猫と偏屈男

先日取り上げた映画『宗方姉妹』(小津安二郎、1950)の中に、猫がちょくちょく登場する。姉夫婦と妹の同居する家で、猫を飼っているのだ。母猫に子猫が3〜4匹。
子猫が長椅子の上で戯れているシーンや、母猫の周りで廊下をぴょんぴょこ飛び跳ねてるシーンや、黒い子猫がおそるおそる塀の上を歩いているシーンなどが挿入されている。
あれこれと思い悩み時にじたばた動き回る人間の、ややこしく縺れた思惑とはまったく無縁なところで暮らしている猫たちの日常風景だが、物語の小さなアクセント、和みショットというだけでなく、主要人物ともちゃんと絡んでいる。


子猫たちは生後2ヶ月くらいだろうか、可愛い盛りだ。その一匹を、田中絹代の夫の山村聰がいかにも愛しそうに抱いて頬擦りしている場面がある(他の二人の女が猫を構うシーンはない)。
失業中で腐っている山村聰は、しょっちゅう居酒屋で飲んだくれ、家の中では不機嫌な顔をして分厚い洋書(多分ドイツ語)をブツブツと音読し、家族とほとんど口を利かず、義妹の高峰秀子に忌み嫌われるほど陰気で虚無的で無愛想この上ないのだが、猫にはぞっこんだ。
ドラマでは比較的安易に、登場人物の意外な人の良さや優しさ、あるいは逆に気位の高さを表現するのに使われたりする猫だが、ここでは鬱屈した中年男の内面の弱さとだらしなさゆえの「逃避先」となっている。同時に猫は、登場人物たちが最後まで手に入れられない無邪気と安寧の象徴でもある。


仕事のない夫に代わってバーのママを勤め、家でも甲斐甲斐しく働き、言うこと一つ取ってももっとも過ぎるくらいもっともなのだが幾分押し付けがましい「正しい妻」が、夫には微妙に鬱陶しい。田中絹代が正しければ正しいほど、山村聰はイライラする。
その鬱屈を一時紛らわしてくれるのが猫。猫はきちんと正座し真っすぐ夫を見上げて「あなた、私を信用して下さらないのですか?」などと問わないし、自分が気持ちいいこと以外には無干渉で何の悩みもない存在だ。妻の正しい愚鈍さは堪え難いが、猫の動物的な愚鈍さには癒される夫。田中絹代にとっては大層理不尽な話だが、山村聰にしてみれば多分どうしようもないことなのだ。
おそらく山村聰は融通の利かない昔気質の田中絹代と結婚したことを後悔しているのだろう。猫みたいに気分屋で英語が得意で新しもの好きな妹の高峰秀子の方が、気楽でよかったかもしれんなと。ところが女は二人ともフランス帰りの洋家具屋のニヤケ男上原謙にぞっこんで、山村聰の立つ瀬なし。


嫉妬した彼は田中絹代に離婚を切り出し、疑義を言い立てる彼女にキレて暴力を振るい、その後、田中絹代上原謙の前に現れて「やっと仕事が見つかった」と突然明るい顔を見せたかと思うと、泥酔し大雨に打たれて帰宅し心臓麻痺でポックリ死んでしまう。
仕事が見つかったというのは嘘だろう。眉間に皺を寄せたインテリのプライドは時代に取り残され、オシャレな商売上手がもてはやされる時代、上原謙の向こうを張って山村聰の自尊心を満足させるような仕事などない筈だから。
妻とは心が通じ合わず、義妹には疎まれ、猫だけが癒しの自堕落な酒飲み。そうした自己嫌悪と孤独感の果てにどこにも立つ瀬がなくなって、自殺同然に逝ってしまった山村聰。自分勝手だがちょっと哀れを催す。*1
山村聰の突然死といい、田中絹代の後手後手の決断といい、なにかとマンガっぽい演技の高峰秀子といい、見ている方もいろいろなモヤモヤが回収されないままに終わる映画で、小津作品の中では評価がかなり分かれるようだがそれはそれとして、憂鬱な偏屈男と可愛らしい猫の取り合わせは、自分が猫を飼っているからか妙に印象に残る。



