もしも夫がゲイだったら。

もうすぐ結婚するホモだけど質問ある?:2chのむこうがわ…


以下、御本人の発言抜粋。

人生何が正解なのかわからん
    嘘で固めて結婚するのも事実
    嘘をつくことはいけない
    なら俺の結婚はいけない
    でも彼女は好き
    でも彼女を本当に好きなのかわからん

   中学校で自分がホモなんだと気付いた
    俺はホモな自分が死ぬほど嫌だった
    自分を否定しまくった


    普通じゃなければいけないって価値観しかなかった
    他のみんながホモを気持ち悪がる感覚そのままで自分がホモだと気付いた
    でもどんなに変えたくてもホモな自分は変わらない

    彼女に会って彼女の前向きさに影響を受けた
    彼女のことを尊敬してるし離れたくない
    自分の気持ちに正直に生きる彼女が好きだ
    彼女に影響を受けホモな自分が受け入れられた
    彼女と一緒に人生を送りたい
    でも普通の好きとは違うのかもしれない
    彼女に嘘をつかなければ一緒に人生を送れない
    俺にとって何が正しいのかわからない

    親父がホモだとやっぱり子供は可哀相だよなあ
    でも産まない選択は彼女や親が可哀相なんだよな
    なりゆきで子供が出来たら産んでもらうよ
    ホモなのは隠し通して人生送る
    しょうがないじゃん

ホモ受け入れて嘘をあまりつかず、ちゃんとホモの世界で生きてる人は偉いと思うよ
    ネットで見る限り男同士長年付き合ってる人達もいるみたいだし今はネットがあるから出会いも多いと思う
    俺はホモを受け入れるタイミングが遅かったからなりゆきで女と結婚するけど、もっと早く受け入れていたらホモの世界に入っていたと思う

敬愛する彼女のお陰で思春期の自己否定から抜け出せたにも関わらず、異性愛者を装って結婚するこの人の心情の吐露からは、いかにこの社会がヘテロセクシズムに覆われており、非ヘテロに抑圧として働いているかを思い知らされるようだ。
そんな中で、長い間もてなかった自己肯定感を取り戻すきっかけになった相手を、一生失いたくないという気持ちも何となくわかる気がする。どんな秘密をもって結婚に臨もうが、その人が幸せになりたいと思って選択することに口を挟むことは、基本的には他人にはできない。
けれども、もしも相手が真実を知ってしまったら、どれだけ衝撃を受けるだろうとも思わないではいられない。特に問題もなく互いに信頼し合い普通に性生活を送っていた夫が、何年かあるいは何十年かしてゲイだとわかったら。
私だったらどうするだろう。


ショックはショックに違いない。こんなはずじゃなかったと。同性愛者であることより、ずっとそれが隠されていたこと、自分が長い間気づかなかったことの方がショックだと思う。
でもそうまでして私と結婚したかったのかと考えれば、逆に嬉しいかもしれない。そのために夫は一人でひっそり苦しんできたんだろうし、随分努力してきたんだろうなと思えば、単純に怒る気にはなれないだろう。
長い結婚、家庭生活の継続においては、性愛感情よりも性を超えた敬愛感情や親密な共生感情の方が重要になってくる。それがこれからも維持されていくのなら、性的指向の喰い違いだけに拘って関係を清算してしまう必要はないという考え方もできる。


でも夫が、これからはゲイとして生きたい、家を出て同性の恋人と暮らすと言ったら?(この人は、万一相手にバレた時は「ホモの世界」に行こうと思っているようだ)。それを私はすんなり受け入れられるだろうか。
こういうことは、本当に想像が難しい。



性的指向は同性愛だが異性とセックスできないというわけではないので、ヘテロを装って結婚し子供を作って「普通」の家庭生活を営み続ける。そういうゲイの人は、今よりジェンダー規範の厳しかった頃は、かなり多かったと思われる。
そのうちのどのくらいの割合の人が、最後までヘテロを通せたのかは知らない。家族に知れて、あるいはついにカミングアウトして、家庭を捨てた人もいただろう。
エデンより彼方に』(2002、トッド・ヘインズ監督)は、ヘテロを通せなかったがゆえに引き起こされた家庭崩壊の物語、『メゾン・ド・ヒミコ』(2005、犬童一心監督)は、家を出たゲイと元の家族との微妙な関係を描いたものである。(以下、ネタばれあり)


エデンより彼方に [DVD]

