「太陽」をめぐって

昨日の記事の続き。


『生きものの記録』のラスト近く、三船敏郎が精神科病棟の窓から太陽を見上げ、「地球が燃えとる!‥‥おお燃えとる燃えとる!」と叫ぶ。自分は既に別の星に移住し、地球は原水爆実験によって火の玉になったと思い込んでいるのだ。また、『太陽を盗んだ男』の「太陽」は当然、原発から盗み出された原爆の原料を指している。
つまりこれらの映画では、「太陽」は核や原子力のメタファとして使われている。
そもそも太陽エネルギーの源は水素核融合で、原子力エネルギーは言わば自前の太陽を手に入れたいと思った人間の作り出した人工の太陽みたいなものだから、「核、原子力=太陽」というのは概ね正しい見方だ。


太陽と言えば岡本太郎
09年夏に渋谷駅の壁面に恒久設置された岡本太郎の巨大壁画『明日の神話』(1969)は、1954年に第五福竜丸ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被曝した事件をイメージして描いたものだという。右下の方に小さく擬人化されたような船が描いてある。
先日、この壁画の矩形の欠けた部分、ちょうど船の下に当るところに、事故を起した福島原発の建屋の絵が、誰かの手で描き方も色合いも元絵そっくりに付け加えられて話題になった(既に撤去されている)。
渋谷駅岡本太郎「最後の神話」の原発写真
Togetter - 「岡本太郎「明日の神話」に東電原発!??」


けしからん、面白い、絵に直接描くべき、人の絵の尻馬に乗るな、太郎が生きていたらこう反応するだろう云々‥‥とブコメは賑やかだ。
私の第一印象は、元絵に同化させるための工夫の跡がいじましい‥‥。だがこれによって岡本太郎の作品を「予言」に見立てたり、批判性が加わったとしたり反原発メッセージにする見方は、あまり面白いと思わない。


で、「太陽」に戻って。
明日の神話』にも太陽が描かれている。真ん中の大きな骸骨は件の事件での水爆実験を象徴的に示すものだが、その周囲に放射線状に尖ったフォルムが配置された全体の形から連想されるのは、明らかに太陽である。核爆発した瞬間に現れた巨大な白い太陽。
太陽の塔』をはじめ、岡本太郎の太陽については多くの分析があるが、それは単に生命エネルギーの象徴というだけではなく、すべてを焼き尽くすような強大で危険なエネルギー(=爆発)として捉えられていたはずだった。だから『明日の神話』で水爆が太陽のように描かれているのは当然と言える。
仮に岡本太郎が、ゲルニカという街の受けた空襲に怒りを表すため『ゲルニカ』を描いたというピカソと同じく、反核平和のメッセージを込めて(あるいは「悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描」くために)あの壁画を制作したとしても、芸術とは結果的にそうした言語的メッセージを越えたものとして伝わるのである。
芸術は爆発だ」も「芸術は呪術だ」も同じことを言っている。岡本太郎にとって芸術はあらゆる価値判断を越えるものだった。太陽はその超越性の徴だ。あの壁画を制作している時の岡本太郎が、核(=疑似太陽)爆発の圧倒的なエネルギーが喚起する死と破滅のイメージに恐怖しながら魅せられていたとしても不思議ではない。

人間は生きる瞬間、瞬間、自分の進んでいく道を選ぶ。その時、いつでも、まずいと判断するほう、危険なほうに賭けることだ。極端な言い方をすれば己を滅びに導く、というより死に直面させる方向、黒い道を選ぶのだ。


『呪術誕生』( 岡本太郎、1964、みすず書房 )より


岡本太郎の本〈1〉呪術誕生

岡本太郎の本〈1〉呪術誕生