『宗方姉妹』の原作者、大佛次郎は無類の猫好きだったらしい。『猫のいる日々』には猫にまつわるさまざまなエピソードを綴ったエッセイが集められている。常に10匹以上の猫が家におり、生涯で飼った猫の数は500匹以上になると書かれていてたまげた。
といっても、名前をつけて室内に上げている猫、庭に棲み着いている猫、餌だけもらいに来る通いの猫、出戻り猫などいろいろ含めての500匹だが、多い時には一度に15匹もの猫たちの面倒を見ていたという。
奥さんは大佛次郎と結婚してから彼に輪をかけた猫好きとなり、毎日猫たちに話しかけ、御飯時はずらりと15個のお茶碗を並べて食べさせたそうだ。さすがに大佛次郎も「猫が15匹を越えたら、俺はこの家を猫にゆずって別居する」と宣言したらしいが、なんとか15匹で収まった。


大佛次郎は、長編時代小説『赤穂浪士』(1928)に登場する上杉家の家老で吉良上野介の参謀となる千坂兵部を、自分のように「屋敷にたくさんの猫を飼い、いつも猫を膝に乗せていた老人」という史実にはない架空の設定で書いている。
これについて大佛次郎はエッセイの中で、「いつも黙りがちに、物を考えて気むずかしくすわりこんでいる老人にネコはうつりがいいし、それらしい人間ぎらいの孤独な空気を作り、画にも成ると思った」としている。大佛次郎の『赤穂浪士』のヒット以降、時代劇や歌舞伎の赤穂浪士の千坂兵部は皆、猫を膝に乗せているのが通例になったらしい。


64年のNHK大河ドラマ赤穂浪士』で千坂兵部を演じた歌舞伎役者の三代目實川延若も、やはり猫を抱いて登場したという。ところが猫は随分貧相だし、延若は上体がふらついて、台詞回しも役柄相応の重々しさがない。楽しみにしていた大佛次郎は落胆した。

 そのうちに演出者に会ってその話をした。すると、実は、と話してくれた。延若はどうしたことかネコが大きらいな男で、さわったこともないのに仕事だから我慢して膝にのせた。ほんとうにきらいなので時がたつほどからだが段々とそってきて、台詞も早くなる。抱かれたネコの方は、相手が自分を好きかきらいか本能ですぐにわかるものだから、落ち着かない。延若はネコをなでているつもりが、知らずに力を入れてつかんで押えつけている。ネコの方は苦しいから逃げようとする。それを押えつけて、元来がほんとうにきらいなので、ぞくぞくして、からだをそり返らせている。
 それで、ああ成ったと言う。
(『猫のいる日々』(大佛次郎、文春文庫)p.156〜157)


いやはや。役者も気の毒だが猫も災難である。大佛次郎は仕方なく、これでは全然千坂兵部らしくないので以降は猫を引っ込めてくれと要請した。
79年にテレビ朝日で放映された『赤穂浪士』の千坂兵部は、69歳の山村聰が演じている。私は見ていないのだが、たぶん猫との相性はばっちりだっただろうと思われる。この時大佛次郎は既に他界していたけれども、もし山村聰の千坂兵部を見ていたら、『宗方姉妹』を思い出して喜んだのではないだろうか。


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猫のいる日々 (徳間文庫)

猫のいる日々 (徳間文庫)

一匹の猫の失踪にメソメソといつまでも嘆き続ける内田百けんと異なり、大佛次郎の猫との付き合い方は豪放磊落だ。『スイッチョ猫』という愛らしい童話も収録されている。猫を長年飼ってきた人の鋭い観察眼が光る佳作。


作家の猫 (コロナ・ブックス)

作家の猫 (コロナ・ブックス)

南方熊楠熊谷守一朝倉文夫谷崎潤一郎室生犀星幸田文佐藤春夫三島由紀夫開高健など、小説家や芸術家(すべて故人)とその愛猫たちが豊富な写真で紹介されている。一列に並んでご飯を食べる猫たちに目を細めている大佛次郎の写真が良い。巻末には「猫の名作文学館」も。表紙は中島らものとらちゃん(若干うちのタマちゃん似)。

*1:40歳の山村聰はこの作品で第一回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞した。