「おばさん」という呼称

だいぶ前の友人の話。
彼女と旅行に行き、土産物屋に入っていろいろ物色していた。レジには歳の頃50代半ばくらいの中年女性が座っていた。やっと決まったお土産品をレジに持っていくと、その人は奥の座敷の方に引っ込んでしまったのかいない。そこで彼女が、
「おばさん!おばさーん!お・ば・さぁーーん!」
と、座敷の方に向かって何度も大きな声で呼んだ。
するとさっきの中年女性が出てきて、ものすごく不機嫌そうな顔で無言で会計をしたという。


友人曰く「いやどこから見てもおばさんだったけどさ、あんなふうに呼びかけられたら誰でも厭だろって。普通はすみませーんとかもしもーしとか言うもんだよねぇ?」
私曰く「おばさん連呼は拙かったね。おばさん年齢でも、そう呼ばれたくない人結構いるし」
彼女曰く「やっぱりそう?‥‥でも悪気は全然なかったのよ」
友人・私「そういう問題じゃない」



「おばさん」には二種類の意味がある。父や母の姉妹、叔父や伯父の妻を指して言う「伯母さん」や「叔母さん」。これは親族間の関係性から名付けられた言葉であり、「お母さん」「お父さん」などと同じだ。
もう一つは、よその大人の女性を指して言う「小母さん」。昔の小説だとこんな漢字表記も見たが、今では「おばさん」と書くのが普通だろう。「オバさん」「オバサン」になることもある。そして単に「よその大人の女性」ではなく、中年女性を指している。
小学生にとっては隣の家の20代のお母さんも「おばさん」だろうから、「おばさん」という呼称は中年女性というとりあえずの枠組みを離れて、呼びかける人と呼びかけられる人の年齢差や状況に左右されることもある。親愛の情を込めて発せられる「おばさん」もある。「おばさん」という言葉にエロスを感じる性向の人もいるだろう。
だが一般には、誰かを「おばさん」だと言う時、誰かに「おばさん」と呼びかける時、往々にしてネガティブな印象を与えやすい。自分で「私はおばさんだから」と言うのと、人に「あなたはおばさんだから」と言われるのも全然違う。*1


女性なら誰でも「おばさん」になってやがて「おばあさん」になるのだから、それは人生のある時期の呼ばれ方に過ぎない、と言う人もいるかもしれない。「おばさん」をネガティブに捉えているのはあなたの方でしょう? 若くない女性に偏見があるのは、実は他でもないあなた自身でしょう?と。 
しかしここに太宰メソッドを当てはめるのは間違っている。若さ(特に女性の)に価値が置かれている社会において、「おばさん」という言葉にはプラスの価値が与えられていない。どちらかというと負のイメージを持ち、ネガティブな効果が発揮されることの多い言葉を、特別親しくもない相手に矢鱈と付与することは、時としてモラハラにもなりうる。*2
しかもおばさん年齢の人が「おばさん」と言われた時、それは事実には違いないから抗弁しにくい。そこにつけ込んで、からかいたい人を堂々と「おばさん」呼ばわりすることもできる。だってあなた、紛れもなくおばさんじゃん。まさか自分をおねえさんとは思ってないよね。じゃあおばさんと呼ばれるのが普通でしょ。え、別にからかってないけど。ただの呼称なんだけど。何ムスッとしてんの大人げない。‥‥なんてね。



「大人になってからは、おばさんにおばさんといきなり呼びかけたことはないなぁ」と夫(52歳)が言った。
「俺より若いかな?という人はおねえさん、それ以上はおかあさんだな」
そう言えばこの人は飲み屋でよく、「おかあさん、その煮物も頂戴」などと言っている。
「でもそれ、ある年齢以上に見えたら誰彼なく奥さんと呼ぶのと同じじゃない? 未婚だったり子供いない人もいるからね」
「めんどくせぇなぁ。じゃあなんて言やいいんだ。マダムか」
「それがいい!」
マダムは既婚未婚問わず大人の女性に丁寧に呼びかける言葉だ。
「おじさん」も変えてくれ? じゃミスターかムッシュウで。



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*1:老女に対する「おばあさん」「おばあちゃん」も呼びかけには気を使うが、「おばさん」ほどではないように思う。ただ、私の母(73歳)は「おばあちゃん」と他所の人に呼ばれるのは厭だと言っていた。そう呼んでいいのは孫だけだと。

*2:「おばさん(小母さん)」がネガティブな言説効果をまったく持たなかったのはいつ頃までだったのだろう。調べてみると面白いかもしれない。なんとなく、高度経済成長期の消費拡大とアメリカ(若者)文化の大量流入が関係しているような気がしたりしなかったり。