知りたい気持ちとムラムラと大人の役割

子供にとっての性的世界 - 文藝春秋編 日本の論点:山崎マキコの時事音痴


一昔前の少年少女がセックスについての知識を得るのは、大抵の場合ポルノ小説(官能小説)からだ。「具体的に何がどうなって‥‥」は大人向けのメディアからこっそり盗んでくる。
でも今なら、知りたい情報は大体ネットで手に入れられる。若者向けのセックスハウツー本も堂々と書店に並んでいる。定期的にセックス特集を組むan・anなど、相手をムラムラさせる方法からフェラチオの技術、コンドームの付け方まで事細かに教えてくれている。DVDまでおまけについてる。AVには手が出しにくい女子向けに。
少なくともヘテロのセックスに関しては、実体験がなくても全部シミュレーションできてしまう勢いだ。10代女子の受けたレイプや近親姦の体験談も、ネットを漁れば見つけることができる。
かつて記事の筆者やその周囲の女子高生たちを不安にさせた情報不足。今やそれはあらゆるところにあり、少年少女はそこから完全に遮断されているわけではない。


で、そのことと、「非実在青少年*1の性行為を描いた表現を一律規制すべきか否かは、別の問題である。
言い換えれば、「女の子は正確で具体的な性の情報を欲している」(前半部)と、「非実在青少年の性行為を描いた物語は、性を早くに体験せざるを得ない女の子の気持ちの受け皿として必要」(後半部)は、別に論じるべき話である。
「正確で具体的な性の情報」は、現実に直面した際の判断や振る舞いに役立てるものだ。一方、ここで擁護されているような「非実在青少年」の性行為を含む作品は、筆者の文脈では、女の子が現実に傷ついた際の癒しとして機能するものである。
児童ポルノは別として)「非実在青少年」の性行為を描いた表現を一律規制するのに反対の立場を取る筆者が強調したいのは、後者の重要性である。なのに、その前の「女の子は正確で具体的な性の情報を欲している」という話までが、規制反対理由に取り込まれているように見えてしまっている。それは反対理由にはならない。前者に反応しているブコメが目立ったので気になった。


姪に「情報開示」を求められれば18禁の同人誌なども買い与え、そのお陰で姪は「情報強者」になりトラブルを避けられているという最後の方の下りも、「非実在青少年」の性行為を描いた18禁を含むポルノによってこそ、「正確で具体的な性の情報開示」ができると言っているかのような印象で、違和感を覚えた。ポルノはポルノ、性知識は性知識。重なるところがあっても決してイコールではない。
そもそもエロに興味のある女子中学生は、大人に与えられなくても、友達とコミケに行ったりまんだらけに通ったりして、自分なりに性の世界を探索している子が多いのではないか(少なくとも私の知っている中学生はそうだ)。



筆者の昔語りは概ね興味深く読んだが、少しひっかかったところ。

わたしたちはいずれすることになるであろう難事業に大変な不安を抱いていただけだ。メディアによって性的行動が煽り立てられることなどもなかったし、単に、不安だったのである。

不安なだけだったんですか?と思った。性欲は、どこにいったのだろう。エロいものが見たい、読みたい、このムラムラを満足させたい、オカズが欲しいという欲望は?


知識欲と性欲は別の欲求である。しかし好奇心をベースとしてそれらが、少年少女の中では渾然一体となっている。
私事で申し訳ないが、私がオナニーを覚えたのは小4で、その頃既にセックスの意味するところだけはうっすらと知っていた。オカズは『主婦の友』の読者のセックス相談室。1960年代末の話だ。しかし「具体的に何がどうなって」の手順の部分がいつまでたってもわからない。
ある日、父親の本棚を漁って奥の奥からハウツーセックスみたいな本を発掘した。これだー!わくわく。確かカッパブックスだったが、昔のことゆえ体位の写真は関節人形だったのがやや残念だった。
中学2年頃、若者向けのハウツー本を男子が持って来てクラスの中の数人で回し読みした。軽い語り口の中に専門用語も入っているわりと真面目な本だった。初めて全裸のベッドシーン(といっても具体的な行為はない、光線や花びらに彩られたファンタジックなもの)が描かれた『ベルサイユのばら』に友達がきゃーきゃー言っていた頃である。やがて古今東西の文学の世界はエロの宝庫だと知り、めぼしいものを貪り読んだ。
私は山崎マキコ氏より一世代古いが、まあその程度のことで、大人の世界ってちょっと頑張れば覗き見られるものだなと思ったのである。
だが親に隠れてその手のものを読み耽っていた10代の頃、将来するかもしれないセックスについての前知識を得て安心したいのか、その情報を元に妄想に耽り気持ちよくオナニーしたいのか、いったいコレは知識欲なのか性欲なのか、自分でもよくわかっていなかった(‥‥‥んですけど、あなたはどうでしたか?)。


性に対する思春期の「知りたい気持ち」と「ムラムラ」、その両方を手っ取り早く満たしてくれそうなものとして、ポルノがある。
ポルノの中には、セックスの際の具体的な振る舞いだけでなく、さまざまな性的嗜好についての表現がふんだんにある。セックスは美しいものでも汚いものでもない。いろいろあるらしい。性的欲望にも趣味嗜好にも、いろいろあるらしい。いやー世の中広いんだね。人間って案外ヘンタイなんだね。性の世界に特別王道なんてないんだね‥‥。
親も教師も教えてくれなかったし、また教わろうとも思わなかったそういう世界を覗き、好奇心と欲望を満たし一方でどこか常に後ろめたさに悶々としつつ、自分のセクシュアリティと徐々に向き合っていく。それはそれで、どんなに"歪"であろうと大切な過程だったとは思う。


