『十五夜お月さん』と『四丁目の犬』

子どもの頃、ソノシート付きの童謡絵本のシリーズが家にあった。61年に始まったNHKの『みんなのうた』は新しい曲が多かったが、その童謡のソノシートは叙情的なマイナーコードのメロディが印象的な大正後期のものがかなり入っていて、私と妹は幼稚園から小学校にかけてしょっちゅう聴いていた。
歌詞もどこかもの悲しかった。『赤い靴』では「女の子」が「異人さん」に「つれられて行っちゃった」し、『叱られて』は親元離れて奉公に出されている子どもが「叱られて あの子は町までお使いに この子は坊やをねんねしな」しなくちゃならないし、『花嫁人形』の「花嫁御寮」は「なぜ泣くのだろう」かわからないが泣いてるし、『雨』が降って「遊びに行きたし 傘はなし」なのだ。
子どもの頃は、意味がよくわからないまま聴いていた曲が多かった。何しろ「異人さん」が聴き取れなくてずっと「人参さん」だと思っていた。妹は妹で、『月の砂漠』の歌詞を「月の〜砂漠を〜ア〜ル〜バイト〜♪」と覚えてしまっていた(父が家庭教師のアルバイトをしていたので、その言葉は幼い頃から知っていた)。

特に意味がわからなかったのが、『十五夜お月さん』(野口雨情作詞、本居長世作曲、大正9年)という歌。

十五夜お月さん ご機嫌さん
婆やはお暇(いとま)とりました
十五夜お月さん 妹は
田舎へ貰(も)られていきました
十五夜お月さん 母さんに
も一度わたしは逢いたいな

「おいとまとりましたって何?」と私は母に聞いた。「おうちに帰りましたってこと」と母は言った。釈然としなかった。「なんで妹は田舎に貰われてったの? お母さんはどしたの?」
子どもにうまく説明ができず、母が父に助けを求めたのを覚えている。父によれば「お父さんの仕事がうまくいかなくなっておうちが貧乏になり、お母さんは病気で亡くなり、乳母として住み込んでいた婆やは自分の郷里に帰り、小さい妹は面倒を看る人がいないから田舎に里子に出された。そういう、家族がばらばらになってしまった女の子が、十五夜の月を見て思わず「ご機嫌さん」(ご機嫌いかがですか)と呼びかけ、それから月に向かって寂しく悲しい気持ちを訴えている」。なんて悲惨な歌だよ。
絵本には丸い大きな月を一人で見上げている、6歳か7歳くらいのおかっぱの女の子の絵が描かれていた。なんだかさみしそうな歌だと思っていたが、父の解説を聞いてからはひとりぼっちになったその子に思い切り感情移入してしまい、最後の「も一度わたしは逢いたいな」で毎回ダムが決壊したかのように涙が溢れ出した。

ずっと後になって調べたところでは、この歌には野口雨情が離婚して子どもと別れた時の心情が込められていたらしい。高校の現国の教員で童話や童謡の好きだった父がそれを知らなかったわけはないが、私はまだ子どもだったのでそういう話を聞かされていない。いずれにしろ、一家離散を悲しむ少女のたった6行の台詞に、没落していく戦前の旧家の姿が映し出された名曲だと思う。
興味深いのは、男が一人も出てこないことだ。婆や、妹、母さん、わたし。父の姿がない。この歌に歌われている親密圏崩壊の悲劇は父(=社会)よってもたらされたものだが、それによって生まれた悲哀と感傷は父を排除して成り立っている。
少女目線では父は既に遠い存在だった、あるいは野口雨情の詩のセンチメンタリズムに「父」なる存在はいらないということだったのかもしれないけれども、子どもの私にとってはこの子がお父さんをどう思っていたのか、気になって仕方ないのだった。

もう一つ、私にとって非常にミステリアスな歌があった。『四丁目の犬』。やはり野口雨情と本居長世のゴールデンコンビ。
まず、「一丁目の子供 駆け駆け帰れ」で、おや?何があったのかなと思う。「二丁目の子供 泣き泣き逃げた」で、更に不穏なムードが高まる。で、次は順番からして三丁目かと思うと、突如「四丁目の犬」が出てくる。走るのが速そうな「足長犬」である。それがもう四丁目から「三丁目の角に」来てて「こっち向いていたぞ」。
ゾッとしながら二番で話を回収してくれるのかと思いきや、一番だけで終わりである。
要は、「四丁目の足長犬が三丁目の角でこっち向いてるから、二丁目の子どもは泣いて逃げたよ、一丁目の子どもは走って帰りなさい」というだけの内容だ。それを「一丁目の子ども」から始めて、ややせき立てるようなメロディ共々かっちり起承転結を踏みつつ、結部で「こっち向いていたぞ」と脅してスパッと終わっているのが面白い。

母によれば3歳くらいの頃の私は、この歌を聴き終わると必ず絵本を放り出して「こっち向いていたぞだって。こわいよぅ」と母の元に駆けていったそうだ。怖いなら聴かなきゃいいのに毎日ソノシートをかけてもらっては、同じところで判で押したように「こっち向いていたぞだって。こわいよぅ」と母のところに飛んでいく。
たぶん、怖いことがあってもちゃんと母親がいる、という安心感を繰り返し味わっていたのだろう。妹がまだ1歳で私は何かにつけ「もうお姉ちゃんだから」と言われていたので、こういうことを利用して母に甘えていた面もあったと思う。

小学校くらいになると、『四丁目の犬』に歌われた恐怖は具体的なものになった。昭和40年代当時、まだそこらで野良犬を見かけることが時々あったからだ。学校の帰りに遠くの方をフラフラ歩いている犬を見つけると、頭の中で『四丁目の犬』が鳴り出す。あ、犬こっち振り向いた。どうしよう。噛みつかれたことはないが、野良犬に追いかけられる夢はよく見た。
今の子どもに聴かせれば、「犬、放し飼いにしちゃダメなんだよ」というツッコミが来そうだ。数人の学生に尋ねてみたが、『四丁目の犬』も『十五夜お月さん』も知らなかった。野良犬は随分前から見かけなくなったし、一家離散はあっても「婆や」を雇う家はない。現実とマッチしない古い童謡は中高年のノスタルジーを暖めるだけで淘汰されていくのだろう。