高橋氏とのブコメ議論まとめ

例の首都大の学生のやった件で、この数日、id:NaokiTakahashi氏(以下、高橋氏と表記)とのブコメ議論があちこちで長引いた。
個人的には、被害者の受けた苦痛と屈辱の前には、こんなアート論議などどうでもいいものだと思っているし、この事件についてアートや芸術方面から語ること自体が(アートや芸術に対してではなく)被害者の女性達に対して失礼なものになりかねないと思っている。このことはブコメに書けなかったのでここではっきり言っておきたい。
私の基本的態度は「これをアートとして語る意味はない」。高橋氏の態度は「アートの俎上に上げてその質を論じよ」。バカ長いばかりで読む人も少ないだろうが、なにがしかあぶり出されている面もあると思うのでここにまとめておく。


それぞれの元記事。私が最初のブコメを書き込んだ順。議論の日時はかなり重なっていて同時進行的にやっていた。
Togetter - まとめ「ドブス写真集を作るその道程」→ブクマタワーその1へ
Togetter - まとめ「写真集の話のまとめ」(高橋氏のtweetまとめ)→ブクマタワーその2へ
あ・り・む・ら!!! - 消毒しましょ! →ブクマタワーその3へ
今回の首都大生たちをリンチするのは、彼らと同じ穴の狢なのではないか - 見たり聞いたりしたこと→ブクマタワーその4へ
それはアートであるか - self contexts→ブクマタワーその5へ
Togetter - まとめ「アートとしての「質」のお話」(高橋氏のtweetまとめ)→ブクマタワーその6へ


以下、ブクマタワーからの抜き書きでは、議論に関係する別の人とのやりとりの一部を入れている。発言を時系列順に並べて替えているので矢印の向きも逆さに直した。続きがあれば加える(>高橋さん 私へのコメント書く時はできればidコールもして下さい。大分経ってから質問されてるのに気づかなかったのがありました)。



■ ブクマタワーその1
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

大野:>アートとは思ってないんですよね/当事者がアートと思ってないものをなんで他人がアートだの何だの言ってるのかさっぱり。アートと犯罪は紙一重だがアートと下司野郎とは百万光年離れてるぞ。
高橋:↑大文字の「アート」じゃない、くらいの意味に読みました

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

大野:id: y_arim >アートとして成立しうる/アートとして成立する際の条件とは何か教えて頂けますか?/id: NaokiTakahashi 第三者を笑わせるのが目的だそうですが今更大文字と区別してまでこれをアートと言う意味がよくわかりません
高橋:「大文字」性に価値を認めないからです。そういうのを(とりあえず価値中立な、単なる事実としての)権威主義としか考えない俺の芸術観では、権威に認められない下司野郎の芸術だって普通に芸術です。>id: ohnosakikoさん

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

大野:id: NaokiTakahashi 大文字小文字の区別が曖昧になったのは随分前ですがそれは措いといて当の下司野郎がアートと自認してない表現をアートを言うその条件は何なのか?という事。それともすべての表現はアートという認識?
高橋:全ての表現作品はアートです。優劣はあれ。大文字小文字が無効化するってのはそういうことなので。芸術性の有無の判断を低俗表現の門前払いに利用することを許す気はまったくない、ということです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

高橋:とりあえずこれを。今回のこの件に関する僕の意見をまとめておきましたのでhttp://togetter.com/li/29945/↓id: ohnosakikoそれが結論です。「高尚」概念の空洞化と解体が望み
yellowbell:id: angmarさん これをアートとして評価する以上、先鋭化する事で名を成したい勘違いアーティストたちは往来で人を中傷し続けるでしょう。被害者を作る行為を評価する芸術なら、もはや芸術に自由はないと私は思います。
大野:id: NaokiTakahashi 低俗表現と物議を醸してもアートであったものはありますよ。だから今回のアートの条件を聞いているのに、「すべての表現はアート」なら態々それをアートだ芸術だと言う意味もないじゃないですか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

