中村翫右衛門はルパン三世

山中貞雄(1909〜1938)の残存する三本のフィルムのうちの二本、『河内山宗俊』(1936)と先日取り上げた『人情紙風船』(1937)に、河原崎長十郎中村翫右衛門のコンビが出演しているのだが、先日からDVDを見直していて思うのは、中村翫右衛門ルパン三世に似ているということだ。

    
                       (『河内山宗俊』で浪人を演じる中村翫右衛門



元は髪結、今は博打打ちで生活している『人情紙風船』の新三の、憎めない小悪党ぶりはルパンそっくりで、小気味良い軽妙な口調まで(山田康雄に)どこか似ている。望まぬ結婚をさせられそうになっている深窓の令嬢を攫うというプロットの一部は、カリオストロの城
  
 (上:河原崎長十郎、右下:中村翫右衛門


河内山宗俊』の浪人、金子市之丞も新三と同じく、飄々としたルパンキャラである。とぼけた顔で言う人を喰った台詞が面白い。
弟の不祥事で生じた借金返済のため、身売りを決意する甘酒屋の少女お浪(小津映画に出るずっと前の16歳の原節子が演じている*1)を救うために一肌脱ごうと、河原崎長十郎演じるヤクザ者の宗俊と二人で大博打を打つところが、これまたカリオストロの城っぽい(僧正に化けるのは一応主演とクレジットされている長十郎の方だが)。

河内山宗俊 [DVD]

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クラリスに淡い恋心を抱くが、手出しはできないルパン。もみあげからしてルパンの"市つぁん"も、掃き溜めの鶴お浪にメロメロだ。クラリスと同じくお浪は(というか原節子は)、裏街道を歩いてきたアウトローにとっては手の届かない、でも守らねばならない存在である。
ろくでなしの宗俊と市之丞やその周辺の人々を描く前半部は、生き生きしたコメディタッチ。その分、大詰めで圧倒的に数の多い「敵」を背後に、これで一人前になれるという死を覚悟した心意気を宗俊に語る市之丞の台詞が胸に響いてくる。そしてチャンバラ場面の直前に突然鳴り出すのが、なんとチャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」。と言ってもお浪はその場にはいないので、翫右衛門ルパンに心を盗まれることはない。
狭いドブ川のような水路で追っ手を塞き止めてお浪の弟広太郎を逃がす際、態々呼び止めて叫ぶ「おい、お浪さんに宜しく言ってくれ」が広太郎にかける市つぁんの最後の言葉だ。*2 ただ、『ルパン三世 カリオストロの城』にはハッピーエンドが用意されているが、『河内山宗俊』はハードボイルドとアメリカン・ニュー・シネマを足して2で割ったようなラスト。シビレます。
河原崎長十郎中村翫右衛門の息の合ったやりとりは、やはり次元とルパンを思わせる。現実でも盟友同士で、共に劇団を支え数々の映画で共演している二人の仲がそのまま反映されているかのようだ。



中村翫右衛門(三代目)は、二代目中村梅雀の祖父に当たる人である。封建的な歌舞伎界を批判して破門され、1931年に志を同じくする河原崎長十郎(四代目)と共に歌舞伎劇団「前進座」立ち上げに加わり、中心的な俳優として活躍、女優を含む数十人の劇団員と共に各地で芝居を行った。彼らと意気投合した山中貞雄の『河内山宗俊』『人情紙風船』には、当時の前進座の役者が総出演している。
河原崎長十郎は若い頃から社会主義に傾倒しており、前進座結成前にはモスクワで公演を行い、共産党員を匿ったとして逮捕されるほどの筋金入りだったらしい。49年、河原崎長十郎中村翫右衛門は座員70数名と共に共産党に入党する。
しかし朝鮮戦争勃発前後からレッドパージが始まり、52年、北海道は赤平町での公演には当日になって中止命令が下った*3。それを不満とした満座の観衆の前で上演を敢行した翫右衛門は、指名手配を受ける。
ところが彼は逃亡生活を続けながら、北海道を巡る一週間以上の巡業中、舞台にはちゃんと現れて芝居をし、終わるとまた地下に潜るという離れ業を演じ、「神出鬼没の翫右衛門」として新聞を賑わせた。この時51歳だが、やってることはどう考えてもルパンだ。
官憲の目を掠めたまま、中村翫右衛門は大胆にも中国に亡命してしまう。おそらく共産党のネットワークを使ったのだろうが、公安に目を付けられている新左翼の活動家がパレスチナに逃亡するようなもので、今の人気俳優ならあり得ない話だと思った。



● 参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/中村翫右衛門_(3代目)
”前進座事件(北海道赤平事件)”を伝える
ニュースボックス1955(昭和30)年11月4日 前進座の中村翫右衛門 北京から三年ぶりの帰国 - 毎日jp(毎日新聞)
前進座の歩み(1951〜1960年) - 前進座ウェブサイト

*1:小津安二郎が実際に原節子を起用したのは、彼女が29歳の時の『晩春』と遅かったが。因に山中貞雄と親交の深かった小津安二郎は、山中が中国で戦病死したことを新聞で知った時、数日間口を利かなかったという。

*2:追記:最初、単に「最後の言葉」と書いていた。訂正。これは広太郎にかけた最後の言葉(「早く行け、早く!」と付け加えている)。その後の最後の最後に宗俊に真剣な顔で言う台詞がイカす。

*3:北海道公演での演目はモリエールの『守銭奴』、近松の『俊寛』など。