震災後、記事を消してまた上げるの記

■ 天変地異


● 死ぬ時の覚悟
車で走行中のこと。前の車がみんな蛇行していくので何かと思ったら、道路に子猫が転がって、くるくると一所でのたうち回っていた。血は出ていないが、飛び出して車に跳ねられたのだろうと思う。内臓がどうにかなってしまっているのかもしれない。頭を打っておかしくなったのかもしれない。
そこは交通量の多いバイパスで停まることもできず、私もよけて通り過ぎる他なかった。民家がなくほとんど人が歩いていないようなところなので、道からどけてやる者もいない。あのまま熱いアスファルトの上で、子猫は苦しんで死ぬに違いない。次の信号で止まった時、後続の車の人がなんとも言えない後味の悪い顔をしているのが、バックミラー越しに見えた。私も同じ顔をしていただろう。


こういう悲惨な死に方はしたくないと思う。しかし、いつどういう死が待っているのがわからないのが、この世の中。特に最近のように天変地異にも近い異常気象が続くと、いつ何があってもおかしくないと思える。
今、一番怖いのが地震だ。関東大震災の時も、阪神大震災の時も、その夏は異常に暑かったという。暑さと地震とどういう関係があるのか詳しいことは知らないが、科学的根拠を指摘する声もあるようだ。数年から十数年のうちに、という余裕のあることではなく、関東から東海にかけての広い地域で、マグニチュード8か9クラスの大地震がいつ来てもおかしくない、とはよく言われている。最近関東方面では地震がちょくちょくあるらしい。それに刺激されてもし富士山が大噴火したら、終わりだ。『日本沈没』である。「日本の皆さん、さようなら」‥‥。


そこまで心配なら何か個人的に対策はしているかというと、情けないことに何にもしていない。食器戸棚と本棚を一応固定はしているが、家が潰れたら同じことだ。潰されて死ななかった時のために、水のペットボトルと保存食くらいは常備しておくべきかもしれない。私の親は、この春にかなりの建築費用をかけて、築45年の実家に地震対策を講じた。歳をとってきたのでいざという時逃げ遅れるかもしれない、だから少しでも倒れ難くしておきたいとのことである。震度7までは大丈夫だそうだ。震度7だと、私の住んでいる家などは、たぶんあっさり倒壊する。
そこで一瞬にして死ねれば、まだいい。しかし家の下敷きになって、生きたまま火事で焼け死ぬのだけは避けたいと思う。何が嫌だといって、火炙りの刑ほど嫌なものはない。大怪我をしたまま瓦礫に埋まって、徐々に窒息死していくのも嫌だ。いずれにしても、地獄のような苦しみを味わいながら死にたくないとは、誰でも思うことだ。しかし、その時が来たらそうなる可能性がある。あの子猫みたいに。誰にも助けてもらえないで、孤独にじわじわ死ぬという可能性が。


厭な話だが、生きているうちになんらかの天変地異に遭うだろうということはほぼ確実なので、そういう覚悟をしておいた方がいいのである。自分だけ悪運強く生き残って、親しい人々がみんな亡くなってしまうということも考えられる。その覚悟もしておかねばならない。
地震や大洪水がなくても、食料危機がある。地球上の8割の人を食べさせるだけの食料しか、作れていないのだ。2割は餓えている。先進国は自衛手段を講じて国内自給率70%を保っているが、日本は輸入に頼っているので40%の自給率しかない。万一輸入がストップしたら、半分以上飢え死にである。たぶん蓄えのない貧乏な人から死ぬ。私の順番は結構早い方だ。やれやれ。


● 瓦礫の上で叫びたい
物の溢れた賑やかな街の中を歩いていると、これらが一瞬にして無に帰すなどということは、信じられない気分にもなる。そういう想像をリアルにするのは、<9.11>の後でもなかなか難しい。だって昨日も今日も無事だったもん、明日も同じように来るに決まってると。今の状態がずっと続くと、誰もが信じているように見える。私も来週はどこどこへ行って誰々と会って、などと目先のことを考えて呑気に暮らしているのだが、それも大規模な異変ですべて無しになるのだ。砂上の楼閣に住んで、津波が来るのを待っているようなものである。


そうだ。心のずっと奥深いところで、実は待っている‥‥と思えるふしはないか。
地震や食料危機なんかで死にたくはないのだが、一方でとんでもないことが起こって、世の中が大混乱に陥るのを、密かに望んでいるのでは? 
あらゆる建造物が崩れ落ち、道路は寸断され、風景が一変したところをこの目で見たいのでは? 
あらゆる共同体や組織が壊滅し、指揮系統は寸断され、世界が一変した状態を身をもって知りたいのでは? 
誰も彼もが同じような「廃業」「廃人」状態になって、茫然自失となってほしいのでは? 
今日見知らぬ人と助け合って生きる知恵以外の知恵も知識も、何の役にも立たない事態を体験したいのでは? 
そういう場に立ち会えるなら、昨日までのありとあらゆるすべての蓄積が、一瞬にして御破算になってもいいと、実は思っているのでは?
そして、餓えでへろへろになりながら瓦礫の山の上に登って、「なんにもなくなった!ざまあみろ!」と大声で叫んでみたいのでは?

