アコーディオンとランドセル

ナルセ先生が鼓笛隊のメンバーを募集していると知って、私の胸は踊った。
私、当時小学4年生。昭和40年代の話です。


私の行っていた小学校にその頃鼓笛隊はなかったが、何かのパレードでマーチングバンドの演奏を見たことはあった。先頭で指揮棒を上げ下ろししている人、鉄琴の人、派手なラッパ隊、大小の太鼓の人、縦笛、横笛‥‥。
その中で私の目が釘付けだったのは、アコーディオンだ。右手で鍵盤を弾きながら、左手で華麗に優雅に蛇腹を操る。カッコいいなぁ。やってみたいなぁ。


職員室のナルセ先生のところに行って、「私、アコーディオンやりたいです」と言った。小さい頃からピアノを習っていたので、アコーディオンもたぶんすぐできるんじゃないかと思った。「ああ君、大野さんのお姉ちゃんの方か」とナルセ先生は言った。
ナルセ先生は妹の担任の先生で、歳はたぶん30少し前くらいだったろうか、痩せぎす長身でやや猫背で長めの髪の毛をバサリとオールバックにしていて、いつもくたびれたポロシャツを着ていた。いかにもオンガクカ、というかゲイジツカみたいな感じだけど、ちょっととっきにくそう‥‥と私は思っていた。


一学期も終わりに近づいたある日、24、5人の生徒が先生の元に集まって、鼓笛隊が結成された。これから10月の運動会に向けて練習だ。
運動会の入場行進は校内放送でよく「巨人の星」がかかっていた。そう、「巨人の星」大人気の時代だったのだ。私は野球にはとんと興味がなかったが、テレビ放映していたアニメは妹と一緒によく見ていた。当時の小学生は誰でも、「ちゃーん、ちゃらちゃんちゃちゃーん」という仰々しいイントロで始まるあの結構暑苦しい主題歌の一番は、全部ソラで歌えたはずだ。
鼓笛隊でその「巨人の星」をやるとナルセ先生は言った。みんな「わぁー」と手を叩いた。とは言え、トランペットと小太鼓はまったく初心者で、先生の猛特訓を受けることになった。


アコーディオンは私を含めて三人。そのうち一人がすぐ辞めて、二人になった。学校には子供向きの小さいアコーディオンがあり、私たちは先生に弾き方を教わった。鍵盤はともかくとして、思いのほか難しかったのが蛇腹の操作。油断してると蛇腹がだらしなく開きっぱなしになってしまう。開いた蛇腹を縮めるのに案外力がいる。
次いで和音を出すボタン操作も教わった。♪ブンチャ、ブンチャ、左腕が筋肉痛になった。
先生は自分のアコーディオンを持っていた。そのボタンのいっぱい付いた大人用の本格的なアコーディオンを軽々と担ぎ、二人の小学生の前で先生は、まるで一万人の聴衆に聴かせるかのように目を瞑り情熱的なアクションをつけながら、難しそうなタンゴの曲を弾いてくれた。子供の耳にも、素人離れした上手さだった。
「すごーい」と感心している私たちに、先生は「ま、こんなもんだ」と笑って、バサバサの頭をごしごし掻いた。


夏休みの間にどうしてもアコーディオンが上手になりたかった。もう一人の子は、叔父さんがアコーディオンを持っているので借りて練習するとか言っていたが、私にそんな親戚はいない。
「家で練習したいので、学校のアコーディオン借りたいんですけど」と頼んでみた。ナルセ先生は「うーん。学校のは貸し出しできんのだなぁ」とちょっと額に指を当てて考えていたが、「じゃ、僕のを貸すわ」と言った。
そういうわけで一学期の終業式の後、私はナルセ先生から大人のアコーディオンを借り受けた。「おうちの人に電話して迎えに来てもらうか」「いいです。だいじょぶです」。いつものアコーディオンよりは重いけど、担いで帰れないことはない。


学校から家までは20分くらいだった。途中までは友達がランドセルを持ってくれた。その後は、後ろにランドセル、前にアコーディオンという格好で歩いた。
アコーディオンだけ担いでいる時は、上半身反り気味にしてないと重さで前のめりになりがちだったが、ランドセルを背負ったらなんとなくバランスが取れて体勢が安定した。却ってラクチンかもしれない。ちょっとユラユラするけど。
そうだ、「巨人の星」練習しながら帰ろう。まだ歩きながら弾いたことないし。


♪ブンチャ、ブンチャ、ブンチャッチャ‥‥。夏の昼下がりの静かな住宅街。ランドセルを背負い、前に大きなアコーディオンを担いだ変な小学生女子を見咎める人影もない。
カンカン照りだった。だんだんと、ランドセルとアコーディオンのベルトの重なりがずっしり肩に重く食い込んできた。暑い。重い。汗がポトポトと先生のアコーディオンの上に落ちる。なぜか鼻水も落ちる。「巨人の星」どころじゃなくなってきた。
神社の階段で一休みし、いつもの二倍近く時間をかけて家に辿りついた。私の姿を見て母は仰天し笑い出した。


夏休み中は毎日練習し、休みの最後の日、母と共に父の車に乗って先生宅までアコーディオンを返しに行った。独身の先生ちは、借家のようなこじんまりした家だった。
鴨居に頭をぶつけないように少し首を竦めて出てきたナルセ先生は、母が長々と礼を述べながら菓子折りを玄関の板の間に置くと、「いやいや、どうもこれは」と言って頭をごしごし掻いた。


で、運動会の入場行進は晴れ晴れしい気持ちで演奏したはずなのだが、そういう肝心のことは全然覚えてない。
妙に鮮明に記憶に残っているのは、夏の暑い昼下がり、ランドセルとアコーディオンに前後を挟まれてユラユラしながら歩いたこと。神社の石畳の上で、先生のアコーディオンがピカピカ光っていたこと。
あれから40年経ち、あの頃の先生より私ははるかに歳を取った。
ナルセ先生、まだアコーディオン弾いているかな。