寂れゆく街、消えゆく店

中古でいいから一戸建てに住みたいという夫の願望とマンションでは制作がしづらいという私の不満が一致し、経済状態を鑑みた上で名古屋からJR快速で10分のこの一宮市に店舗付き中古住宅を買って引っ越してきて、もう18年になる。*1
戦後、繊維で栄え全国から女工さんが集まり、映画館も10館を数えたという一宮だが、この30年余りの間に産業は衰退し映画館は消え、近頃は駅前のメイン商店街もシャッターを降ろした店が目立つようになった。唯一喫茶店(カフェではない)の数だけは往年の繁栄の名残で、全国一らしい。
「名古屋で商売が成功したら全国どこでも成功する」と言われているほど名古屋人はケチで締まり屋ということになっているようだが、一宮はそれに輪を掛けて財布の紐の固い土地柄で、逆に言えばセコくがめつく、モーニングサービスが豪華な喫茶店*2は繁盛し、いくらコーヒーが美味しくてもほんの20〜30円高かったりするだけで客が入らないという現象がそこかしこで見られた。


住んでみてわかったそんな土地柄にあまり馴染めず、最初のうちはスーパーでの買い物は別として、飲食やその他の買い物はだいたい名古屋で済ませていた。友人と会うのも、何か美味しいもの食べに行こうって時も、仕事関係の付き合いも当然、名古屋。
地元で商売をしていたり勤め先のある人や、子供の頃から住んでいて土地に馴染みの深い人は別として、他所から引っ越してきて名古屋に通勤している多くのサラリーマンの行動パターンはそんな感じだろう。せいぜい、たまに駅前の赤提灯で帰宅前にちょっと飲んでいくくらい。行きつけの店が地元にいくつもあって、そこに友達も来ていて、しょっちゅう顔を出すというふうにはなかなかならないと思う。


ところで夫は、初めて入った店でもまずカウンターの真ん中に座り、常連みたいな顔でお店の人や土地の人とすぐ仲良くなってしまうタイプである。しかも非常勤講師という仕事柄休みが多く、なんだかんだと理由をつけて外に遊びに行きたがる。なので引っ越してきて間もなく地元の店開発に精を出し、いつのまにか贔屓の飲食店を何軒も作った。
私も一緒に、そういう地元の店に行くようになった。一週間に多い時で二回以上行くところもあれば、一ヶ月に一回くらいのところも。何となく顔馴染みになり、お客の少ない時は店主と世間話をするようになり、その店で知り合った人とプライベートで親しくなったりした。
引っ越して来た当初は、自分たちは「よそ者」だという意識がどこかにあったが、お店の人やお客さんで他の土地から来た人が結構いることも知った。そこに根を降ろしているという実感のまるで持てなかった土地のあちこちに、お馴染みの場所ができてくるに従って、よそよそしかった街の表情も少し柔らかく感じられるようになった。


そうやってお気に入りにしていた食べ物屋さんが、この4、5年の間にぽつりぽつりと消えていっている。
時々キムチやカクテキを分けてくれた韓国人のおばさんのチヂミと鉄板焼きの店が、久しぶりに行ったら別の店になっていた。
大阪人の老夫婦のやっていた梅タコが名物のたこやき屋が、旦那さんの体調が悪くて店じまいした。
わりと広くてサンドイッチが美味しかったので時々行っていた喫茶店は突然閉店し、しばらくしたら美容院になっていた。
今年に入っては、遅くまで開いていて夜中に時たまピータンと老酒を楽しんだ中華料理屋が、オヤジさんが病気で亡くなってほぼ休業状態になった。
別に特徴はないが店主の感じが良く良心的な値段で肴もまあまあで重宝していた居酒屋が、2軒立て続けに店を閉めた。
値段設定がやや高めだったがメニューが独創的で焼きそばの美味しかった店は、半年で客が入らず撤退した。
先日は、住宅街の中にある隠れた名店風のたまに行くのが楽しみだった小料理屋の女将さんに、今月一杯で閉めると言われた。
夫の行きつけのスナック風飲み屋が2軒、バーが1軒なくなり、お気に入りではなかったが名古屋の有名洋食店が撤退した後に入ったフレンチの店もその後のチーズフォンデュの店も、数ヶ月で潰れた。
「火が消えるように」という言葉がある。まさに火を扱う場所から火が消え、人がいなくなった後の空き店舗となった元食べ物屋ほど、うらぶれた風情を醸すものはない。


「景気はどう?」「さっぱりだね。一頃に比べたら全然暇」という会話を、随分前からあちこちで耳にする。
友達付き合いをするようになった鮨屋*3の店主もたまに、「昨夜はお客さん一人だった」などと言っている。そして「まあこういうご時世だとねぇ‥‥」で話は終わる。
外飲みより家飲みの時代。外食したいカップルや家族連れの多くは、街の小さな古い店よりショッピングモールの中のチェーン店に行く。街中にできた大型新規店も最初だけは人が入るが、それがずっと続くところは少なそうだ。


この街には仕事も友人関係もなく、子供がいないので地域との繋がりも薄い夫と私の足が向くのは、新しい店ではなく、その土地に根付いて何年も地道に商売をしてきたような店の方だった。地方の特に面白いこともない地味な街で、多少なりともそこで暮らす滋味を味わうことができたのは、自宅を中心とする生活圏にそうした個人店主の店があったからだと思う。
引き戸やドアを開けると「いらっしゃい!」という聞き慣れた声、カウンターの向こうの見慣れた顔。馴染んだ席に馴染んだ空気。全国どこの居酒屋や飲食店でも、常連客にとってごく当たり前の風景だ。他に比べて滞在時間が長いだけに、行きつけの飲食店は知らない間に生活のささやかな一部となる。


それが一つ、また一つと姿を消していく今日この頃。この街に来て私は初めて、寂しいという気持ちを味わっている。この感傷に浸るのも一時のことかもしれないなと思いつつ。



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おじさん達の黄昏

*1:その後制作活動をやめたので、元店舗部分だったアトリエは今、書庫兼倉庫兼猫の遊び場と化した。

*2:トースト、茹で卵、サラダの定番メニューにおにぎりと赤出し、茶碗蒸しやミニうどんなどが付いてくる場合もあるし、バイキング形式のところもある。一日中いつ行ってもコーヒーにはサンドイッチとサラダ付きの店も。お得感を強調しないと流行らないのだ。

*3:と言っても、私はお鮨はたまにしか食べず、適当にツマミを見繕ってもらって飲んでることの多い客。