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立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。美人は昔からよく花に喩えられる。職場の花、壁の華、○○の名花。「きれいな薔薇には刺がある」も、美しい女性をイメージしている。
古典的なポルノ小説などでは女性の性器を花に喩えて「蕾」だの「花びら」だの「花芯」だのと表現したりする。確かに花は植物の生殖器に当たる部位ではあります。


とか言っていると、「女を花に喩えるのは、女は鑑賞物だと言っているに等しい。性差別的な表現だ」という声が聞こえてきた。ふむ。
花は動けないし、喋れない。どこにも行けずその場所に縛り付けられている、もの言えぬ女。男の手に手折られ、飾られ、散れば捨てられる運命の女。「女=花」というメタファーにあるのはそういう女性蔑視なのでけしからんと。それでいけば、女性の名前の中にばかり「花」があるのもいかがなものかということになろうか。


この手の話題は常にややこしい側面を含む。
「女を花に喩える表現にイラッときたわ。男が女をどう見てるかの典型ね。古臭くてげんなり」
「たしかに花の喩えは貴女には全然当てはまらないだろうね」
「‥‥‥どういう意味?」
「だって‥‥‥‥いや、ごめん。あ、そういう意味のごめんじゃなくて‥‥‥‥えっと、とにかくごめんなさい。失言でした」
となるかもしれぬ。花に喩えられるのは嫌、全然喩えられないのも嫌。面倒臭い話ですね。


女を十全に表現する言葉はない。「女というものは、いくら研究を続けても常に完全に新しい存在である」とトルストイは言い、「女というものがいるのではない。さまざまな女たちがいるのだ」とロマン・ロランは言い、ラカンは端的に「<女>は存在しない」と言った。<女>は存在しない一方で、女についての手垢のついた凡百の表現は生き延びる。「花」もその一つ。


「花子」という名前が日本人女性の名を表すテンプレートであるように、花や植物の名は女性の名によく用いられてきた。
古くは「源氏物語」の夕顔、朝顔、葵上に始まり、スタンダードなところでは百合子、桜子、桃子、梅子、菊枝‥‥etc。今はあまり見ない、クラシカルな雰囲気だ。
菫、蘭、杏、葵、梓、楓‥‥etc。少し芸名っぽくなるが、そのものズバリを指しているから一つ一つのイメージ喚起力は強い。直接漢字を当てなくても、ゆりか、あざみ、かすみ、かおりなど、音だけで花や花にまつわるものを連想させる名も多い。
外国の女性の名前でも花の名はポピュラーだ。マーガレット、ローズ、リリー、ジャスミン、デイジー、バイオレット‥‥etc。


花と少女の組み合わせの王道と言えば、戦前の少女雑誌に連載されて絶大な人気を博した吉屋信子の『花物語』だろう。鈴蘭、月見草、白萩、野菊、忘れな草など、花の名前がタイトルとしてついていた各物語は、男子禁制の百合テイストな乙女天国。生涯、女性をパートナーとして過ごした吉屋信子は、先生やお姉様への憧憬や思慕を流麗な文体で描いて、少女達の心を掴んだ。
もう一つ、花と少女で思い浮かぶのが、戦後の少女達を夢中にさせた雑誌『ジュニアそれいゆ』の編集人、中原淳一のイラストだ。私(昭和34年生まれ)くらいの世代までは、中原淳一のイラストを子どもの頃に目にしている。華奢な体に花束を抱え、しっかりした眉とあくまで大きな目の、清純そのものといった少女達。どれにもオードリー・ヘップバーンのイメージがあった。
そんな少女の横顔をスミレの花が囲んでいる極甘ロマンチックな絵が描かれた栞が、父の本棚にあったレーニン全集の中から出てきた時の驚き。共産趣味+少女趣味かよ‥‥。


とは言え、私にもいささか古臭い少女趣味の気があるので、女性の印象を時々心の中で花に喩えてみることがある。
向日葵のような‥‥クロッカスのような‥‥白い百合のような‥‥大輪の菊のような‥‥紫陽花のような‥‥木蓮のような‥‥真っ赤なガーベラのような‥‥ヒヤシンスのような‥‥
以上、順に50代、20代、30代、60代、40代、70代、30代、20代の友達や知人の女性に対して私がもっている花のイメージ。女性蔑視ではありませんよ。断固として少女趣味です。もちろんこんなことを直接言ったことはない。私に言われても相手も困るだろうし。
やんごとなき関係の相手から「あなたは、なんか向日葵のようだ」などと恥ずかしそうに言われたら悪い気はしないと思うが、それも「なにこの人。なに陳腐なこと言ってんの」と引く若い女性は多いのかもしれない。


しかし本当に伝えたい気持ちは、陳腐な台詞に乗せないと言えないものである。例えばこんな感じ。
「政夫さん‥‥私野菊の様だってどうしてですか」
「さあ、どうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって‥‥」
「僕大好きさ」
ぶはっ。いや笑っちゃいけません。明治の純朴な初恋だからこれでいいのだ。誘導尋問にも見えるが。


ちなみに40歳頃、一度だけ私を花に喩えてくれた人がいた。と言っても残念ながら相手はやんごとなき関係ではないただの知人男性で、自分のHPに書いていたところによると私は「夜桜」だった。色っぽいってことだぁねーと喜んで読んでいくと、「桜の樹の根元には死体が埋まっているのです」。
ふふん。梶井基次郎の文脈にかこつけたメタメッセージを受け取って、私は苦笑した。
今は夜桜も姥桜になり散りかけておりますがな。