い。どんなセックスにも攻/受がある(あるいはすべての性関係はSMである)という見方に接続したい欲求に駆られる。
自著より関連するところを引用。

 男性が闘い奪い取る性として、女性が産み育てる性として、社会の中で非対称的に位置づけられ、性別役割分担体制が確立されていく過程は、共同体が拡大し国家として成立していく過程に重なっている。女が妊娠、出産、家事育児を引き受けている間に、男はさまざまな活動が可能だ。体力知力の増強も可能。それは男女の権力関係、上下関係へと容易に結びつく。
 このことは端的に、セックスの様態にも見出される。レイプが男から女へのものが圧倒的に多いという事実は、男の準備次第でセックスが可能であり、そこで男は常に能動的な立場に立ちうることを示している。ちょっと嫌な言い方をすれば、男は力づくで女を犯すことで、女が権力関係の「下」にいることを思い知らせることができるわけである。女に対するさまざまな性的技巧が編み出されたり、「母性愛」が讃えられたり、レディファーストや「女性のお客様ご優待」があるのはすべて、男女の上下関係を「下」の者が受け入れやすくするためだという見方も成り立つ。
 などと言うと、「それは男女の不平等を歴史的、物理的に根拠づけようとする性差別者の意見だ」とする人もいようが、そうではない。歴史的、物理的な事実を見ることと、それに依拠して性差別を正当化することとは別である。
(『「女」は邪魔をする』/第三章 男女は棲み分けしている)


ブコメを振り返って思ったのは、manysidedさんの記事が、性差別的な男性への不信と、そこにある「セックスは乱暴なもの」というセックス観に対する強い違和感を表明するものであったので、もしかしたら私のブコメもそういう男性側の意見を補強しているように感じられたのかもしれない、ということ。フロイトとは別に。
もしそうだったら、ここで改めて説明不足を謝りたい。ごめんなさい。
何度も言っているように、セックスにある種の暴力性を認めることと、(相手の意思を無視した)乱暴な性行為や性差別を正当化することとは、断じて別の話だ。かなり前にどこかのブコメでも書いたが、自分の性欲と支配欲が繋がっていることを自覚していても、それを振る舞いや言葉には出さないよう配慮しコントロールするのが普通だと思う。



最後に、あまりにもフロイトこてんぱんだったので、少しだけ。


フロイトの理論が一般には性についての俗説として非常に矮小化して広まった(それこそが「害悪」だ)点も大きいが、まさにmanysidedさんが書いているような理由でのフロイト批判は多い。
フロイトがその長い臨床と研究の中で、何度か自説を「誤り」だったとして後に修正していたのはよく知られたことだし、世間一般の男尊女卑的な価値観の中に彼自身もあり(これは存命していたのが1856年から1939年という点で若干差し引いて見たいところだが)、後にフェミニスト達から男の性を基準にし過ぎている、家父長制を擁護するものだとして、悪名高き「ペニス願望」も含め激しく攻撃されたのも有名だ。
フロイトの理論をトンデモな仮説に過ぎないとか、治療には役立たないと切って捨てる人は多い。精神科の治療は今は精神分析療法ではなく、薬物中心のようだ。
こうしたことも相まって、人の目によく触れる範囲ではフロイト評価よりフロイト批判の方が目立っている感じもある。フロイトの論が、解釈の仕方によって性差別的にもなれば見事な洞察にもなる、という幅をもっているところは厄介かもしれない。


それでも、性が人間のもっとも根源的なところに深く関わっていることを、ここまで突き詰めて考えた人物が後にも先にもいないのは事実だし、子どもにも性欲があることを指摘したのもフロイトだった(だから余計に嫌われたのだが)。フロイトの文化論、芸術論は、今読み返しても非常に示唆に富んでいる。とてつもないスケールでものを考えていることに感服させられる。
ラカンフロイトの世間的評価が落ちまくった中で、「フロイトに帰れ」を唱えた。ラカンフロイトを読み直し、多くの重要なものを救い上げ、さらに理論を発展させた。彼もまたフェミニストにはあまり評判が良くないのだが、その中でもバトラーやクリステヴァなどラカン論理を援用してたりそこから出発している人はいるし、ラカンを通してフロイトを読み直すことを私に勧めてくれたのも、フェミニストの人だった。
そんなこんなで、様々な批判はあれど私はフロイトを面白いと思っているが、嫌いだという人に押し付ける気はない。


●追記

次の記事あらゆる場所にSMが…(セックスは暴力的なものを含んでいるか2)、トラバ記事SとMは権力関係ではない - simplemindの日記のコメント欄で、「ある種の暴力性」他について説明しています。合わせてご覧下さい。



●関連記事
レイプファンタジーというおかずについて、極個人的に

*1:フロイトはヒステリーの症例を研究する中で、患者が幼児期に性的虐待を受けていた(実際に告白があった)ことがわかったとしたが、後にそれを偽の記憶だったとして最初の自説を引っ込めた。興味のある方は「抑圧された記憶」でググってください。こちらのサイトは易しく解説してあっておすすめ。

*2:ちなみに、このブコメで挙げた斎藤環の『関係する女 所有する男』(講談社現代新書)は精神分析を踏まえたジェンダー論として一般向きに書かれており、いささか単純化の嫌いはあるが読みやすい。茂木健一郎に厭味たっぷりに突っ込みまくってる某往復書簡の雰囲気とはやや違って、非常にフェミニズムに気を遣いつつフロイト-ラカンを援用している様がなんだか涙ぐましい。

*3:フロイトによれば、自分にペニスがないことに気づいた幼い女児はそれを欲しがり、その欲求を成長後までこじらせるとヒステリー症状となって現れるという。この「えええ?」な論をどう解釈したら良いかについての一つのヒントは、やはりこちらのサイトで解説されているので、興味のある方はどうぞ。▶追記:そもそも女児の「ペニス願望」(ペニス羨望とも)は成長と共に忘れられるというフロイトの論の大前提に立てば、「ペニス願望がない私」という言い方そのものがおかしいとも言える。

*4:追記:私のブコメをどういうわけか写し間違えていました。文意は同じ。失礼。