だが言うまでもなく、ポルノ表現には強いバイアスがかかっていることが多い。ファンタジーだからこそ効果的に欲望を喚起させるのだ。そこに性の快楽は描かれていても、性感染や妊娠を防ぐ方法や望まない性行為を回避する方法はない。セクシュアル・マイノリティについての正確な知識も得にくい。
そして、そういう情報こそ、10代の少年少女に必要な性知識である‥‥‥‥ことに、思春期には案外気づかない。*2
自ら必要性を感じてネットなどで情報収集に努めるならいいのだが、基本的なことをわかってないままで、いきなりトラブルに巻き込まれることもある。
望まぬ妊娠をする十代女子(及びさせてしまう男子)の多くは、コンドームでかなり確実に避妊できるということは知っているだろう。でも使わないから妊娠する。「避妊措置を取らないでいるといかに容易く妊娠してしまうか」については、よく知らないからだ。それによって生まれるリスクもリアルに想像できない。事に直面して動転し、その後深い傷を負うまでは。


だったら知らしめる必要があると考えるのは、大人としてごく当たり前のことである。自分で自分を守る知識を身につけ実践しようとしない子供に「そっちに行くと危険だよ」と警告を発するのは、大人の役割だ。
件の記事の筆者が、性の知識が少女たちに必要だと言いつつ同時に、「非実在青少年」の性行為の出てくる作品を挙げていれば、「ポルノで正しい性の知識は得られないから、同時に(あるいはその前に)性教育を」という意見が出るのは当然ではないだろうか? ブックマークコメントに結構見られた「性教育が必要」に忌避感を表していた人が何人かいたが、私はそう捉えている。


最近、学校の性教育は風当たりが強い。コンドームを配ったりする必要まであるのかは、私も疑問だ。また、セックスは男女の愛のかたちだとかコミュニケーションだとか何とか、取って付けたような美辞麗句による「教化」もいらない。そういう言葉は往々にして、ヘテロセクシズムや恋愛至上主義の抑圧となって働きがちだ。
慣れない教師が下手にレクチャーするより、メディアを通じた方が受け取りやすい ということはあるだろう。男女の体の仕組み、妊娠の仕組み、性感染症、性暴力。とりあえずその4つ。コンパクトなリーフレットにして、いつでも手に取れるようにしておくといった「教育」環境くらいは作った方がいいと思う。*3
少年少女自身が判断の基準や参考にできて、トラブルを避けることができるような情報を、ニュートラルかつ正確に伝達すること。あるいはそういう情報にいつでも簡単にアクセスできるようにしておいてやること。それが膨大な性表現を生産し消費し彼らに受け渡す立場になった大人の役割だ。



●関連記事
男子にはなれない ● 第八回 ● 純潔の掟
育児を教える高校

*1:この言葉は先日、都の条例改正案から削除され替わって「非実在犯罪」という言葉が使われているが、ここでは元記事の使用に従う。

*2:私は遅ればせながら二十歳を過ぎてから、そういう知識を身につけた。別冊宝島から出ていた『おんなの事典』(1977初版)と『女のからだ 女のセクシュアリティ・グラフィティ』(1978初版)。特に前者は70年代後半の女性のバイブルと言われたくらい画期的なもので、セックス、妊娠出産、避妊、中絶、強姦(自己防衛術も)、更年期、同性愛、神経症などのほか、衣食住、労働、福祉、旅、本、映画など、役立ちそうな情報がぎっしり詰まっていた。買ってすぐ熟読したが、20代を通じて何度手にとったかわからない。因に西ドイツ(まだ壁崩壊前!)の厚生省が監修した『女子高校生の性知識』という本が、日本でもこういう本があればいいのにねということで紹介されている。▶追記/『モア・リポート』(1983、集英社)も「私だけじゃないんだ」という安心感には役立った。性に関して女性が「もっと自分の感覚、気持ちを大切にしたい」とか「それを相手に理解してほしい」という声が出せるようになった頃だったと思う。

*3:大学の授業ではインターセックスの説明の際、胎児の生殖器の形成のされ方について話した後で、「だから生殖結節の発達したものとしてペニスに対応するのはクリトリスであって、膣じゃないんだよ。性感帯としてもそう。男子はセックスの時とにかくガンガン突けばいいんだろと思ってたらそれは間違い。あれはAVの演出。それで気持ちよくなくても女子は心配する必要なし。クリトリスの快感を膣に移行するには時間がかかる。最初からイクなんてまずありえない。ま、セックスなんかしなけりゃ悩むこともないんだけどね」とつけ加える。セックスでイケないことに悩んでいたり、ポルノを含む様々な性情報からセックスに恐怖感を覚えている女子が時々いるのを知ったからだ。これも性教育の一種になるだろう。レポートや授業アンケートで「納得した」「参考になった」「安心した」という感想をもらったことはあるが、「そんな話はしないでほしい」という要望は今のところない。ついでの話としてサラッとして、その後は別の話に移行するので聴きやすいのかもしれない。でも高校で同じ話をしろと言われたら躊躇う。