「この暑さにやられてる」とロシアの作家は言った・・・ソローキンの思い出

今からもう10年以上前のことなのに、時々昨日のように思い出す。
歳下の友人のN、Sと私、そしてロシア語通訳として同行を頼んだ知人のKは、東京は北区滝野川にある東京外国語大学教職員宿舎を目指して、テクテクと住宅街の中を歩いていた。カンカン照りのうだるような暑さ。天気予報によれば東京の最高気温は34度。
「ねえ、地下鉄から5分じゃなかった? 道、間違えてないかな」
「地図通りだからこれで正しいはず」
名古屋から来た私たちは、このあたりの土地勘がまったくない。こういう時は一番しっかりしているNを頼る。
「あ、ここだここだ」
思っていたより古そうな建物である。
「うわぁ、ドキドキするな」
震える指でブザーを押すと、しばらくしてドアが開いた。
”現代ロシア文学のモンスター”は、狭い玄関口で長身を竦めるようにして私たちを迎えてくれた。
「ズ、ズドラーストヴィチェ」
緊張と興奮で、覚えたてのロシア語の挨拶を吃った。



ウラジーミル・ソローキンを私に教えてくれたのは、 小説読みのSである。
「ソローキンの『愛』、凄いよ。ほとんど小説に擬態した現代アート。読むべし」
当時現代アートに関わっていた者としては、そう言われれば読まないわけにはいかない。もちろん、ロシアの現代文学におけるソローキンの「前衛性」や「問題度」がどういうものか、何も知らない状態。
裏表紙にあるキャッチの中の「あまりの過激さに植字工が活字を組むことを拒否したといわれる」にわくわくしながら、短編集『愛』の一番最初に収録されている表題の作品を、呆然と困惑と感嘆と共に読み終えた。
なにこのわけがわからないけど異様にただならぬ感じは。
そのまま一気に読了したが、一作読むたびにどこかとんでもない場所に置き去りにされた気分になった。
すぐNに「ソローキン、読むべし」とメールすると、「今読んでる最中」と返事が返ってきた。


『愛』の衝撃も醒めやらぬまま、長編の『ロマン』(上・下巻)にとりかかった。これまたツルゲーネフを彷彿とさせるような設定と文体で、普通に小説として面白い。
しかし下巻の半ばを少し過ぎたあたりで、悪夢のような「地獄」に連れて行かれた。‥‥‥いやこれは「地獄」なのか。むしろ一周回って「天国」?‥‥‥いやいやいや。
(あらゆるテキストは)「たんに紙の上の文字に過ぎない」とは、『愛』収録のインタビューの中のソローキンの言葉である。その「紙の上の文字」自体が作り出す決して映像化し得ない恐怖と戦慄が、『ロマン』のラスト数十ページに詰まっていた。


ソローキンの代表作はペレストロイカ時にはほとんど完成されていたそうだが、容易に活字にならず、90年代に入ってからやっとその名を世界的に知られるようになったという。また、私は小説読みではないので、他の小説家との比較はできない。
だが正直、これまでどんなアート作品を見ても、ここまで打ちのめされることはなかったなと思った。
こうして、私は"ソロー菌"にやられたのである。



作品はいずれも、何らかの参照テキストの存在があるかのように感じさせつつ、ごく自然に内容を読み取らせていくオーソドックスで平明な文体で始まる。描かれているのも、牧歌的なロシアの田舎の情景だったりする。
それがあるところから突然寸断され、あるいは地滑りを起し、時にはテキストが「模様化」し、それによって物語空間全体がみるみるグロテスクに歪んでいく。
いや、物語を貫くべき意味や一貫性や因果律といったものが蒸発し、暴力的且つ根源的な何かが剥き出しになっていく、と言うべきか。ともかく「不条理」と言うのは生温過ぎる、破壊的な異化作用に圧倒される。


たとえば一番判りやすい例で、『愛』の中で最も短い(3ページしかない)『可能性』という短編の最初の4行は、

 日が西に傾き、九月の侘しい空が冷気と無関心に満たされ、門の下の黒い地下室が倦怠と憂鬱の気を漂わせるとき、人は思わず自分の白い腕の震えに気づき、その震えが、しびれるような、焼けるような、凍りつくような湿気った風のせいではまったくないことを知る‥‥。

いかにもブンガク的な、知的ムードさえ醸し出す導入部。
しかし最後の4行は、

(前の行から続く)っこするくさくおしっこするためおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおいおしっこのにおい。