高橋:id: ohnosakikoその通りだねえ。じゃあ芸術って言葉をなくそうぜ。俺はそれでも全然困らない。ヒエラルキーを解体して彼らを俺らと(倫理的・社会的・法的に)同じ土俵に引きずり込めればそれでいいんで。
大野:id: NaokiTakahashi では何かを指して「芸術」とか「アート」と言うのをやめればw/芸術の「高尚」概念の空洞化と解体が近代以降の歴史ですが/「高尚」があるからエロゲの「表現の自由」が抑圧されるわけではないですよね

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

white_rose:やっぱり「表現の自由」の話になるのか。うーん・・・・・・。/やっぱ実は社会的にも擁護したいんじゃないの?(それか、どうなろうと全くどうでもいいのかも)
angmar:id: yellowbell 「評価する」の意味合いにも拠ると思いますが、あくまで「アート」という俎上に乗せた上でその質を低いと論じることは、この手のアートを繰り返そうとする意向に対するブレーキにはなると思います。
高橋:>「高尚」があるからエロゲの「表現の自由」が抑圧される<んだよ。わいせつ関連法で恣意的に一部作品を外す口実。ただ「芸術」という語を捨ててもインチキを温存しちまうだけだから、まず概念を破壊してからでないと

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

高橋:id: white_rose 表現の自由との絡み以外で芸術にあまり興味ないんだよね。俺はシナリオに人生賭けてるのであって芸術に賭けているのではないから/社会的な議論以前にこれ訴えられたら負けるでしょ。外野の出る幕がない。
大野:id: angmar 本人が「アートとは思ってない」と言ってるので意味ないんじゃ/どうアートとしての「質が低い」か(「覚悟がない」「最後までやってない」など"質"以前の指摘以外で)何か論じている人がいるなら教えて下さい
angmar:↑いや本人たちがアートじゃないと言ってるからアートではないってのも一つの理路として認めますよ?質の低さの指摘はアートの俎上に上げて語る人たちがやるべきでしょう。正直、こちらに振られても。>大野さん

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

高橋:id: white_rose だいぶ前に俺が激怒したのとループしてるなあ。表現の自由は精神的自由。俺にとってこの仕事は精神の問題/質を高める=もっと酷いインパクトのある作品として完成させるということ、気分のいい話ではないね
white_rose:高橋さんは仕事の為に「表現の自由」を求めてるのか個人の考えもそうなのか時々わからなくなる。正直仕事の話されるとポジショントークにしか見えなくて萎えるし話半分にしか聞けない。もちろん仕事頑張ってる人は
大野:id: angmar 貴方に語れとは言ってないですが/この手の奴はアートとしての質などどうでもよくただゲスな嗤いを他人と共有したいだけだから無駄。エロゲの「表現の自由」の為に詐欺侮辱行為を芸術と言ったのなら尚更無駄
angmar:↑なるほど。私はそもそもyellowbellさんの御指摘への返答しか意識してなかったのでそういう意味では具体例はないです/横からでアレですけどこの流れでの高橋氏は言辞の中身はともかく態度としてヒートしすぎじゃ

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29756

高橋:id: angmar ここでohnoさんがここでやっている切断操作が、こーしょーなサドの文学作品から俺達を切り離す切断操作に思えてしょうがないんですよね。芸術が何様よと/http://togetter.com/li/30326
angmar:↑なので論旨を否定するわけじゃないですよ。ただ大野さんへの対し方といい、もう少し話の進め方は別にあるんじゃないかという気がします。
大野:↑↑違うよーw そんなつまんないこと言ってんじゃないよ。あの例で芸術とか言い出すのはそっちにとって逆効果ではってことだよ(元アーティスト(笑)なのでそう見られるのは仕方ないけど私は芸術批判している側


■ ブクマタワーその2
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

大野:低俗表現だって芸術の中にある。一つの表現を倫理的な問題とは別に芸術と看做して擁護する立場をとるなら、なぜそれを芸術だと言えるのか言語化できなきゃ意味がない。「最後まで筋を通す」なんてのはそれ以前の問題
高橋:id: ohnosakiko 全ての表現作品がアートである、と結論するのであればきわめて単純明快なアートの定義であり、「アートシーンが認めるものがアート」としかいえないあいまいな議論よりもよほど「言語化」できていますがw

