おばさんのフェティシズム

「最近の若い男の子ってきれいねぇ」
と、母が言った。母、73歳。
買い物に行くのにバスに乗ったら、たまたま近くの高校の下校時だったらしく、高校生がたくさん乗っていたという。全員男子。降りる停留所の近い母は、昇降口近くのポールにつかまっていた。母の手の少し上に、やはりポールをつかんでいる男子高校生の手があった。
「思わず自分の手、引っ込めたの」
「なんで?」
「だって私の手、シワシワのおばあちゃんの手でしょ。向こうはシミも皺もないきれいな手よ。あんまり違うもんで恥ずかしくてね」
吹き出した。
「誰もお母さんの手なんか見てないよ。見たとしても何とも思ってないって」
「でも恥ずかしいわよ。そんで男の子見上げたらさ、まあ肌のきれいなこと。あんまり陽に灼けてなくてツルンとしてて皺一つなくてねー。いいわねえ若いってことは」
「よしなさいよ、ジロジロ見るの。変なおばあさんだと思われるよ」
「そんでバスが停まった時によろけたもんでまたポールにつかまったんだけど、男の子の方にヨロヨロって倒れてみたらどうかしらーなんて(笑)」
「やめなさいよ、そういうことするの」
「しないしない、想像してみただけ。でも私の若い頃は、あんなきれいな男の子はそんなにいなかったわねぇ。なんか皆モサくてゴツくてさ。で、ろくに恋愛もしないで二十歳で結婚したでしょ、ずっと年上と。男の方が早く老け込んじゃうのよね。若い人と結婚するべきだったわね」
「いや若い人と結婚したって、その人だって歳を取っておじいさんに‥‥」
「今度生まれ変わったら私絶対、若い男の子と恋愛するわ」


お母さん、ちょっと違うと思う。お母さんは今若返って、今、肌のツルツルの若い男の子と恋愛したいんだと思う。それはやっぱり性欲に近いんじゃないかと思う。
母にそう言えば否定するかもしれない。でも年老いた女が若くてきれいな男に見とれ、触ってみたいとか抱かれてみたいと思うのは、別に不思議なことではない。



よく行く居酒屋に友人達と出かけた。座敷に上がった私達の隣のテーブルには家族がいた。その店で時々会うおばさんと、その娘さん二人と孫二人。孫の一人は小学校1年くらいの女の子で、もう一人は4歳くらいの男の子だった。私達はおばさんと娘さん達に挨拶した。孫娘は「こんにちはは?」と言われて「こんにちは!」と大きな声で言った。利発そうな子だ。「マー君もこんにちはしなさい」と言われて、小さい男の子は恥ずかしいのかお母さんの膝に顔を隠した。「まーた甘えてる」とおばさんが笑いながら言った。それから私達は飲み出したがしばらくして見ると、席を移動してきた男の子が私の斜め横に座っていた。かがみ込んでいるのを後ろから覗くと、お母さんにもらったのだろう、小さなメモ帳にボールペンで落書きしていた。「何描いてるの?」と尋ねたらはにかんでいたが、「これはくるま。これはちかてつ」と説明し始めた。男の子は、田舎町のちょっとヤンキーな家族のチビっ子らしく、襟足を短く刈らずに少し伸ばしていた。その簾のような髪の隙間に細い首筋が見えた。(よしなさいよ、ジロジロ見るの) 自分の目がそこに吸い付けられているのがわかり、私は慌てて目を逸らした。「これは、じいちゃん」と男の子が言った。「これは、ばあちゃん」。「マー君、絵見てもらってるの、いいねぇ」とおばさんが声をかけた。「可愛いですねぇ」。おばさんは目を細めた。「甘えっ子でねぇ」。友人達は盛り上がっていたが、私は時々ちらちらと男の子を見た。いかにも、子供に目がない人の良いおばさんの顔で。男の子はすぐ横で、大人しく何か描いていた。「お絵描き、大好きね」。男の子はまたはにかんだ。俯いて落書きしている彼の襟足の髪を、後ろからそっと持ち上げてみた。(やめなさいよ、そういうことするの) 神々しいくらい白くて細くてすべすべの首筋の全貌が現れた。真ん中が少しだけ窪んでいる。せつないほどいたいけな窪みだ。いきなり、その首筋にカプリ!と噛み付いてみたい衝動が突き上げてきた。男の子がくすぐったそうに身を捩り、私はうろたえて手を引っ込めた。おばさんと目が合った。「ほんとに可愛いですねぇ」。おばさんはにこやかに笑った。「マー君、もうこっちにいらっしゃい」と娘さんが言った。ヤバい女認定されたかもしれない。


「あんまり可愛くて食べちゃいたくなる」という言葉がある。対象を愛でるのと食べてしまうのではえらい違いなのに、その欲望が隣接しているのは感覚的によくわかる。これもどこかで、広い意味での性欲と繋がっているのだろうか。
フェティシズムは基本的に男のものだが、女も歳を取ると、ナルシシズムが減少する代わりに、抑えられていたフェティッシュな感覚が前に出てくるのだろうか。だとしたら、それは何故だろう。自分がその最中にいるので、よくわからないのだ。