‥‥あたかも書き手の頭のネジが飛んでしまい、bot自動書記状態に入ってプツリと切れたかのようだが、こうなるかなり手前で"異変"は現れている。



Sの言うように、現代アート的かもしれない。ソローキンは70年代後半から、美術家のイリヤ・カバコフらのコンセプトゥアリズム芸術(旧ソ連コンセプチュアル・アート)に関わっており、美術作品を作っているアーティストだ。
しかし、小説はもちろん見る物ではなく読まれるテキストとして呈示されているのであり、いくら意味不明な字面が模様のように連続していても、それを図像として眺めて済ませられるものでは、当然ない。だから読者は混乱しながらも、テキストの異様な展開に牽引されて、最後まで一語一句の言葉(の意味)を辿るほかない。ソローキンのテキストは、「小説に擬態した現代アート」に見えてしまう、まぎれもない小説だ。
『愛』と『ロマン』が連れて行ってくれた場所には、地雷が一杯埋まっていた。糞尿塗れの屍体もゴロゴロ転がっていた。まったく「最悪」の場所だった。それが「ただの紙とインク」だということを除いては。



完全にソロー菌患者となり果てたSとNと私は、集まっては憑かれたようにソローキンの話をした。俄でソ連時代から現代ロシアに至る文化・芸術について勉強し、ソッツアートやソローキン関係の記事をネットで漁った。その当時、三人でアート系の同人誌を細々と出していたが、ついにソローキンの特集をやろうという、身の程知らずの話になった。
大学教員という、三人の中では一番世間で通りの良い職業に就いているNが、ソローキンの紹介者、翻訳者で東京外語大の先生でもあるロシア文学者の亀山郁夫氏に宛てて、メールで寄稿の依頼をした。
「やっぱり無理かなぁ、こんなお願いは」と思いつつ待っていると、やっと返事が来た。亀山氏は多忙で書く暇がないが、代わりに北海道大学スラブ研究センター教授でやはりロシア文学者の望月哲男氏を寄稿者として紹介して下さった。しかも驚いたことに、ソローキン氏本人が講師として今現在、外語大に来ているというではないか。
「えっ、じゃあソロ様、今、日本にいるの?!」
「そうなんだ。ソロ様、東京にいるんだよ、来年まで」
「これは‥‥これはもう会いに行くしかないよ」
「ソローキンに? 俺たちが?  すげぇー! 興奮してきた」
「千載一遇のチャンスだな」
「行こう、インタビューしに行こう」
「じゃ亀山先生にお願いしてみよう」


というわけで、またも不躾なお願いメールを送ると、亀山氏は早速打診してくれOKを取り付けてくれた。しかも当日、通訳を引き受けて下さるという。さらに私たちのずうずうしいお願いにより、同人誌の巻頭に『愛』を全文掲載しても良いという許可まで、版元の国書刊行会から取り付けて下さった。
ソローキンという作家の名を知り、著作を読んで"罹患"してからここまで二ヶ月足らず。私たちは憧れのロックスターに会えることになった若者のように浮き足立った。


当日の10日ほど前になって、亀山先生がどうしても都合で当日来れないということになった。現代ロシア文学や芸術やソローキンの作家としての思想についての、詳細で丁寧なインタビューができるまでの英語力は、私たちにはない。
ふと、職場にロシアの美術大学を出た若い講師がいたのを思い出し、事情を話して頼んでみると快く引き受けてくれた。ロシア語通訳をバイトでやっているというので、実に頼もしい。
その日から私はやおら、NHKロシア語会話のテキストを買ってきて、当時亀山先生が出ていたその番組を欠かさず見るようになった(半年で挫折したが)。カタコトくらいは言えるようになりたい。しっかしロシア語って難しいな‥‥‥キリル文字は好きだけど。


さてインタビューの質問項目もまとめ、プレゼントも用意した前夜。いてもたってもいられず、亀山先生から教えて頂いた教職員宿舎のソローキン宅に電話した。
緊張しまくりながら下手な英語で、突然のインタビューを承諾して下さった御礼を述べる。渋い低音のソロ様の声。卒倒しそうである。2分くらいの間に何をやりとりしたんだか覚えてないが、終わりの挨拶だけロシア語で交わした。ソローキン氏は軽く笑いながら「じゃあ明日、君(たち)に会えるの楽しみにしてるよ」と言った。
「たぶん君たちと言う意味のyouだけど、あれは私個人に向けたyouだと思うことにする」
「また大野さんはいい歳して‥‥」
「重症だな、こりゃ」
新幹線口の待ち合わせ場所で、SとNは呆れた顔で言った。すみませんミーハーなんです。



私たちが皆、(それぞれジャンルは少しずつ異なるが)表現に関わる現場の者だったせいもあったのだろうか。 想像していた以上に、ソローキン氏の言葉はストレートでシンプルだった。
ポップアートやミニマルアートの影響を大きく受けたと言い、書き手としての立場から文学のビジュアル性について語っていたのはやはり興味深かったし、ロシア・アヴァンギャルドからの影響を否定し、興味のある作家はいないと言い切る姿勢からは、非常にアーティスト的な自意識を感じた。
‥‥という話は同人誌に掲載したのでもうここでは詳しく書かないが、Sと分担して行った文学、美術、音楽、映画など多岐に渡るインタビューの、私の担当分の中で個人的に面白かった一部を抜き書きしておく(■ がソローキン氏)。