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

高橋:やれやれ。ブコメは本文をちゃんと読んでから付けて欲しいものだ……少し追加しとく。これでまだ俺が件の擁護しているというのなら、これ以上説明のしようがないな↑追加した。「芸術性」とかくだらねえって話してる
大野:id: NaokiTakahashi「アートシーンが認めるものがアート」は結果論。そのくらい底が抜けてる。従って「すべての表現が芸術」はトートロジー。無意味化した芸術の名を持ち出す必然性はないのに、態々言うのが不思議。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

大野:id: NaokiTakahashi「 擁護」は筆の滑り。取り消します/芸術の俎上に乗せた上で批判せよ? そこで「芸術など実態としても概念としても終わった。だからこれも芸術じゃない。すべて単に表現として等価」と何故言わないのか
高橋:↑遠回しには言ってるし、専門家からムカツかれても当然かなあとは思ってます。「芸術」概念に使い道があるとしたらこういうアイロニーとしてしかないんじゃねえの? と低俗表現のプロとしてドヤ顔してるわけで。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

大野:id: NaokiTakahashi アイロニーとしては相当レベルが低いですね、としか。そもそも本人達がアート作品として提示してないものを、外野がいくらアートだと言っても意味がないですよ。
高橋:彼らが自作を語る切り口はソーシャルなアート作品としてのもの。アートじゃないってのはChim↑Pomみたいな覚悟は決めてませんという逃げ口上の文脈でしょ。それを認めるのは彼らに、そしてアートに対して甘いのでは?

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

高橋:俺にとってはこれは、「へたくそなアート、しかも途中で逃げたから未完成」という作品なんだよね。へたくそさを指摘してもアートであることの否定にはならないわけで。
大野:id: NaokiTakahashi 「すべての表現はアート」なら本人が自作をどう語ろうが「覚悟」があろうがなかろうが関係ないじゃないですか。Chim↑Pomがこの話にどう関係するのですか?「それを認めるのは」の「それ」って何ですか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

高橋:アートに上手い下手はある。これがどう下手か、パフォーマンスとして不徹底かは散々twitterで書いたけど必要ならまとめる/それ=明らかにアートな売り文句で公開してるものを「アートじゃない」とする言い逃れ
大野:上手い下手の話はこれに関してどうでもいいです。それ以下のレベルの問題と思っているし「すべての表現=アート」という認識はないので/Chim↑Pom、美術館企画なのにそんなこと言ってました?謝ったのは知ってるけど

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

高橋:俺の言う芸術的価値=上手い下手なので、それ以外の話なんか知りません/いやこの言い逃れは今回の彼らのものです。彼らのいう「アートじゃない」=「Chim↑Pomみたいに正面から批判と向き合わない」と解釈しましたが。
大野:高橋氏の芸術評価軸=技術的な巧拙と批判を受ける覚悟の有無、と理解。そうなると他者の反応を期待して提出されたもの「すべてがアート」になるわなぁ。料理もスポーツも‥‥ブログもそうかwえらいことになったわ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/29945

高橋:「覚悟」が必要になるのは彼らがやってるのが大学のオベンキョーの一環、現代アートの文脈に波乗りする作品だから/かつては映画を芸術と呼ぶものなどいなかった/で、ohnosakikoさんは「上手」だったの?
大野:オベンキョーでも現代アートの文脈でもない表現に「覚悟」は必要ないとは思わない/じゃそのうちエロゲも芸術と呼ばれるでしょう。頑張って/私が「波乗り上手」だったかどうかはここでは関係ない話じゃないですか?