  
イラクでは戦争で、インドでは洪水で何百人という人が亡くなったというのに、不謹慎極まりないことを書いている。他人の苦しみも想像しないでいい気なものだ。死ぬ程恐ろしく悲しい目に逢ったことがないから書けるのだ。若者は世界の中心で愛をさけんでいる(!)というのに、「ざまあみろ」だと? こんなことを口にしたら、石投げられてもシベリアに送られても文句は言えまいよ。‥‥と、自分の中の99%は言う。
でも残りの1%は違う。 「なんということを」と自分を諌めれば諌めるほど、その1%がしつこく囁く。
全部ひっくり返ってなんも無しになってしまったら、どんなに、どんなに、せいせいするかなあ。ついでに自分も巻き添え喰って死ぬかもしれないけど。
賢明な皆様はそういうふうに思われたことはないでしょうか。ないですか。そうですよね。


以上は、2004年8月初旬に書いた記事。その頃からの読者の人(が、いればだが)には見覚えがあるかもしれない。*1 東日本大震災が起こって3、4日後にこれを思い出した。
読み返して「うわぁ」と思った。前半はともかく、後半はどうなの。何も被害を被っていない者が、「全部ひっくり返ってなんも無しになってしまったら、どんなにせいせいするか」「ざまあみろ」なんて。今、とてもこんなこと言えない。‥‥はずだよ。‥‥心情的に。
とは言え、あの時も「とてもこんなこと言えない(おおっぴらには)」とは思いながら書いた。偽悪ぶる気もなく、なぜこういうネガティブなファンタジーが心に巣食うんだろうと考えていた。この感覚は私一人のものじゃない。SFでハルマゲドンだの核戦争後のディストピアだの世界の終末だのが描かれるのも、無意識の願望の受け皿じゃないか?


ところがファンタジーは現実になった。99%否認していたが残りの1%で願っていたことが、(自分には直接降り掛からないかたちで)"叶って"しまった。
そう思ったとたん、私の中の"不謹慎厨"が「あかん、これはあかんて」と騒ぎ出した。津波の去った跡の荒涼たる光景を映しているテレビを横目に、私は昔の記事を削除した。気分的にはこっそりと。


7年前の記事をわざわざ発掘して、「今同じこと言えるんですか?不謹慎じゃないですか?」などと晒し上げて非難する人はいないだろう。よほど悪意がない限り。
なのに消したのは、自分の癒しのためだ。連日、思った以上に悲惨な被災地や原発事故の情報が入ってくる中で、自分自身を、こんなことを望む人間だとは思いたくない、という。これは「私」じゃない(ことにしたい)。
ずっと前はこんなことも考えていたが、今はそうではないのでOKという話でもない。「世の中がひっくり返り、すべてがおしまいになる」というイメージは、私のファンタジーの核に取り憑いていた。1%であっても、(誤解を恐れずに言えば)切実にそれを願った。
だがファンタジーが現実になるとは恐ろしいことだ。いや。ファンタジーはもっとも残酷なかたちで現実化する。
だから目を逸らしたい。何より自分を「被災地の惨状に心を痛める一人の人間(私だってそういうマトモな人間のはず!)」と思いたい私にとって、この記事は邪魔だった。とても鬱陶しいノイズそのものだった。


暫くすると今度は、削除したことを気に病むようになってきた。面倒くさい女だな。
他人が過去ログを削除することについてどういう言う気はあまりないが、自分については一旦書いたものを消すのは基本的にしない方針できた。もし以前書いたことについて違う意見を持ったら、新たに記事を書く。そのルールを破ってしまったという後悔がじわじわやってきた。
あの記事はやはり消すべきじゃなかったのでは。むしろ、思わず消したくなる程度には重要な記事だったのでは(少なくとも書き手の私にとっては)。
結局震災後、あの文章がブログ内にあるのは自分の不埒な願望を見せつけられるようで心理的に苦痛だから、「臭いものに蓋」をしたわけだ。楽になりたくて。みみっちいことをしているなぁ。ああやだやだ。


鬱々としていたら、震災直後から記事が如実につまらなくなったと指摘された。まあ震災前もその手の記事はちょくちょくあるけども、そういう話ではなく。
書いたものをなかったことにし、願望もなかったことにし、以降のほとんどの記事(と言っても少ないが)を自分の癒しのために書いているんだから、精神分析的にはつまらないよねそりゃ。


‥‥‥‥というようなことがわかって、なんかつくづくいろんなことがどうでもよくなってきて、消した記事を復活させた次第。
本ブログをアンテナに入れて下さってる人にはいきなり2004年の8月に記事が上がっても意味がわからないので、説明も含めて最新記事に。結果、結構「不謹慎」で「無神経」な感じになった。かもしれない。開き直りきれないところが相変わらずダサいわ。

*1:07年11月にはてなダイアリーを始める前、別のところで「Ohnoblog」というタイトルで書いていた。はてなに引っ越した折に、それまでの記事を全部こちらに移動している。