  - もう一度文学の話に戻っていいですか。最初、既成のテキストの引用があるのかという質問をした時に、そうではなくてそれ風に書いているんだとおっしゃって、書くのが大好きだとおっしゃいました。確かにその通りで、テキスト中これは引用だとわかるものはなく、何々風に真似て書かれているということなんですね。そういうふうに書く楽しさというのはどういうものなのか、もうちょっと詳しく伺いたいんですが。
■ 私には、自分のスタイルというものがないのです。文章を書く時は、まず何かになる、誰かある特定の作家なりになるのです。そういうものになって書いていくうちに、だんだんだんだん気分が高揚してきて、自分を忘れられる状態になります。それはまるで麻薬をやっているような状態に似ています。ヘロインだとかそういうものを常用しているような状態です。そうなって楽しむことで私は、つまらないことから解放されています。だから、つまらない、淋しいと思うようなことがないです。
 

  - その誰かになりきって書かれているテキストが、途中で突然変異を起こして寸断されていったりしますね。それは、その麻薬から現実に引き戻されるっていう感じなのか、別の世界にポーンと飛んじゃうという感じなのか、どうなんでしょう。
■ それは、最初の麻薬から次の麻薬にいくって感じですね。


  - ダウンする時もあればアップする時もあると。
■ ダウンアップ、ダウンアップ、オールウェイズ、オーバードライヴ(笑)。


  - ただ、かなり意図的にやられている感じもするんですよね。テキストが途中から突然暴走し始めたように見えるけれども、一方で計画的にプログラムされているようにも感じるのですが。
■ それは・・・説明するのは、大変難しいことです。


  - そうですね。そこが一番ミステリアスに思えるところです。
■ それは私にとっても同じで、すべて意図して書くっていうのは、書いてて面白くないんです。


  - つい筆の走りでそうなってしまったというような、偶然もかなり含まれているわけですか。
■ もちろんです、偶然もありえます。

*1


2時間以上に渡ったインタビューを終えてややぐったりして見えたので、「お疲れではないですか」と言うと、「喋るのはいいんだけど、この暑さにやられてる」とソローキン氏は言った。まあモスクワから来たら、こちらは熱帯のようなものだ。「冷房が苦手」とのことでエアコンはつけず、扇風機を私たちの方に向けてくれていたが、話に集中していたせいで暑いのはどっかに行ってしまった。
「疲れた時はこれだよ」と暑さで溶けかかったチョコレートをふるまってくれ、冷蔵庫から氷を出してきて、氷水を作ったコップをめいめいに渡し、自分は氷の塊を口に放り込んでガリガリと噛み砕いていた。
それぞれが持ってきたささやかなプレゼントを贈呈し、本にサインを頂き、何度も「スパシーバ!」と礼を言ってソローキン宅を後にした。本当はどこかで一緒にビールでも飲みたかったのだが、摂氏34度のカンカン照りの中に夏バテ気味のロシアの作家を連れ出すのは憚られた。


ところで、私がソローキン宅で興味を惹かれ、尚かつ聞き忘れたことが一つある。
それはインタビューをしていたリビングの隅の本や雑誌が積み上げられた上に、『egg』があったこと。『egg』と言えば当時はガングロ女子御用達の雑誌で、表紙もガングロメイクの女子高生モデルたちの写真で飾られていた。
彼の興味を引いたのは何だったのだろう。「これがトーキョーの若者先端文化だよ」と、ロシアにいる娘さんに送るために買ったのだろうか。それとも、ありとあらゆる異なるものを作品にぶち込む作家のアンテナが反応したのだろうか。


ソローキンの著作の翻訳出版は、日本ではなかなか進んでいないようだ。それでこの夏の終わりに、久しぶりに『愛』と『ロマン』を読み返すことにした。ポストモダン小説の象徴とも言われたソローキンの作品が、出合ってから10年以上経って、(自分にとっての)不穏で圧倒的な輝きを失っていないかどうか確かめてみたい。


愛 (文学の冒険シリーズ)

愛 (文学の冒険シリーズ)

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

ロマン〈1〉 (文学の冒険)

ロマン〈2〉 (文学の冒険)

ロマン〈2〉 (文学の冒険)


早稲田文学 3号

早稲田文学 3号

早稲田文学増刊π(パイ)

早稲田文学増刊π(パイ)

(長らく翻訳の待たれていた長編『青脂』が掲載されている。詳しい紹介はこちらスターリンとフルチショフのエログロ場面があるのが物議を醸しているということで、かなり前に日本の週刊誌も取り上げていた。)



● HPなど
今は更新していない公式HP
 ポートレートが70年代のミュージシャン風というか。お会いした時は暑いせいか超短髪にしていた。
Сноб.というサイト内にあるソローキンのブログ
 読めないのがかなしい。10年真面目にロシア語講座に取り組んでいたらねぇ‥‥。

*1:実は、この「誰かになりきってオーバードライヴ状態で書く」というのを思い出して、先日の記事「どや」と紳助は言った。を書いた。しかし後半をもっと逸脱させないと、読み物としては今一つだなと思った。あれでは私個人の印象と解釈に基づいた"解説"の域を出ていない。