■ ブクマタワーその3
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:高橋氏曰く「すべての表現作品はアート」http://b.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20100618#bookmark-22384407 であれば態々芸術の名で語る必然性は全くない。なのに芸術とかアートとか言ってるのは「高尚芸術」へのつまらぬルサンチマン
simplemind:話が逆。高橋さんはむしろ「アートの特権性」を剥奪するために「下劣な人権侵害」であるアレをあえて「アート」と呼んでるように見える。アートもサブカルもエロゲも同じだと言いたいだけでは

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:id: simplemind 「アイロニー」らしいよ。それ自体、芸術の特権性を認めてることになるじゃないですかwそんなこと100年前にやってるよ、それでも未だお芸術として残っててエロゲと区別されてるのは何故かを考えろって話だよ
高橋:↑実際に社会的に奴らの特権性は残ってるだろうよw芸術にいくら予算が割かれてると思ってんだよwその辺仕分けてからならチャラにも出来るけどな。俺はエロゲ制作に国からの援助もらったことないぞ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:id: NaokiTakahashi 未だアートと非アートが峻別されるのは何故かをつきつめないでこっちにも金くれって言ってるだけじゃダメですよ。まあでも全ての表現=芸術なら高橋さんもアーティスト名乗ればいいんじゃないですか?
高橋:文化的な階級格差の維持のためでしょw<なぜ峻別されるか/ポルノアーティスト名乗ってますw/id: simplemind アートなんていまや上流階級向けのサブカルチャーじゃん。サブカルとアートを区別しないよ俺は。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:id: NaokiTakahashi そういうこと書くからルサンチと言われる。制度と市場ができあがっててそれで食ってる人が沢山いるから今更やめられないの/ポルノつけるとこが「メイキャップアーティスト」みたいで腰が引けてますねw
高橋:>制度と市場ができあがっててそれで食ってる人が沢山いるから<守ろう既得権?俺も散々言われたけどさ著作権議論や規制議論で。アートを国が助成したっていいとは思うが、開き直られてもね/↑皮肉のつもりだったのだが

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:id: NaokiTakahashi そういうアートのあり方を私は批判してるし、その帰結として20年やったアーティストを廃業した。http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20030620/1196002956 だから態々言明される「アート」は常にうさん臭い目で見ている。
高橋:2000年以上前から劇作はあったし、人類ある限り有り続けるだろうし、そこに貴方が人生を賭けた「アート」の死なんか影響するとも思えないので、俺には関係ない話ですが、貴方の落とし前の付け方は分かりました。
inukorori:なかなか興味深い。「なぜアートと呼ぶのかわからない」と「なぜアートと呼んじゃ駄目なの」の対立? 大野さんのアートの定義ってなんなんでしょう。過去ログ読んでみようかしら

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:id: inukorori アート(現代美術)は「アートと呼ばれる領域不確定な何か」であって実質定義不能。でも何かをアートと名指すのは恣意的行為。だから今回その理由を訊いてました。(『アーティスト症候群』もよろしく‥‥)
高橋:「なんか」は言葉の選び方が酷かったかな……と反省。ごめんなさい/あとまあ、僕がヒエラルキーを攪乱する意図から恣意的に「芸術」という語を使ってるのは、これは最初から言ってたような……。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100618/p1

大野:あらゆる表現を芸術だと名指すことで「撹乱」できるなどという考えは甘い。そんなことやっても芸術の権威は無傷。歴史が証明している。芸術を無意味化したいなら芸術など存在してないかのように振る舞うべき。


■ ブクマタワーその4
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1180884.html

大野:ブコメが興味深い/しかしいつから芸術は制裁を受ける覚悟さえすれば詐欺や侮辱をできることになったの?アートが定義不能なのをいいことに「何でもアート」という脳がお花畑の謳い文句に自堕落に乗ってるだけじゃん
高橋:↑何でもアートというお花畑な謳い文句で第三世界サブカルチャーから剽窃・搾取してるアート人に言ってやれよそういうのはw /で、俺は詐欺も侮辱も擁護した覚えはないが? 誤解を認めて撤回したんじゃなかったの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1180884.html

大野:id: NaokiTakahashi 貴方が詐欺侮辱を擁護してるとは言ってない。あれをアートと看做しやるなら破滅する覚悟でやれということですよね。覚悟があるなら「すべての表現はアート」なんですよね。無論それが詐欺侮辱行為でも。
高橋:この作品に覚悟がなぜ必要かはhttp://togetter.com/li/30326 「宴のあと」や「石に泳ぐ魚」に人権侵害が認められたとして、それはこれらの作品の芸術的価値とは独立でしょ。芸術的価値判断のゲタを裁判所に預けていいの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1180884.html