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50年代アメリカ東部のブルジョワ夫婦の悲劇が往年のメロドラマの形式を借りて描かれた『エデンより彼方に』では、夫フランク(デニス・クエイド)が男と愛し合っている現場を見てショックを受けた妻キャシー(ジュリアン・ムーア)が、夫から懇々と苦しい胸のうちを告げられ、なんとか彼を支えようとするも気持ちは徐々に通じ合わなくなり、フランクはついに恋人を作って家を出る。
夫は自分が無意識の言動で妻を傷つけていることよりも自分の苦しみの方にかかりきりであり、夫から告白を受けた良妻賢母の妻は自分が至らなかったのかと強く思い悩む。現在の生活を手放したくない夫は同性愛指向を押さえようと努める(当時、同性愛についての知識を啓蒙するホモファイル運動が都市部では行われていたが、一般にはまだ「治療」できるものと思われていたようだ)が、その努力は妻の「献身」にも関わらず無駄に終わるのだ。*1


エリートの優しい夫、素敵な家、可愛い子供達という絵に描いたような「女の幸せ」に何の疑いも抱いていなかったセレブ主婦に訪れた、楽園=エデンの喪失。ジェンダー規範の厳しさに加えて、今よりも同性愛についての知識が行き渡っていなかった時代だけに、彼女の苦悩は痛ましい。



メゾン・ド・ヒミコ 通常版 [DVD]

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メゾン・ド・ヒミコ』に登場するのは、結婚して子供をもうけた後に家を出、ゲイバー「卑弥呼」の人気マダムになり、今は自分の作った小さなゲイの老人ホームで若い愛人、春彦(オダギリジョー)に見守られながら癌で死にかけている父親(田中泯)である。娘の沙織(柴崎コウ)は幼い頃から母子家庭で、苦労した母の死を看取り、家族を捨てた父に恨みを抱いている。
借金を抱えている沙織は、春彦に要請されるまま老人ホームにバイトに来るが、父との間にはぎくしゃくした冷たい空気が漂う。最初は打ち解けられなかったホームのゲイ達と交流しつつ徐々に同性愛者への偏見を取り除いていく中で、母が父に会いに「卑弥呼」に通っていたことを沙織は知る。


ゲイのホームに、「ルビイ」と呼ばれるMtFの老人がいる。この人も若い時にがんばって結婚し子供を作ったのだが、どこかの時点で家庭を捨ててしまっている。息子は成長し結婚して子供がいることを死んだ妻から聞いたと嬉しそうに語っていたルビイが脳卒中で倒れ、ホームでは介護できないので家族を探し出し、真実は知らせずに引き取ってもらうことになる。
性転換手術を受けて女になっているとは気づかず、言葉の喋れなくなった年老いた父を連れて帰る息子夫婦。沙織は「あの家族がこれからどんなに苦しむと思ってるの?」「本当に虫酸が走るよ、あんたたちホモのエゴって!」と、春彦達に怒りをぶつける。
沙織の中では長らく、ゲイの父は家族を捨てた加害者、自分は被害者だった。その遣る瀬ない感情が、この台詞に滲み出ている。しかしヘテロセクシズムに覆われたこの社会で、父は自分の知らないさまざまな辛い思いを味わってきただろうということも、既にホームに馴染み彼らゲイへの社会の差別を目の当たりにしてきた沙織は感じている。
ゲイの父親をもった苦しみと、ゲイ差別への怒り。2つの感情に引き裂かれた沙織がホームを飛び出したお盆の夜に、父は息を引き取る。


沙織の母は若い頃の写真でしか出てこないのだが、沙織はまるで『エデンより彼方に』のキャシーの苦悩、つまり夫に「女」とは看做されなくなった妻(母)の苦悩に同化したまま成長した娘に見える。パパに捨てられてママはものすごく苦しんだんだ‥‥沙織はそう思っていたが、夫がゲイとわかった後も妻は夫を愛していたし、夫は妻を愛しく思っていた。たぶん性を超えたところで。
妻がどのようにして夫の嘘を許し、苦しみを理解したのか、夫が家を出るまでにどれだけ悩んだのか。別れた後にそれぞれがどんな山を乗り越えていったのかは、二人以外にはたぶんわからないのだ。




そんな話を夫にしてみたら、「俺はその、ゲイの夫をもった奥さんと同じだな」と言い出した。
「なんで?」「結婚してから、あっれ〜?こんなはずじゃなかったと思ったから」。
それはこっちも同じですけど。

*1:夫はそれまでの「理想的な夫」の立場を捨て恋人との生活を得るが、キャシーは孤独の中で癒しを求めて黒人の庭師レイモンドと交流したことにより、人種差別の激しい共同体の中でバッシングに遭い孤立を深めていく。ゲイ差別より人種差別の方が深刻なものとして描かれている。レイモンドとの別れのシーンが秀逸。