鳥は自分の名前を知らない

子どもの頃、文鳥を飼っていた。とてもよく慣れて、私の掌から餌を食べ、肩や頭に止まって休んだ。ピヨと名付け時々部屋の中に放って遊ばせていたが、「ピヨ、ピヨ」と呼ぶとパタパタと飛んでくるのが可愛かった。
文鳥が自分の名前を認識していたとは思えない。犬や猫は飼い主に頻繁に名を呼ばれるうちに、その音の並びが自分と関係あることに気づくようだが、文鳥のあまりに小さな脳みそには、そこまでの認識能力は備わっていないだろう。ただ飼い主の声に反応していたか、餌をもらえると思っただけじゃないかと思う。


そもそも、犬にしろ猫にしろ鳥にしろ、人間以外のすべての動物は、自分が何であるかを知らない。
人間が、ワンワンと鳴きしっぽを振る動物には「犬」と名付け、ニャーニャーと鳴きよく眠る動物には「猫」と名付け、空を飛び卵を抱く動物には「鳥」と名付けたただけであって、犬も猫も鳥も、そのことをまったく知らない。
子どもの私には、それがとても不思議だった。
ピヨは、自分を鳥だと知っているだろうか。私が自分を人間だと知っているように。いや知らないに違いない。ピヨには「吾輩は鳥である」なんて意識はない。なのに飛んでいる。鳥だから。不思議だ。


もちろんそれは不思議でも何でもないことだ。動物は、言葉というものを持たないのだから。
言葉を持つとは、何かを名付け、他の何かから区別するということだ。太古の昔に直立歩行した人間が自分を指して「おー」と言い、相手を指して「あー」と言ったのだ。太陽を指して「だー」と言い、イノシシを指して「がー」と言ったのだ(知らんけど)。
そこから人間は、自分たちの周囲の混沌とした世界を文節化し始めた。逆に言えば、すべての事象を言葉で切り刻み繋げ体系づけることによって、世界というものを作り出した。
「犬」という言葉があり、同時に「猫」という言葉があって、初めて私たちは犬と猫を認識する。もしそれらの言葉がなければ、世界には犬も猫もいない。


ところで、「ジェンダーがセックス(生物学的性差)を規定する」という言い方がある。
これに対して、「生物学的な性差はジェンダーとは別にあるのに、なんて変なことを言うんだ。むしろセックスがジェンダーを規定しているのだ」という反論が出る。こういう反論は、生物学的性差を根拠にしてジェンダー規範を受容させようという保守的文脈でなされることも多い。
だが「ジェンダーがセックスを規定する」とは実に当たり前の話なのだ。ジェンダー論での詳しい説明はこちらなどを見て頂くとして、例を挙げるとこういうことである。


向こうから、ナイスバディの魅力的な女性が美しい装いで歩いてきたとする。「お、いい女だな」とヘテロ男性のあなたは思い、ちょっとそそられた。無理もない。そのスカートの下にペニスがあることを、あなたは知らなかったのだから。
人は、女(男)らしさに関する情報=ジェンダーによって、対象の性別を女(男)だと判断する。これが「ジェンダーがセックスを規定する」ということだ。
もう少し細かく言うと、男が彼女に欲情したのは、単にナイスバディとか魅力的という視覚情報によるもの"だけ"ではない。それらが「女」という言葉と結びついているから、そう瞬時に認識したから、欲望は生まれたのだ。
もしあらかじめ「男」という情報を与えられていたら、つまり言葉を通してそう認識していたら‥‥と考えればわかる。*1


つまりジェンダーとは、男/女という二分法を巡る知の総体を指す。端的に言えば、ジェンダーとは、性差についての言葉の体系そのものである。逆に、そこまでいかないと「ジェンダーがセックスを規定する」(断言)とは言えないだろう。
「男」という言葉があり、同時に「女」という言葉があって、初めて私たちは男と女を認識する。もしそれらの言葉がなければ、世界には男も女もいない。欲望もなければ差別もない。文化もなければ制度もない。快楽もなければ規範もない。
私があなたをここまで好きになったのも、たぶんあなたを「男」だと思っているからだ。



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●4/8 追記:後半の一部を書き直したものが、ガジェット通信に掲載されています。当初はこのままでという依頼でしたが、追記↓にも書いたように不十分な内容なのでお断りしたところ、では訂正、加筆したもので‥‥ということになった次第。あちらは問題のあった例題をカットし、その分、説明を丁寧にしています。どうぞよろしく。

*1:追記:コメント欄で指摘されているように、この喩え話はあまり相応しくない(かえって混乱を招く)と思った。「ジェンダーがセックスを規定する」とは、要は「生物学的性差もジェンダーである。なぜならジェンダーとは性差についての知識の総体だから」という意味であり、それは「セックスがジェンダーを規定する」(このジェンダーは「社会的文化的性」を意味するので確かに事実に即している)の裏返しではない。レイヤーが違うということになる。私がここで書きたかったのは、「ジェンダーとは突き詰めていけば言葉の世界。言葉なしには性差はない。言葉なしに犬も猫もいないように」ということだった。