大野:id: NaokiTakahashi 1.芸術作品として発表→2.価値を評価→3.人権侵害を指摘されるの順であって1、2がなければ3でしかないのでは?/あんなものを芸術だと言ったところでエロゲの「表現の自由」なんか手に入りませんよ
高橋:1,2と3は独立。1.これは彼らの学業の一環で、アート作品とみるしかないのでは?(梅田氏の言うとおり匿名ゲリラでアングラやる手もあったはず) 2.俺は価値を評価しました/貴方はこの議論から何を得ようとしているんで?

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1180884.html

大野:id: NaokiTakahashi ふーん。評価は人それぞれですけど誰が評価したかによって価値は決まりますね/人がアートだ芸術だと言っているものの正体を知りたい。なぜそう言うのかを知りたい//↓現実はそうじゃないの?って話だよ
inukorori:あ、あれ? げーじゅつの価値が権威であることを肯定してる発言に見えますがそういう読み方でいいの?//「現実」は確かにそうだと思いますけどここでそれを後輩に言う意味がどこにあるのかなって。
高橋:あれ、結局ただの権威主義なの?w/いや、現実はその通りですね。で、俺は権威を皮肉ったり利用してるだけなんだけど/アートが死のうが生きようが、個別に感銘を与えてくれる作品はある。大事なのはそれだけっしょ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1180884.html

大野:id: inukorori 貴方の評価軸を世間に受け入れさせたかったらシナリオライターとして村上隆と肩を並べるくらいの「アーティスト」を目指すしかないですよ現状ではという激励。それが厭ならネットの隅で御託並べて終わり。
高橋:個人が傑作を書けるかどうかと、アートというカテゴリの行き詰まりは関係ない。アートが生きようが死のうが、書きたい奴は書き続ければいい。俺は現代アートの文脈波乗りに参加したいわけではないですが?

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1180884.html

大野:id: NaokiTakahashi じゃあ他人のやってることを態々アートだの芸術だの言う必要性ないじゃん。自分が傑作作りゃいいことじゃん/アートだと言ったらアート文脈で把握されるのは避けられないよ好むと好まざるとに関わらず。
高橋:それで権威を皮肉れたり、誰かがカッカしたりするなら、それなりに効果のある物言いなのかなとは思います<芸術話/あんまり批評シーンでどう扱われるかに興味ないんですよねえ。そりゃ人気者にはなりたいですが。


■ ブクマタワーその5(前半はharutabe氏とのやりとり)
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/katzchang/20100618

大野:これは「アートは主観で決めていいが最終的には多数決で決まる」と言ってるだけ。どこが「論理的」?アートは定義不能と言えば済む。私のブコメは「だからこそソレをアートだとした理由が個別に問われる」ってこと。
harutabe:↑真にアートであるかは棺を蓋いて定まるが、私に霊感を齎したこれはアートである可能性がある、という言説なら筋は通ってると思います。まあ、私のは「ちんこまんこで何が表現の自由だ」的言説に対する私怨ですが。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/katzchang/20100618

大野:id: harutabe あくまで「私にとって」だから主観の問題になるが「それがアートである可能性を論理的に説明せよ」のアートは客観性を前提しているのでは?/芸術に依拠せずちんこまんこの表現の自由を言うべきだと思います
harutabe:↑そうですね。芸術でも風流でも何でもいいですが、「俺にわかるように客観的に説明してよ」に「お前さんにはわかるめえが」と返すの自体はあながち暴論でもないと思います。(「芸術だから○○」と展開させない限り)

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/katzchang/20100618

大野:id: harutabe だとしても訊かれたのなら、個別の理由説明は試みるべきかと/元記事で問われていた人によれば「お前さんには〜」ではなく「表現作品はすべてアート」で、これを「アイロニー」として言っているそうですが。
harutabe:↑その「べき」はPCに悖る表現を断罪しない理由を説明しろ、と言われてるようでキツいです。/「ひどいからアートでない」に対する「すべてアート」が皮肉たりうるのは彼の「芸術様を有難がるアホども」目線からかと。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/katzchang/20100618

