おじさん三題

ダンサー

久しぶりに実家に行き、家の前で母と立ち話をしていたら、通りがかった初老の男性が微笑みながら「こんにちは」と挨拶したので、面識はなかったけれども反射的に挨拶を返した。
痩身で白髪をさっぱりと短く刈り込み、黄色いタータンチェックのシャツに赤いチェックのショールを巻いて、軽いジャケットに細身のジーンズという出で立ち。こう書くといやに若作りで派手だが、その人にしっくり似合っていて、爽やかですらあり、私は思わずその後ろ姿を目で追った。
母に「誰だっけ?あの人」と聞くと、近くのバレエ教室の先生だった。60歳は越しているという。


「あなた、昔も同じこと聞いたわよ」と母に言われて気づいた。
25年くらい前、実家の近くに一人住まいをしていた頃、長めの髪を後ろで束ね首にショールを巻き、難しい顔をして歩いている痩せぎすの男性を、道でたまに見かけることがあった。
「あのゲイジツカっぽい男の人、何やってる人だろう」と母に尋ねて「○○さんとこの。バレエやってらっしゃるそうよ」と言われた記憶はあるのだが、20年以上経てば外見が変わることもあって、とっさに思い出せなかった。


母は、孫(妹の娘)を連れてそのバレエ教室に見学に行ったことがあると言う。13、4年前の話である。
「あんなにシャキッとした背筋のきれいな中年男性は見たことがなかったわ」と母は言った。「足はものすごーく上がるし、クルクルってよく回るしねぇ」。そりゃバレエダンサーだからね。
クラシック・バレエを志した時、一旦は親に勘当されたそうだ。たぶん「男がバレエなんか」と言われたのだろう。『リトル・ダンサー』みたいに。それでも自分の意志を貫いてその道を進み、今は後進の指導に当たっている。
「昔よりちょっと太られたようね」と母が言った。でも普通の人として見れば全然太っていない。というか、普通の人にはやっぱり見えない。
「ご家族は?」「ずっと独身よ」。ふーん‥‥‥。


一生をバレエに捧げてきたその男の人の、60歳を過ぎているとは思えない後ろ姿を思い浮かべた。あの不思議な爽やかさは、誰にも想像できない達観からきているのだろうか。

ミュージシャン

友人の美容師が、自分の企画している今度のヘア・ショーの話をしていた。なんでも急遽、中年ロックバンドを編成しなければならないと言う。


「最初に出るのがおじさん美容師グループだから、掴みにストーンズをもってこようと思ってるんだわ。おじさん美容師のバックでおじさん達がストーンズやるわけ。それでいつもショーに出てもらってるオペラ歌手の人さ、あの人ロックなんか歌ったことないんだけど、スコセッシ監督の『shine a light』みたいなイメージで‥‥とか話してたらやるって言い出して。まあ顎のあたりがミック・ジャガーに似てないこともないし上背もあるし、本人すごい乗り気だからやらせてみようと思ってるんだけど、問題はバンドメンバーなんだよ。若い子ならいくらでもいるけど、おじさんリスペクトの舞台にピチピチの若者出すわけにいかんしさー」


彼女と私は昔バンド仲間で、当時周りにはロック青年やらロックおじさんやらがいたので言ってみた。
「中年の人材ないの? 今でもやってる人達とか結構いそうだけど」
「いないわけじゃないけど、ルックスが。音とルックスをクリアしてる人はだいたいプロになっちゃってるし、アマチュアでやってる人で背が高くて腹が出てない中年ロッカー探すのが難しいわけ。いや頭はカツラかぶればいいんだよ。ドラムスとか後ろに引っ込んでる人の体型はまあ問わない。でもキース・リチャーズロン・ウッドが太ってちゃ格好つかんでしょ。おじさんもがんばってる、カッコいいっていうビジュアル要素を全面に出したいんだから」
「そっかぁ‥‥」


美容師は、自分のルックスで勝負していない。ショーに来る観客も、そのハサミさばきとモデルの頭しか見ていない。いや美人モデルだけしか見てない人も多いだろう。実は美容師の技を見せる場なのに、美容師はステージの主役と言ってもいいのに、なんだか黒子的存在だ。特におじさんは。
だが、バックに美中年バンドを配し、その世代が熱狂したロック中のロックでドカドカギュワーンと盛り上げれば、おじさん美容師だって嬉しいだろうし輝いて見えるかもしれない。そうやって、何十年もハサミ一本で地道に頑張ってきた同業者達に花を持たせてやりたい。そんなステージを、彼らに続く年代である自分も見たいのだと。
私はベテラン美容師である友人の気持ちがよくわかった。


というわけで、四方八方にかけあって彼女はやっと、元ロック青年で上背があって太っておらずギターの弾ける中年二人を確保したそうだ。めでたしめでたし。

スポーツマン

夫は中、高校と野球少年で、本人曰く一時はプロに行こうかと思ったほどピッチャーで活躍しており、予備校講師の仕事に就くとすぐに職場の草野球チームに入った。
最初は先輩講師の人達の「ラジカルズ」というチームに入り、その後自分で「デカダンス」というチームを作って、月2、3回くらいの割合で練習だ試合だと楽しそうにやっていたのだが、ここ10年近くはさっぱりスポーツというものから遠ざかっていた。


それが最近、知り合いの若い講師の人に「そう言えば野球、得意でしたよね。チーム作るので入ってもらえませんか」と誘われ、ふとまたやる気になったようで、新しいユニフォームを揃え、グローブまで新調した。チームの主体は20代と30代で、40代が一人、50代は彼一人。大丈夫か。
「やるのはいいけど、皆についていけるの?」
「まあ俺は三回くらいまで投げたら引っ込んで、後は監督だな」
「チーム名は何ていうの」
バリアフリーズ」
吹き出した。ラジカルズ→デカダンスバリアフリーズ。あんたの人生そのものじゃん。


練習にロクに出ないまま、この間初試合に行った。試合前のストレッチで既に脚の筋肉がおかしくなり、一回を投げただけで肩がダルくなったので交代したという。
「それでも三者三振に仕留めた」
「打つ方は?」
「ヒット打ったよ。二回塁に出た」
「走れたの?」
「どうでもいいけど腰が痛ぇ。ちょっとサロンパス貼ってくれん? いってぇ‥‥肩も痛ぇわ」
先が思いやられる。
「皆スタミナはあるんだが野球は下手。俺は上手いがスタミナがない。まあでも誘ってもらっているうちが花だな」


彼にとってかつて野球は、自分がヒーローになれる場だった。今は己のおじさんぶりを思い知らされる場だ。
歳を取るとは、何かを少しずつ諦めていくことだという。でも、一旦諦めたものと違うやり方でつきあうこともある。