父と芸術

子どもの頃、私に芸術への志向を植え付けたのは父だった。
父は一介の高校の国語教師だったが、ロマン派の音楽とルネサンス絵画を人類最高の芸術だと信じ、またロダンの彫刻と飛鳥の仏像をこよなく愛していた。


父の書斎には、広隆寺弥勒菩薩の写真が飾ってあった。腰をかけて右足首を左の膝に乗せ、右手の指先を頬に向ける半跏思惟像の姿勢を取っている。切れ長の目は伏せられ、物思いに耽っているようだ。
私がじーっとその写真を見ているのに気づいた父は、「この人、何か考えてるみたいでしょう?」と言った。
「何考えてるの?」と私は訊いた。
「世の中の人々を幸せにするにはどうしたらいいか考えているんだよ」
「ふーん」
えらいことを考えているもんだと思った。だがそう思って改めて写真の仏像を見ると、本当にそう見えた。この人は何千年も世の中の人々を幸せにすることについて考えているのだ。すごいな。


京都国立近代美術館ロダンの『ラ・パンセ』が来たことがあった。まだ妹が小さくて母が外出できなかったので、父に連れられて二人でそれを見に行った。
大きな大理石の塊の上部に、頭巾のような帽子をかぶった若い女の人の頭部が彫り出されていた。下からライトアップされて、鑿ではつっただけの大理石の台の荒々しい表情と、磨き上げられてまるで生きているような人の顔の対比が鮮やかだった。
俯き加減の女の人の目はどこかを見つめているようだった。私はその目線と自分の目線を合わせようと下から見上げた。
さきちゃんの方は見てないでしょう?」と父が言った。
「‥‥‥見てない」。私は困惑して父に尋ねた。「この人、どこ見てるの?」
「自分の心の中を見つめているんだよ」
自分の心の中を見つめるとは、どういうことなのだ。子どもの私にはよくわからなかった。だが彫刻に彫られた女の人がここではない、どこでもないところを見ている様子なのは、父の言う通りだった。


世の中の人々の幸せについて考えること。
自分の心の中を見つめること。
それが父の芸術観であった。父を通して私は「芸術ってすばらしいものだ」という信仰を得た。


ずっと後になって現代アートなどをやりだして、父の考えはあまりにナイーブだと思うようになった。
「世の中の人々の幸せについて考えること」は政治の、「自分の心の中を見つめること」は文学の領域だ。いや精神分析か。
芸術は芸術にしかできないことをするものだと思いながら、伝統的なモチーフや表現方法から離れた。そして「○○について訴えている作品」という芸術への”良識的理解”からも、できるだけ遠くに行こうと決心した。
そういう私の作品を見て父は「これはいったい何を訴えているんだ」と言った。私の説明は父を混乱させた。
それでも父は、自分の望んだ形ではないにせよ、自分の愛好する芸術という分野の末端で娘が活動していることを、内心は嬉しく誇りに思っているようだった。


20年続けた美術家の活動を停止して7年になる。
やめてしばらくの間は、父に「やめた」と言うことができなかった。年老いた父はもう長らく私の展覧会には来てなかったけれども、私が一生続けていくものと思い込んでいたはずだ。
2年くらい前、出した二冊目の本を持って実家に行った時、「ところで最近個展はしてないのか」と訊かれた。
「してない。制作はもうやめたから」と私は言った。
「やめたのか」と父は言った。
「本に書いたよ」と持ってきた本を父の前に差し出した。父は老眼鏡をかけ、しばらくパラパラと本をめくってからゆっくり閉じて脇に置き、「そうか。やめたのか」と言った。