大野:id: harutabe 当事者は倫理と芸術は別としているので別に説明はキツくないのでは/「芸術だ」と口火を切っておいて「なんで?」と問われると「芸術様を有り難がるアホども」を勝手に拵えて藁人形叩きしてるようにしか。
harutabe:id: ohnosakiko ああなるほど、それは確かに仰るとおりですね。芸術と倫理が別ならば、ある低俗表現が芸術たりうる理由を語るのに自身の良心の所在を開陳する必要は無いのか。私もそのあたり混乱してるようです。
高橋:では聞きますが、なんで芸術たり得ないのかの説明をしましたか? しないから切断操作でしかない。あ、「新味がない」は却下w 権威の認める現役作家の全ての作品に新味があるとは言えんでしょ。(メタに続く)

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/katzchang/20100618

高橋:過去の名作がそれぞれ個性的で斬新なのは、歴史に残るものはそれだけ優れているというただの実力と淘汰の論理。芸術の死がどうとかの理念を論じるより、まず個々の作品に100年越えて残る力があるかどうかの問題だ
大野:現実の女性の容貌と自意識を嘲笑するだけが目的の、皆がもってるゲスな根性をそのまま露出したものは芸術たりえないってどっかで書いたはずですがー(一階下の答)/↑それとこれとどういう関係‥‥


■ ブクマタワーその6
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/30326

大野:シナリオライターとして「批評」したいだけか。他者の容貌と自意識を嘲笑することだけを目的としたものの「質」を論じる意味などない。破滅覚悟なら詐欺侮辱してもいいという価値観は底の抜けた芸術の中にもない。
高橋:俺は格上の(元)アーティストに対して失礼だった。大先輩を挑発しすぎたのは謝ります。ごめんなさい。ただ、どうアートとしての「質が低い」か〜教えて下さい→「質」を論じる意味などない はちょっと

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/30326

大野:id: NaokiTakahashi 他者の容貌と自意識を嘲笑するなど誰でもゲスな心の中でやってる事をそのままやってどうする、どこにアートとしての質=価値観転換の契機がある?って話(技術をいくら向上させても質には結び付かない)
高橋:価値観転換の契機を与える、などという大それた作品が今権威の認める芸術家たちが作り続けている「芸術」作品の中にどれだけあるというんです? 貴方の作っていた作品はそうだったのですか?/技術こそが質です。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/30326

大野:id: NaokiTakahashi 実現できてなくてもそれを目指してたのが近代以降のアート。でなかったらアートの存在理由ない。あ、ないってことを前提に話してた? じゃそれアートと言わなくていい。アートは死んだってことで。
高橋:その死んだアートの亡霊がいまだに権威を持ち、税金が投入され、階級格差の再生産に寄与し、裁判所は多少はひるむ。とりあえず芸術を巻き込むことによる権力の威嚇効果は価値はありますな。俺からすればただそれだけ

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/30326

大野:id: NaokiTakahashi なんだ結局芸術の権威利用したいだけかww そういうことをやればやるほど「上下関係」は固定化されますよ。実践はそんなオールドスタイルじゃダメ。http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100619#bookmark-22429569
高橋:他に「芸術」などという概念になんの価値があるんで?w/でまあ、貴方が無駄だと考えてるのは分かりました。別にそれが仕事の政治屋や運動家じゃないんで、成功しなきゃ困るというものでもないのですが。

● 個人的まとめと感想
「芸術」「アート」とは、単にある領域を指し示す言葉に過ぎない。アートの語源はテクネ、技術という意味である。しかし現在、特に芸術と断りのないものを指して「これは芸術だ」「これはアートだ」と言った場合、そこにはほぼ必ずプラスの価値判断が読み込まれる。なぜなら世間には「芸術、アート=良いもの」という通念があるからだ。
つまり、「これは芸術だ」「これはアートだ」は、「これには価値がある」「これは素晴らしいものだ」と言っているのに等しい。本人がどういう意図で言っていようと、大勢の人にそう受け取られる可能性がある。まずその言葉の効果を自覚する必要があると思う。今回のような場合は特に。


現代美術(文脈にもよるが、アートと言った場合現代美術を指すことが多い)は定義不能なほどその領域、スタイルが拡大拡散している。その一端を見て「こんなものもアートとして認められているのか」と思えば、「すべての表現作品はアートだ」と言いたくなるのはわかる。
この言葉は、「従来のアートというジャンルは形骸化し、アート固有の意味や価値は既に無い」ということを意味している。そうであれば、わざわざ「これはアートだ」と言明したりそれを「アートとして」批評することも、意味を持たないことになる。


高橋氏は、「今や何でもアートでしょ。じゃこれもそうでしょ。うひゃひゃ、アートってロクでもないもんだよな、俺らのしてることと五十歩百歩じゃないか」と言いたいのかもしれない。
しかしそれがアートへの「皮肉」になっているとも権威の「利用」になっているとも、私にはとても思えない。言ってることがヌルいという印象しかない。


高橋氏は、彼らの「アートではない」という逃げ口上を追認しアートの俎上に上げて批評しないのは彼らにもアートにも甘い、と私を批判したが、アートとして厳しく批評することこそもっとも彼らを甘やかす行為であり、アートを甘く見ていると思う。
アーティストとしての自覚のない者にアートとしての批評など響くわけがないし、第一、自分では「アートとは思わない」が「人がそう思うのはいい」といった腰の引けた者にアドバイスを送ってやる必要はない。アートはそこまで親切なものではない。
あれに相応しい反応はアートとしては無視することである。制作者にとって、無視されることほど辛く身に沁みるものはないだろうから。


「すべての表現作品はアート」であり、またあくまでも「倫理的問題と芸術的価値は別」だと言うなら、バカ大学生の女性への詐欺・侮辱行為について「作品を貫く思想に欠陥」だの「インタビュアーの演技力がない」だの、「胸糞悪い」アートだが俺は批評できるぜと言わんばかりの御託を並べてないで、どんなアート作品よりも世界にインパクトを与えた01.09.11テロを芸術として論じればいい。
テロは重大な犯罪であるがゆえに当事者達の身の破滅を込みで敢行される示威行動である。スケールも覚悟も罪状の重さも違いすぎるが、嫌がらせをして多くの人の反応を見ようとする点では今回と同じだ。こっそり計画され街中で実行されインパクトを狙っている点も、昔「ハプニング」と言われた現代美術のパフォーマンスとそっくりだ(実際、作曲家のシュトックハウゼンは「あれはアートの最大の作品」と言って ––– オフレコにしてくれとの本人の依頼を記者が無視し公にしてしまった ––– 総スカンを食らい演奏会が中止された)。
そういうものをアートの俎上に乗せ批評する「覚悟」もなしに、「すべての表現作品はアート」「倫理的問題と芸術的価値は別」などと軽々しく言うべきではない。


因に私個人は、芸術作品とは事実上、制度(権威)か市場(社会)がそう認めたもの、つまり「結果」でしかなく、また、近代に成立した個人の人権を拠り所とする倫理は、やはり近代に成立した個人の自由を求める芸術の上位にあって芸術を裁くものだと思っている。その倫理が更に上位の倫理によって裁かれることが稀にあるとしても。



● 関連記事
Togetter - まとめ「ohnosakikoさんにレス、9.11と芸術の話とか」
大野さんとの議論の落ち穂拾い


● 参考(当ブログ内アート関連記事より抜粋)
世界の一つの音 (03.3.20)
偽装からの撤退 - アーティストをやめること (03.6.20)
デュシャンの『泉』についての会田誠の発言 (07.4.12)
ラッセンとは何の恥部だったのか (08.4.21)
芸術、あるいは「人の感性を批評するな」について(tadashiさんへのお返事) (08.4.24)
僕の試み (08.5.17)